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第16話 帰宅と油断

「手……、大丈夫ですか? 痛みは」 「ふぅ……。タクシーの中で何度も言っただろう? 治療と痛み止めのお陰で問題はない、と」 「じゃあお聞きしますけど、私が同じように怪我をしたらどうします?」 「…………」  タクシーから降り、マンションの前でジトぉ~……、と、元恋人を見上げた柚奈の記憶を参照すれば、付き合っていた当時に彼女が些細な怪我をしただけで、冷静に見えて内心大騒ぎしっぱなしだったのはこの男のはずだ。  予想通り、輝宮は言葉を失い、僅かに視線を彷徨わせてしまった。   「お前は女だろう。心配するのは当然だ」 「患者さんに男の人も女の人もない、って、いつか聞いた気がしますけど」 「……ここにいると冷える。入るぞ」  柚奈に言い負かされる事が悔しいのだろう。  輝宮は利き手である右手を伸ばして柚奈の手を掴み、大股でマンションのエントランスホールに足を踏み入れて行く。  バツが悪そうなその大きな背中を眺めながら、柚奈はくすりと笑う。  誰に何を言われても動じなさそうな人が、自分からの言葉ですぐに変化を見せてくれる。  あの頃は、そんな楽しみを感じ始めた矢先に……、全てをこの手で台無しにしてしまったのだ。 (私が、あんな事さえしなければ……)  理由はそれだけではない、が……。  輝宮に対して隠し事をしてしまったあの時に、彼の恋人でいる資格を失ってしまったように感じたまま、六年もの月日を逃げ続けてしまった。  ……だけど、もう、やめよう。どんな反応を向けられるとしても、このままでいるわけにはいかない。それに……。  柚奈の視線が輝宮の左手に向かう。包帯が巻かれた、痛々しい怪我の象徴。  一体何故……。自分に対して理由を隠そうとした経緯からして、恐らく、偶然の何かではないはずだ。 (まさか……)  誰かに襲われた、そう考えてはいたが……、もしやという思いが柚奈の頭の中に芽生えた。  一年前、柚奈の行動を監視するようにしつこく張り付いていた……、今は影も形も見えない、消えたストーカーらしき存在。  柚奈が通っている道場の跡取り息子である相良隼人のお陰で縁が切れたと思い込んでいたが、……ただ、今まで何らかの事情があって大人しくしていただけだとしたら?  勿論、相良というボディーガードの存在を恐れて、行動を自重していた可能性もある。  けれど、最近の柚奈は輝宮の送り迎えを受け、彼と同棲している。  相良の逞しい身体つきに比べれば、今、柚奈に寄り添っている輝宮の存在はハードルが下がった幸運な状況、と、ストーカーらしき存在に思われていても不思議はない。  輝宮が、何の武術経験もない、優男だと思い込まれていれば……。 (でも、輝宮先輩って……) 「柚奈」 「は、――ぶっ!!」  エントランスホールの途中で突然立ち止まった輝宮に気づかず、柚奈は手を離された際に彼の広い背中へと顔面からぶつかってしまった。   「ど、どうしたんですか?」 「コンシェルジュに何か変わりがなかったかと、荷物の類が届いてないか確認してくる。先に部屋に行っていろ」 「あ、は、はい」  コンシェルジュがいる部屋は、マンションの住人達が自分の部屋に戻る為に手続きを踏むためのセキュリティールームの少し手前にある別の道を入ってすぐの所にある。  高級マンションともなると、エントランスホールの仕様の豪華もさることながら、コンシェルジュ達の防犯能力も甘く見てはいけない、と、輝宮が言っていたような気がする。  マンションと、そこに住む住人達の平和を守る事を念頭に、凄い経歴の人達が厳しい試験を受けて、このマンションに配属されてくる、とも。  柚奈は、すぐ戻ると言って曲がり角の向こうに輝宮が消えるのを見送ると、彼の言いつけを守らずに、エントランスホールの隅にあるソファーに腰を下ろす事にした。  輝宮の部屋に行けば、六年もの間隠し続けてきた罪を告白しなければならない。  だから、その前に心の準備をしておきたくて……。 「騙されてますよ。――柚奈さん」 「え?」  柚奈の背後から聞こえた、低い、年若い男の声……。  その声に聞き覚えがあるような気がして柚奈が振り向こうとすると、誰かの手が乱暴に白いハンカチのような物を彼女の口に押し付け……。 「うぅっ……、ぁ」  すぐに訪れた、不快な睡魔の気配。  立ち上がりかけていた柚奈の身体から力が抜け、男の力強い腕の感触がその重みを支えた。 「あ、なた、……は」  白いパーカーに、ジーンズ姿の……。  金色の髪をさらりと落としながら柚奈に笑いかけた男。  柚奈はその姿に、いや、一年前……、最後に見た、同じ恰好の男に……、眠りの淵に引き摺り込まれながら恐怖を覚えた――。  
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