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第23話 迷走

「はぁ……」  今日も患者やお見舞いで訪れた人達の心を和ませる一角として、桐野総合病院の大庭は賑わっている。看護師や医師達の一部もここでお昼を食べようと集まっているのだが……。  柚奈が会いたい人はいない。昨日から遠方に出張なのだそうだ。  将来有望な輝宮は上からも気に入られており、学会やそれ以外の用事でのお供も多い。  そう教えてくれたのは、受付のお姉さんだ。  だから、柚奈はせっかく作ってきたお弁当を手に、淡いピンクの色合いをしたベンチで一人、ぽつんと寂しいお昼を感じている。 (メールも無視、勇気を出してかけた電話……は、番号をブロックされてるし……)  あの夜、柚奈が隠し続けてきた別れの原因を察した輝宮は、本気で怒っていた。  勝手にBLのモデルにされていたのだ。ノリ気でもない限り、普通に気分を害するのは当たり前の事だ。だから、柚奈も反省しているし、今までその罪の意識を抱えながら生きてきた。  悪いと、申し訳ないと、何度謝ろうが土下座をしようが、軽蔑される事はわかりきっていたのに……。それでも、輝宮なら許してくれるかもしれない、と、そう信じてしまった自分が甘すぎたのだろう。あれ以来、輝宮は柚奈を徹底的に避けている。  退院してからも、マンションに恐る恐る戻ってきた柚奈には視線さえ向けず、同居にも嫌気が差したとばかりに、部屋に篭るか、外出する事ばかりが続いていた……。 「はぁ……」  終わった。まさに、オワタ!! の状態だ。バッドエンドおめでとう!! だ。  輝宮は柚奈に愛想を尽かし、もう関係を修復する気もなくなったのだろう。  彼の心中を悟った柚奈は荷物を纏め、避けられてから三日目には荷物を纏めてマンションを出た。そして、時は過ぎ、十日以上が経つ。  あと一週間もすれば……、恋人達にとって特別なイベントが訪れるというのに。  輝宮に避けられ、完全に自分達の縁は切れたのだと、柚奈はその事実を受け入れながらも、往生際悪く、病院まで来てしまった。   (あの人の大好きな卵焼き……、この前よりも美味しく出来たのにな。……まぁ、会えても、きっと食べて貰えなかったんだろうけど)  柚奈のオタク趣味も、BLに関しても、他人事だからこそ許容されていただけだ。  それが自分に降りかかるとなると、普通の男性ならドン引き……、当然だった。  彼にとって唯一の救いは、自分がモデルにされたBL漫画を世に出されなかった事だろう。  流石の柚奈も、自分の恋人を売るような真似は出来なかった。というか、考えもしなかった。だが、その理性は何の慰めにも、言い訳にもなってくれない。  ……このまま、輝宮とは会えずじまいで、何もかも終わってしまうのだろうか? 「輝宮先輩……」  お弁当の包みを開ける事さえ出来ず、柚奈がベンチで項垂れていると……。 「お嬢さん、大丈夫ですか?」 「……あ」  癒しと和みムードに包まれている大庭の片隅でその気配をぶち壊すどんよりオーラを放っていた柚奈の頭上に落ちた、優しい、穏やかな低音。  顔をあげてみると、落ち着いた紺色の和服を着た……、あの夜、柚奈が逃げ込んだ病室で出会った男性が心配そうな顔つきで立っていた。   「荻野屋……、さん」 「うん。顔色が悪いですね……。看護師さんを呼んできましょうか?」 「い、いえっ!! 大丈夫です!! ちょ、ちょっと、寒くて、もう少し着てくれば良かったな~って、思っていたところでしてっ」 「あぁ……。もう年の瀬も近いですからね。いや、その前にクリスマスですね。柚奈さんはご家族と?」  隣に腰を下ろしてきた荻野屋に、柚奈は曖昧に笑みを作りながら、 「そうですね。いつもと同じで……、家族と」  そう答えておいた。嘘ではないが、……本当は、輝宮とクリスマスを迎えたかった。  もう何も心配なく、隠し事の件も全部解決して、……二人きりで。   「お嬢さん?」  柚奈の気落ちしている様子に気付いた荻野屋が、そっと顔を覗き込んでくる。  駄目だ。人前で弱いところなんか見せちゃ……、今にも零れ落ちそうになっている涙を、晒しちゃ。……だけど、輝宮に避けられ続けている事実が、バッサリと切られたとしか思えない絆が……、柚奈の心を瓦解させていく。 「お嬢さん……」 「ご、ごめんなさいっ……。ぅっ、……だ、大丈夫、ですから、……あの」  柚奈の肩に置かれた荻野屋の大きな、あたたかな手が、一瞬の躊躇いを見せる。  けれど、こちらに向かってお年寄りの何人かが近づいてくるのを見た荻野屋は、素早く自分の膝に柚奈の頭を引き寄せた。 「お、荻野屋さんっ?」 「しぃー。少しだけ、こうしていてください」  荻野屋は自分の羽織っていた上着を脱ぎ、意味がわからず固まっている柚奈に着せ掛けると、まるでずっとそうしていたかのように二人の構図を空気に溶け込ませていく。 「おや、お連れさん、どうかしたかね?」 「いえ、妹が昨日あまり眠れなかったようでして、微力ながら見張り番を」 「ほぉ、妹思いのお兄さんじゃのぉ~。変な虫に掻っ攫われんように、頑張りなされ」 「はは、ありがとうございます」  おじいさん達と当り障りのない微笑ましい会話が、荻野屋の腹に顔を向けて息を潜めている柚奈の耳にも聞こえてくる。何を質問されても上手く受け流してしまう彼の穏やかな声音。  何人かの足音が遠ざかっていくと、柚奈はゆっくりと顔を上げようとして……、何故か荻野屋に頭を撫でられ、留められた。 「もう少し、ゆっくりしていましょう。ね?」 「あ、あの……、ありがとう、ございます」  柚奈が小さな声でそう伝えると、荻野屋は何も答えず、ぽんぽんと、肩を優しく叩いてきた。……隠してくれた。自分の泣いている姿を、この人は見られてはいけないものだと察して、人の目から覆い隠してくれたのだ。   「……荻野屋さん」 「はい?」 「次に来る時は、ウチの一押し商品をお持ちしますね」 「ふふ、ありがとうございます」 …………。言葉にはしないけれど、荻野屋のぬくもりは柚奈の心を慰めてくれているように感じられる。二回しか会った事のない男性相手に無防備な姿を晒している、と、反省しなくもなかったが、……何故か、こうしている事が、とても心地よかった。  そういえば、弟がいると言っていたような……。  異性に対して、というよりも、一緒にいる事で感じられる安心感の源は、彼が兄という立場にあるからか? 柚奈は荻野屋の膝で納得しながら、お礼はうんと奮発しようと決めた。 「――兄さん、何してるの?」 「陽希(はるき)」  そろそろ起き上がろうかと思っていた時だった。  荻野屋よりは高めの、綺麗な声質をした音が訝しげに柚奈の耳を突き、肌に奇妙な違和感が小さな震えとなって走った……、ような気がする。  親しげに陽希と呼んだ荻野屋の声から察するに、身近な相手なのだろう。  柚奈は大慌てで彼の膝から飛び起き、真っ赤に染まった顔で、陽希と呼ばれた人物に振り向く事になった。 「……っ」 「あ、あの……、す、すみませんっ。お見苦しいところを」 「気にしないでください、お嬢さん。それと、紹介しますね。この子が私の弟で、荻野屋陽希といいます。良かったら仲良くしてやってください」  荻野屋陽希……。  まだ大学生くらいだろうか? 大人というには少年めいた気配が残っている顔立ちをしており、身体つきも線が細い印象があった。  どちらかというと、中性的で……。 (女装がすっごく似合いそう……)  ついでに、属性で言うなら、受けだろう。  ――などと考えてしまったところで、柚奈はブンブンと大きく首を振った。  輝宮をモデルに大罪を犯したというのに、また他人様でBL妄想をしてどうする!!  顔には出さなかったが、これも腐女子の本能…、いや、避けられぬ運命(さだめ)か。  柚奈はついつい妄想してしまう自分の困った脳内思考に連打でパンチを打ち込みつつ、荻野屋に向かって手を差し出した。 「蜜月柚奈です。よろしくお願いします」 「…………」  お兄さんのお膝には大変お世話になりました、とは言わずに、穏便に何事もなくスルーして貰える事を祈りながら手を出していたのだが……、反応が、ない。  荻野屋の弟は柚奈の顔をまだ凝視しており、その華奢な身体は……、小刻みに震えている。 「陽希、ちゃんとご挨拶をしなさい」 「……んで」 「ん?」 「なんでこの人がいるの? ……孝幸兄さんの、なんなの?」  ――と、不機嫌そうに聞かれれば、荻野屋も柚奈も、顔を見合わせて苦笑してしまう。  珍妙な出会いをし、まだ二度目だというのに、膝まで借りて助けて貰った恩人、という位置づけになるだろうが……、ありのまま伝えるわけにもいかないだろう。   「ふふ、兄さんだって病院でずっと大人しくしてるわけじゃないんだよ? こんな風に、愛らしいお嬢さんとお近づきになる事もある。ただの偶然だよ」 「お、荻野屋さん……」 「まぁ、関係を言い表すのなら、秘密を共有した仲、かな? ねぇ、お嬢さん」  ぱちんと、茶目っ気たっぷりにウインクされた柚奈は、さらに顔の熱を赤くして挙動不審な返事を返してしまう。 (た、確かにっ、恥ずかしいところを見られちゃったし、助けても貰ったけどぉおっ!!)  荻野屋の含みのある声音は、……多分、弟を誤解させたに違いない。  穏やかな兄に向ける弟の眼差しはきつくなり、その拳は怒りを秘めているかのように力が入っている。 (も、もしかして……っ、お、お兄さん大好きっ子、なの、かなっ? あ~、でも違うっ、違うからぁあああああっ!! 私は貴方のお兄さんを取ったりなんかしない、ただの通りすがりのぉおおおっ!!)  兄を慕い、兄に近づく女を疎み、憎む、美しい弟……!  あぁ、BL的にはとてもオイシイ、オイシイ!! だけどっ、だけどっ!!  ここに輝宮がいれば、きっとそれはそれは絶対零度の冷ややかなドSの視線で軽蔑してくれた事だろう……。 「あ、あのですねっ。荻野屋さん、貴方のお兄さんには、ちょっとしたご縁で助けて頂きましてっ、決して妖しい関係とか、これからそうなるとか、絶対にないのでっ、どうか安心してくださいっ!!」 「ははっ、お嬢さんは面白いですね。だけど、御縁が出来たという事は、その先があるという暗示かもしれない。……二の足を踏んでばかりいると、どうなっても知らないよ? 陽希」 「――っ!!」  ベンチを立ち、弟の鼻先をこつんと小突いた荻野屋が、その耳に何かを囁いているようだったが、柚奈には何も聞こえてこない。  ただ、荻野屋がとても面白そうに、そして、弟の方が爆発しそうな勢いで顔全体を丸ごと林檎のように染めた瞬間、「ふざけんなっ!!」と、大きな声を上げた。   (ど、どうしたんだろう……)  暴力行為に走る事はないようだが、兄に食ってかかる弟の心は荒れに荒れているようだった。けれど、その怒りを受けても、兄の方は飄々としており、笑みを崩さない。……猛者だ。 「それはそうと……、陽希」 「なんだよっ!!」 「お前……、手をどうしたんだい?」 「――っ!!」  荻野屋が、白いコートに右手を突っ込んだままの弟に視線を落とし、その眉を顰めている。  柚奈は特に気にしていなかったし、手がどうこうよりも、BL的ネタ降臨と、自分の醜態をどう誤魔化すかで必死だった為、その点に関しては意識の外だった。  だが、この季節なら別に変な事ではないだろう。  寒いから、手をコートのポケットに入れている。そう思うのが普通だ。  しかし……、荻野屋は弟が拒む前にその手をポケットから引っ張り出し、目を瞠った。  白い包帯の巻かれている右手……。弟の顔が、苦痛に歪んでいる。 「怪我をしたのか?」 「別に……っ。運動してる時に、ちょっと」 「……本当に?」 「本当だよ!! ったく、……なんでそんな心配症なんだよ」 「お前をよく知っているから、かな? ……無茶ばかりしては駄目だよ、陽希」 「……」  兄弟の神妙な会話を聞きながら、柚奈は二人の様子に違和感を覚えていた。  怪我をした弟を心配する、優しい兄。普通の構図だけど……、何かが、普通じゃない。  無茶ばかりをしてはいけない、と、諭すように言った荻野屋の目は真剣で、……何かを危惧しているかのような不安を覚えてしまう。  弟の方も、知られてはいけない事を知られた、と、表情が焦っているように感じられる。  それに……、なんだろう。荻野屋の弟、陽希とは……、初対面には思えない。  柚奈の両親がやっている店に通っている事は荻野屋から聞かされたが、自分と彼に、面識はない。……店の中、では。   (だけど……、どこかで、……あれ?)  こんなに綺麗で、印象深い子と一度会えば、普通は忘れられないはずだ。  けれど、柚奈の記憶にはない……、初対面なのに、既視感を覚える相手。  柚奈が一歩を踏み出し、その事について尋ねてみようとした時の事だった。  遠くから愛らしい声音が響き、柚奈達の方に近付いてきたのだ。  看護師の服を纏った……、そうだ。この前入院した時に一度だけ会った、BL同志の彼女だ。 「桜月さん?」 「いやぁ~ん!! 柚奈ちゃんだと思ったら、やっぱりそうだった~!! どうです? 身体の調子、悪くなったりしてません?」 「え、ええ~と、は、はい。お蔭様、で」  彼女のぶりっ子……、いや、もとい、お仕事の関係上、必要な訓練? とはわかっているが、相変わらずギャップの凄い人だ。  慣れているのか、荻野屋はくすりと笑い、弟の方は……。  彼女のぶりっ子モードに抵抗があるのか、白いコートの帽子を被り込み、ササッと距離を取った。   「相変わらず絶好調ですね、双葉さん」 「ふふぅ~ん!! 皆さんのご協力の賜物でっす!! きゃるんっ!!」 「あはは……。桜月さん、本当に芸達者ですね~」  元が男前の清々しい性格だと知っているが、この変わり様は本当に凄い。  彼女の登場で怒る気力をなくしたのか、荻野屋の弟は兄に声をかけ、一度病室に戻るよう促し……、庭の一角には女性陣二人だけが残される。 「――ふぅ。つーわけで、なぁ、柚奈ちゃん」 「は、はいっ」 「オレさ、今日のシフトは夕方で終わりなんだ。だから、その後、時間空けてもらってもいいか?」 「へ? あ、え、えぇ……、大丈夫、です、けど」 「決まりな。じゃあ、仕事が終わり次第、病院近くの、――ってカフェで待ち合わせでいいか?」 「は、はいっ」  がらりと、今度は素に戻った彼女に神妙な顔で誘いをかけられた柚奈に、お断りをする勇気も、そうする気もなく、コクコクと頷く事が正解なのだと、心のどこかで感じていた。  
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