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第10話 嘘つきの帰宅時間

 翌朝の松本は死に体だった。  徹夜の宴会組に混じっていたらしい。見回すと、ちらほら欠員がある。メインの三部を録音し終わると、松本は引っ込んでしまった。  二部の企画ステージは松本が振るのだが、副指揮者が叩きながらなんとか録音した。一部は副指揮者担当だったから、危なげなく録り終えた。  それから締めの一本締めをすると、撤収の準備に入った。楽器や譜面台を片せば、ホールは元のガランとした空間になった。  お昼のカレーを食べながら、合宿係の締めの挨拶で散会となった。 帰りは、実家に帰る奴らもいるから、自由解散だ。荷物は置かせて貰えるから、海に遊びに行く奴らもいる。  私は何となく帰りそびれた。海にも行きそびれて、荷物と松本の見張りをしていた。  じっと見てても、松本はピクリとも動かない。 お腹を見ていたら、緩やかに起伏を繰り返しているから、生きてはいるようだ。彼の周りには、メンバーの心遣いのタライに、スポーツドリンク。時折ガサガサ言うのは、リバースに備えて頭の下にビニール袋を敷いてあるからだ。  散会から何時間建ったろうか。大儀そうに起き出した。 (凄いなー、寝たままの姿勢から)  きっと腹筋が強いに違いない。キョロキョロした後、私に眼を合わせて来た。 「誌歌」  まただ。松本に名前を呼ばれただけで、ときめいてしまう。 (好きな子以外、呼び捨てなんかしなければいいのに) あ、と思った。 (ブンブンの名前は、『ふみ』だ) 『"ふみ"か? 』て聞いていたのだ。今も昨日の夜も。 カーッとなった。 (恥ずかしい……!)  勘違いしてたのだ。 私が居たたまれない気持ちでいると、タイミングよく宿の方が声を掛けてくださった。 「特急が来る時間だから、車で駅に送ってあげますよ」 お言葉に甘える事にした。 「……」  車の中で二人は無言だった。 あれほど距離があるように感じた駅は、車に乗るとすぐに到着してしまった。私達は、宿の方に礼を言って降りた。そして特急券と指定席を買ってホームに入場した。  ジーワジーワとセミが鳴く中、ホームには私達だけ。 乾いた風が、草と潮の薫りを運んでくる。日差しを遮るものもない中、私達は電車が来るのを黙って待っていた。  ぷあん、と警笛を鳴らして、特急がするするとホームに入って来た。二人っきりで離れ離れに座るのもなんだから、並びの席を買っていた。 (松本の隣! ) それだけで、心臓は煩い程だった。緊張して畏まってしまう。なるべく座席の中で縮こまっていたのに、松本は私の手を探し出すと繋いできた。 「っ」 私がパニックしている間に、松本はまたしても寝てしまった。 (大きい手)  彼の手をじっと見つめてしまった。私も女子にしては大きな手だけど、松本の手は私よりも一回り大きかった。 (ゴツゴツした指) 長いその指は、『彼女』にどんな風に触れるのだろう。荒々しく? ううん。なんとなく、優しい気がする。彼の手が、私の躰に触れる処を妄想してみた。 (私の髪を撫でて、顎を仰向かせて)  頰に手を添えられたら、どんな感じなんだろう。そろそろと私の手ごと松本の手を持ち上げて、頰に当ててみた。 (私の胸を弄って、アソコに手を忍び込ませて来て) とろり、と。脚の間で感触があった。 (松本……好き) どうして、松本の好きな子が私じゃないんだろう。 私がこんなに松本を好きなのに、どうして神様は片思いなんて作ったの。 (みんな両思いにしてくれればいいのに) そうすれば、誰も悩まないのに。  勝手だった。私がそう願う権利があるように、松本を好きな他の子にもそう願う権利があった。勿論、ブンブンに片思いしている、松本にも。
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