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第1話 お、お久しぶりですねっ!! ではさようなら!!

「お久しぶりですね。蜜月(みつき)さん」 「……お、お久しぶり、ですっ」  友人の代わりに訪れた、とある大病院の敷地内。  自分の名字を呼ばれ、一度直視してしまった男前の美貌から全力逃亡に失敗し、蜜月柚奈(みつきゆな)が下を向いてから十秒。  スタッフ専用の綺麗な庭の花々の事も、周囲で白いテーブルを囲み、楽しそうに話している男女の事も、……何もかも、全部吹っ飛んでいってしまった。  甘い香りの紅茶を楽しみながら座っていた自分の目の前に、――彼が現れた瞬間に。  声を掛けられ、柚奈は観念して顔をあげた。 「この病院に勤めていらっしゃったんですね」 「ええ。内科の方に」  曇りなき清廉潔白さを表しているかのような白衣。  お疲れ気味なのだろうが、それでも、昔よりも美形さの増した、眼鏡のよく似合う知的な顔つき。それだけでなく、ただ綺麗という枠を飛び出し、彼の造形は男らしくもあった。  付き合っていた頃の彼は、まだ大学生で……、柚奈の通っている高校に、OBとして美術部兼、漫画イラスト部によく顔を出しに訪れていた。  生まれ持った美貌は数多の女性陣に好まれ、柚奈も彼の事を……、輝宮弓弦(かがみやゆづる)の事を、ちらちらと眺めてみては、綺麗な人だなぁと思っていた。   (時が経つと、さらにグレードアップの美形さんになるなんて、輝宮先輩の遺伝子って一体どうなってるんだろう……)  まぁ、今の自分には関係のない事だが。  柚奈は引き攣った愛想笑いを浮かべながら、こそ、こそ、……こそこそっ、徐々にその場から逃げの体勢に入っていく。――しかし。 「鈴原さんの代わりの方が来られると聞いていたんですが、ははっ……、まさか蜜月さんだったとは。面白い御縁ですねぇ」  ただ顔見知りの自分を見つけて近寄ってきた、とかではなく、友人が担当している男性医師が輝宮だったとはぁああああああああああ!! 柚奈の中で絶望の鐘がゴンゴン鳴りまくる。  逃げの一手はにこやかな輝宮によって阻まれ、あれよあれよの間にまた席へと……。 「ふふ、またお会い出来て嬉しいですよ、蜜月さん」 「は、はいぃっ、わ、私もっ、う、ううううううううう、ウレシイ、ですっ」 「何年ぶりでしたっけ?」 「ご、五年以上はっ、た、経っている、かとっ。……は、ははっ、と、時が経つのって、は、早いですよね~っ」 「そうですか? 僕にとっては何十年にも感じられるくらいに長かったんですけどね?」 「……」  ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!!  しっとりとした黒髪に縁取られた、その美しい端正なお顔。  必要以上に深められた笑みが、わざとらしく使われている敬語が、柚奈の心を追い詰めにかかってくる!!  いや、わかっている。わかっている。何が輝宮の心にあるのか、彼の意味深な笑みから伝わってくるただならぬ迫力の理由も全部!! 「ねぇ、蜜月さん……」 「は、はいっ……」  あぁっ、怖い!! 怖い!! 物凄く怖い!! 逃げたい逃げたい逃げたい!!   今すぐ全力逃走で日本どころか海外、いや、宇宙か異世界にでも逃げ込んでしまいたい!!  しかし、内心でビクビクと震え大泣きしている子兎を逃がしてくれるほど、目の前の猛獣は甘くない。テーブルの上に揃えてあった柚奈の手にぬくもりを重ね、ぎゅっと握り込んでくる輝宮の硬い感触。あぁ、あぁぁぁ、あぁああああああっ!! 心臓がっ、心臓がっ、きゅぅうううっどころか、ぎゅぅううううううっ!! と、柚奈の息の根を止めにかかっているかのようだ。 「――この手紙の理由、説明して貰えるかな?」  傍(はた)から見れば、輝宮が上機嫌で柚奈に話しかけているように見えるだろう。  だがしかし!! 違う!! 違うのだ!!  今、この男性医師様は、心の底から腸が煮えくり返るどころか、火山口大噴火状態で内心激怒状態である事を必死に抑え込んでいるのだ!!  そして……、差し出されてきた真っ白な封筒の中身に関しても、柚奈は知っている。  高校時代……、柚奈が家の事情、他県への引っ越しを利用し、新しい我が家への旅路の途中で立ち寄った町で投函した、……別れの手紙。  輝宮がその内容を読んでわからないはずがない。誰にだってわかる、単純明快な文章なのだから。 (何年も大丈夫だったから、油断してた……。もう諦めてる、って、ただの、遊びだと割り切ったんだろう、って、……そう、思ってたのに)  優しげな笑みを向けられながら、柚奈は現在進行形で肩を震わせ、生きた心地がしない最悪の状態に陥っている。輝宮の目にぬくもりはなく、誤魔化して逃げ去れるような隙もない。 「蜜月さん、悪い事をした子には、何が待っているんだっけ?」 「……お、お説教と、お、お仕置き、です」 「そう、せいか~い。……じゃあ、別室に行こうか? 誰にも邪魔されない場所で、ゆっくりと話そうね? 俺と君の間にある六年の月日……、こんな手紙を寄越した当時の君の事情も……、あぁ、一時間や二時間じゃ足りない気がするよ。ねぇ? 蜜月さん」 「あ、あのっ、輝宮先輩!! わ、私、よ、用事を思い出し、――痛っ!」  二人きりになんてなったらまずい……。   誰にも見えないところ、誰にも邪魔されない場所。  この数年間、輝宮が抱え、抑え込んできた鬱憤を、激情を受け止めきれる自信なんて……。  だが、席を立ち、自分の方へとまわり込んできた輝宮に左の手首をきつく掴まれながら、柚奈は悟った。――最初から、この檻に出口なんかなかったのだ、と。 「悪い子には、お仕置きが必要だろう? なぁ、柚奈」 「――っ!!」  寄せられた唇が囁いた音は、甘く蕩ける蜂蜜のよう……。  一口でも味わってしまえば、骨の髄まで溶かし尽くすかのような危うさをも秘めているような気がした。 「わかり、まし、た……っ」  高校時代の想い出が湧きいずる泉の如く溢れ出していく……。  窓辺でぼんやりとノートに頭の中の妄想を描いてみたり、時には芸術的な絵画に熱中してみたり……。いつだって、賑やかな輪には関わらずにいた自分。  だが、輝宮が声を掛けてくれたあの日から……。  彼という存在の手を取り、そのペースに巻き込まれた瞬間から……、柚奈の幸せと不幸は同時に始まっていたのかもしれない。  女性に事欠かない、何の苦労もなく好みの女性を抱けるような容姿を持っていたこの人からの……、告白という危険極まりないフラグを踏んでしまった為に。   (私の、初めての恋。初めての恋人。……初めて、別れを告げてしまった人)  柚奈は輝宮に支えられながら席を立つと、促されるままに別室へと連行されていった。
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