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第10話 子兎にご褒美を

「輝宮先生っ! ウチの柚奈は、多少変わったところもありますが、家事全般に関しては自信を持って送り出せる娘です!! 存分にこき使ってやってください!!」 「そんな……。僕が無理を言ってしまったせいで、ご家族の皆さんには大変なご迷惑を……。ですが、柚奈さんの事は大切に預からせて頂きますので、どうかご安心ください」  ……相変わらず、外行きの顔が上手い男だ。  自分の父親と和やかに話をしている事の元凶をじとりと睨み、柚奈は輝宮の車の後部座席に詰め終わっている荷物に視線を向けた。  毎日の着替えと、生活に必要な簡単な部類の道具、それから……、こっそりと別のバッグに詰めてある、なくてはならない大事な一式。  たとえ大魔王の城に移り住むのだとしても、心の平穏を守る為には欠かせない大事なアイテム達(相棒)なのだ。 「柚奈」 「お母さん……」  母よ、娘は元恋人と復縁したわけではないのだ。  表向きには、医者の仕事で多忙な輝宮の健康と生活を支える為に家事係として駆り出されると説明してあるが、本当は脅迫されていて……、夜ごと、淫らな事を、ごにょごにょ。  勿論、そんな真実は話せないのだが、母親ならばきっと……、きっと。 (お母さんっ……!!)  柚奈の心の内を、大魔王から逃れたいという切なる心を感じ取ってくれるはず!  寂しそうに微笑みながら、母が手を伸ばしてくる。あぁ……っ、やっぱり本当は――!! 「柚奈……、――男のハートは胃袋一択よ。必ず、仕留めていらっしゃい」 「は?」 「だって奇跡的に再会出来たのよ~? 引っ越しの時、何度も遠恋頑張ってみたらって応援してたのに、もう……っ、貴女って子は、諦めが良すぎなんだからっ。……だ~か~ら~、今度こそ、輝宮先生と離れないように、頑張りなさい」 「お、お母さん……」 「それにね。出会いは星の数ほどある、っていうけど、運命の出会いはほんの一握りだわ。心から好きになった人なんでしょう? 今でも大好きな、ずっと一緒にいたい、柚奈の大切な人」  こっそりと柚奈の耳に囁いてきた、母の悪戯っぽい響き。  それは、輝宮が口にした復縁したという設定を信じているというよりは……、本当のところを見抜いているかのような言い方に感じられて……、柚奈は目を丸くしそれを瞬かせた。 「諦めずに向き合ってくれている人から逃げちゃ駄目よ。勇気を出しなさい」 「お、お母さん……、わ、私と、輝宮先輩の事」 「ふふ、結果を楽しみにしているわ。あ、お父さん! 輝宮先生にあれちゃんと渡してくれた? え~? もうっ、今取ってくるわ!! それじゃあね、柚奈。輝宮先生にた~んとお世話、されてきなさい」 「うぅ……っ」  二人の事情を詳しくは知らなくても、母はやはり母だった。  柚奈の本音と迷いを見抜いた上で、大魔王の誘いに可愛い娘を荒療治同然でぽいっと放り込んだのだ。   (はぁ……、そこで娘を守るとか、輝宮先輩に距離を取るよう言ってくれるとか、……そっち方面じゃないところが、お母さんらしいなぁ……。……もしかして、輝宮先輩の本性も見抜いていたりして……)  昔から、父親の方は天然で馬鹿素直といってもいいくらいなのだが、母親の方はニコニコと笑っている裏で色々と腹に一物あり、な性格をしている。読まれていて当然、か。  この母が何の考えもなしに、大事な娘を放り出すような事はない。  この選択が柚奈の為になる、と、そう考えているからこそ、母は輝宮からの頼みを受け入れたのだろう。……娘の方は、この試練に立ち向かう勇気もなければ、何をどうすればいいのかも……、まだ、決める事が出来ていないのに。 「――柚奈、行くぞ」 「ひっ!」  突然、柚奈の耳に不必要な色気を滲ませて囁いた輝宮が、助手席のドアを開けて促してきた。――さっさと乗れ、逃げ場はないぞ、と匂わせて。  そう、逃げ場はない。輝宮に、好きな人に背を向けて、身勝手にも傷付けてしまったツケ。  払う時を先延ばしにする事は出来ない。  すでに輝宮には、あの晩に本音を知られてしまっている。  道場に迎えに来られたあの夜に、一晩中……、輝宮の腕の中で溺愛され、想いを引き摺り出された挙句の果てに、あの頃以上の魅力で囚われてしまった。  よりを戻せない理由に関しては断固死守したが……、あんな夜が時々……、いや、輝宮の事だから頻繁に仕掛けてくるだろう。そんな夜が続いたら……。 「柚奈~、頑張ってね~!!」 「柚奈~っ、輝宮先生をどうかお父さんの義息子にぃ~!!」  柚奈はガタブルと震えながら助手席に乗り込み、手を振って見送ってくれている両親に泣きそうな顔を向けながら……、小さく手を振るしかないのだった。 「――輝宮先輩、なんですか、これ」  大魔王の城に着いてすぐ、柚奈は目を点にしてしまう事態に遭遇してしまった。  柚奈の為に用意された一室……、そこに、ちょっと意外なものがあったのだ。  ひとつは、どこのプロ漫画家さんがお住まいですか? と言いたくなる、トレース台やら、漫画イラスト制作に必要な画材やソフトが揃った完璧仕様の机。  振り向くと、輝宮がドアにもたれながら「プレゼントだ」と、僅かに楽しそうな音を含んだ声音で教えてくれた。プレゼント……って、はっ!! まさかっ、新たな餌付け!? 「つ、釣られませんよっ」 「別に見返りを期待したわけじゃない。お前が、……喜ぶと思ったから、揃えただけだ」 「うっ……」  涎が出そうになるくらいの豪華なプレゼントだが、そんな事よりも、喜んでほしくて用意したのだと言われた際の輝宮の少し照れくさそうな顔……。  高価な宝石や服よりも、柚奈が求めているものをきちんとわかってくれている人。  付き合っていた頃も、輝宮は柚奈の心を尊重し、大切にしてくれていた。……今も。 (だけど……、あの事を知られてしまったら、……きっとこの人を深く傷付けてしまうし、……嫌われても、おかしくない)  怖い……。彼の心を傷付ける事も、彼に、嫌われてしまう事も。  こんな風に贈り物を貰う資格なんてないのに……。  輝宮が自分に向けてくれる愛情の深さに感動しながらも、柚奈はやはり臆病だった。  だから、強引に話題を別のものに変えた。……苺柄のお布団一式が乗っかっているベッドの方に。 「なんで苺柄なんですか……?」 「お前のイメージがそんな感じだからだ。まぁ、ウサギ柄も良かったんだが、最初は苺柄にしようかと思ってな」 「……両方、買ったんですね? あるんですね? ウサギ柄の方もっ」  コクリ。静かに頷いた輝宮が、その手に持っていた小さなウサギのマスコットを放って寄越してきた。……可愛い。だけど、これはどこから。 「ウサギ柄の寝具を買った時におまけでついてきたものだ。お前によく似合う」 「……大人っぽく、なったつもりなんですけど」  輝宮と付き合っていた頃の、高校生の自分はもういない。  今は二十三歳の、成人した大人の女になれたのだと……。  少しは思えるようになってきていた柚奈にとっては、まだまだ子供っぽいと言われているようでちょっと切ないところだ。 (でも、可愛い……)  そういえば、輝宮は一人でこの寝具や机、画材を買いに行ったのだろうか?  机と画材などに関してはまぁいいとして……、流石に、二十七歳の男性が可愛い系の寝具を売り場で買う現場はレアだ。いや、子供がいるとか、妹の、と考えれば普通かもしれないが。 「何か言われたりしませんでしたか? この寝具を買う時に」 「あぁ、集まってきた店員達に色々と聞かれたが、面倒だったから簡潔に答えた。――妻と娘のだと」 「ぶっ!! つ、妻!? む、娘ぇえええっ!? な、何言ってるんですかっ!! 輝宮先輩、バリバリの独身ぼっちじゃないですか!!」  と、思わずつっこんでみたら、ぎろりと冷たい目で睨まれてしまった。  輝宮の背後からドス黒い靄のようなオーラがゴゴゴゴゴゴゴゴ……!! と這い出してきているような気までしてしまい、柚奈は本気でブルッてしまう。   (はい、すみませんっ。色々用意して貰ったのに失礼な事言いました!! ごめんなさぃいいいいいいいいい!!)  きっと女性の店員さん達に囲まれて大変な目に遭ったのだろう。  輝宮は顔も良いし頭も良い、所謂、最高の優良物件だ。そのせいで苦労する事も多い。  妻と娘発言も無難なかわし文句だったのだろうに、余計な事を言ってしまった……。  だが、怯える子兎の表情で震えながら謝る柚奈の前に立ち、彼はその肩に手を置くと……。 「一年以内には実現させるからな? 少なくとも、前者は」 「へ?」 「あぁ、お前が素直に協力すれば、同時に叶いそうだな。親を喜ばせてやりたくはないか?」  ビク……ッ!! 詳しい内容を伏せながら、珍しい満面の笑顔で柚奈に微笑みかけてくる大魔王様。耳朶と鼓膜を、いや、その箇所から全身に走った甘い疼きは、彼の不必要な色気の滲む声音のせいだ。輝宮の手が、スカート越しに柚奈の太腿を撫でながら、誘いをかけてくる。 「俺も嘘吐きにはなりたくないからな。……柚奈、今からどうだ?」 「うぅっ……。ど、どっちも駄目です!! 絶対実現なんかしませんから!! させませんから!! 全力で抵抗しますよ!!」 「……理解不能だな。俺の事を今でも好き、いや、誰よりも一番に、深く、深く、愛していると可愛い声で啼いていたのは誰だったか……。相思相愛なら、普通は結婚するだろう?」  いやらしい愛撫の手が離れたかと思うと、柚奈は取り調べを受けている容疑者のような思いを味わわされる。冷たい冷たい……、怖さを含んでいく輝宮の声。   「相思相愛でも……、駄目な時があるんです」 「だからその理由を……、いや、今はやめておく。柚奈、悪いが飯を作ってくれ。朝から何も食べてないんだ」 「まだ食べてなかったんですか!?」 「夜勤明けだと言っただろう。ふあぁぁ……、お前の部屋の準備確認もあって、食べ損ねた」  欠伸を漏らしながら部屋を出ていく輝宮が右手をあげて言う。 「少し寝る。出来たら呼んでくれ」  ちょ、朝食を食べ損ねる程に……、この部屋の準備に余念がなかった、と?  何から何まで心を尽くしてくれる元恋人の心遣いに……、柚奈の胸の奥で、罪悪感がじわりとまた染みを広げてしまった。……本当に、どうしたらいいのだろうか。 「あ、あの、輝宮先輩っ」 「ん?」 「な、なにが食べたい、ですか?」  このマンションのすぐ近くにスーパーがある。  柚奈はせめてもの償いとして彼の要望を聞いた。すると。 「エビピラフ」 「エビピラフですね!! わかりましたっ、すぐに作ります!!」 「ゆっくりでいい。……あぁ、それと、作り終わって呼びに来た時に俺がまだ寝てたら、――キスで起こしてくれ。それ以上でもいいが」 「わかりました!! クッションで叩いて大声で起こしてあげますね!!」  やはり大魔王様は大魔王様だった。  ちょっとでも仏心を出せば、どんなきっかけでも攻めの材料にしてしまう男なのだ。  やはり、油断は禁物だ……。柚奈のお断りの言葉にもめげず、輝宮はまたまた爆弾発言を残して去っていく。 「一応寝室は別だが……、お前の部屋の鍵は俺も持ってるからな。まぁ、我慢出来なくなったら、逆でもいいぞ。俺の部屋の鍵はいつでも開けておいてやる」  最後の最後に、とびっきりの甘い蕩けるような色気満載の誘い文句を!!  膝から崩れ落ち、柚奈は薄桃色の絨毯の上に両手をついた。 「くぅぅううううっ……!! 負けない、……負けないんだからっ」  子兎はいずれ猛獣にぱくりと食べられてしまう運命……。  だが、それでも全力で抗い続ける事しか出来ない柚奈であった。
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