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第8話エリオネル

 大乱闘の末にすっかり風通しのよくなってしまった荒れた部屋のなかで、二人の会話は続く。 オルネッタはすがるように聞いた。 「お兄さまが魔物の王というのは確かなのですか……?」  ギャロウグラスは静かに答えた。 「絶対とはいえませんが、まあ確実でしょう」 「そんな……、わたくしはどうすれば……」 「どうするもこうするも、一緒に行っていただくしかありません。危険は増しましたが、あなたを送り返す手立てもない」 「お兄さまと出会ったら、あなたはどうするのです?」 「魔の物を殲滅するか、わたしが死ぬまで戦うのが、このコンセリアートルを持つ者の使命です」 「お兄さまを助けて、ギャロウグラス! なにか方法はないのですか!?」 「……」  ギャロウグラスはしばし口を閉ざして考えこんでから言う。 「あるいは幸運が味方すれば。エリオネルどのを救える可能性もある。しかし……」  ギャロウグラスは微笑んでオルネッタを見つめた。 「それはあなたの望みだ、オルネッタ。わたしの仕事は難しくなる。エリオネルどのを救えた暁にはとうぜん、特別報酬をいただきますよ?」 「え、えぇ、そんなこと別にもう気にしません。ギャロウグラス……」  そこで突然、まだ無事だった部屋の扉が開いた。  やってきた宿の従業員は、穴だらけの変わり果てた部屋を目にして悲鳴のように大声をだす。 「おお! これは! おお、なんという! そんな、こんな! ありえない! おお!」  オルネッタとギャロウグラスの会話は打ち切られ、宿の従業員の対応に追われた。  部屋の修理代は、城への請求書で解決した。  もはや一刻の猶予もない。  二人は積めただけの食料を持って、馬車を宿屋から出した。  左腕にコンセリアートルの鎖を巻いたまま、ギャロウグラスは御者台で手綱をさばく。  馬車が勢いに乗ってから、ギャロウグラスが大声で言った。 「特別報酬の内容を決めましたよ、オルネッタ!」  その声はいままでにないほど活き活きしているようだった。  オルネッタはぎょっとして戸惑う。 「い、いまそんな話をしている場合ではないでしょうっ!」  ギャロウグラスは構わず続けた。 「あなたの純潔をいただく、オルネッタ!」 「えぇっ! そんな……、でもあなたは……」 「これをわたしの最後の仕事とする! エリオネルどのを救えたら、それに恩を着せてコンセリアートルを引き継いでいただく! わたしは自由だ! あなたを抱く!」 「そ、そんなこと無理です! わ、わたくしは……」  オルネッタの否定を打ち消すようにギャロウグラスは笑った。 「わたしはあなたが好きだ、オルネッタ! いままで出会ったどんな女よりも! だから汚い取引も厭わない!」  ギャロウグラスは手綱をさばいて馬の速度をあげながら叫んだ。 「わたしはあなたで童貞を捨てる! 白皙のオルネッタァ!」 「大きな声で変なこと言わないでっ!」  オルネッタは客室の薄闇のなかで、真っ赤に茹であがった。  危機に陥ったとき、逆に明るくふるまう種類の人間もいる。  ギャロウグラスもそうだった。  ギャロウグラスは心の底から楽しそうに笑って手綱を握る。  その楽天的な様子に、オルネッタのざわめいていた胸中は徐々に安らいでいった。 「ギャロウグラス……」  オルネッタはひっそりとつぶやいた。  ギャロウグラスへの信頼で、オルネッタの身内に安堵の温もりが広がっていく。  この男なら、なんなく事件を解決してしまうかもしれない。  オルネッタの気分も楽天的になってきていた。  二人の乗った馬車は速度をあげて、暗雲の垂れこめる戦地へ、まっすぐ突き進んでいった。  人里を離れ、二人の乗った馬車は幅の広い山道を進んでいた。  折しも向かい側からもう一台、頑丈そうな作りの馬車が向かってきていて、これからすれ違おうというところだった。  戦地が近づくと、人の往来が激しくなる。  騎馬の者、徒歩の者、馬車、荷馬車、こんな山道でも多くの人々とすれ違っていた。  道幅には余裕がある。  今度も危なげなくすれ違おうとしたとき。  向かってきた馬車が内側から爆ぜた。  バラバラに飛び散った馬車のなかから、何匹もの黒い魔物が襲いかかってきた。 「なにっ!?」  自分の恋に浮かれていたものか、ギャロウグラスは完全に不意を突かれた。  魔物に飛びつかれて御者台から転げ落ちる。  そこへさらに魔物の群れが殺到した。  馬車の屋根が引き裂かれて魔物が顔を覗かせたとき、オルネッタはやっと事態を把握した。 「イヤァッ!」  悲鳴も虚しく魔物に捕まる。  オルネッタを捕らえた魔物は皮の翼を打ち振るって宙へ舞いあがった。 「ギャロウグラス!」  オルネッタは叫び、眼下にギャロウグラスの姿を探した。  ギャロウグラスの身体は魔物の群に覆われて見えなくなっている。 「イヤァ! 離してっ!」  オルネッタは手足を振るって抵抗した。  しかし魔物が口を開き、舌先にある針でオルネッタの首筋を刺す。  麻痺毒が流れ込んで、オルネッタの意識は急速に遠のいていった。 「ギャロウ……グラス……」  つぶやきとともに最後に見た光景は、馬車の残骸を引きずりながら逃げていく馬たちの姿だった。  薄暗く、生暖かい場所で、オルネッタは意識を取り戻した。  懐かしい腕に抱かれているような感触は、オルネッタに快い。  目を開けてみれば、そこには愛していた兄、エリオネルのかんばせがあった。  しかし、端正なその顔には表情がなく、恐ろしいまでにうつろだった。  しだいに顔の周囲が目に入り、それがどんな姿をしたものなのか、オルネッタも理解した。  赤黒い肉の壁。  そこにエリオネルの顔だけが突きだしていた。  肉の壁からは何十本もの長い腕が生えていて、虚空をまさぐっている。  オルネッタはその怪物の腕に抱かれていたのだった。 「イヤァァァッ!」  オルネッタの口から絶叫がほとばしる。  身体な何本もの長い腕でつかまれ、身動きできなかった。  肉の壁と腕がうごめく中央で、うつろなエリオネルの口が開いた。  抑揚のない平板な声で言う。 「騒ぐな、騒ぐな、オルネッタ。わたしだ、エリオネルだ」 「お兄さま! こんなの悪夢です! 元に戻って!」 「わたしはこの姿となることで勝利を得た。おまえもじきにこの素晴らしさを理解してくれるだろう……」  オルネッタは勇気を奮って声を出した。 「お、お兄さま、お父さまに助けを請いましょう。そのような姿、まともなわけ7ありません」  エリオネルは構わず続けた。 「やはりおまえだ、オルネッタ。わたしの花嫁にふさわしいのは」 「い、イヤ……」  震えるオルネッタの腹を、何本もの腕が撫で回した。  エリオネルがうつろに告げた。 「愛しいオルネッタ、婚姻の儀を執り行い、おまえには魔神の現身を産んでもらう。それが我らの運命」  賛同するように獣じみた吠え声があがった。  周囲には皮の翼を持った黒い魔物たちがひしめいている。  エリオネルの目的を知って、オルネッタは衝撃で口がきけなくなった。  エリオネルがずるずると動いて、わななくオルネッタを運ぶ。  そこに液体の注がれた石棺があった。  エリオネルは腕をうごめかせてオルネッタを石棺に押しこむ。  ここにきてオルネッタも抵抗した。 「イヤッ! やめてお兄さま! おねがい!」  エリオネルは容赦なく押さえつけ、別の腕で石棺の蓋を閉めていく。 「満月の夜まで、夢を見ながら身体を清めておいで、愛しいオルネッタ……」 「イヤァァァッ!」  オルネッタは暗闇のなかで絶叫したが、それも長くは続かなかった。  液体の甘い匂いが頭をくらくらさせ、意識が混濁していく。  変わり果てた兄との邂逅も早々に、オルネッタはふたたび眠りに落ちていった。    オルネッタは目覚めた。  白い満月が瞳に映る。  なんとか外界を知覚しているが、その心にはなにも感じない。  彼女は薬物の作用のもとにあった。  不気味な朽ちた闇の聖堂の前。  石畳が敷かれ、崩れかけた列柱の配された広場の中央にオルネッタはいた。  石の寝台の上、手足は枷でつながれ自由を奪われている。  一糸まとわぬ姿で、その白い肌には染料で禍々しい文様が描かれていた。  オルネッタを愛おしく見おろすように、肉の壁と化したエリオネルがそそり立っている。  その数多くの腕の何本かには奇怪なねじくれた錫杖が握られ、シャリシャリと音を立てていた。  広場に配された列柱には篝火が焚かれ、広場を妖しく照らし、その明かりのすぐ外には魔物がひしめいて、この禁断の婚礼を見守っていた。  肉の壁の中央で、うつろなエリオネルの顔が口を開く。 「これより婚礼の儀を執り行い、再臨への交わりを始める……」  取り巻く魔物たちが歓喜の吠え声をあげた。  そのとき、一条の鋭い白光が広場の中央に閃いた。  次の瞬間、なにものもいなかった場所に、人類の軍勢が姿を現していた。  先頭に立つのはギャロウグラス。  輝く十字剣を左手に掲げ持っている。  ギャロウグラスの隣には、剣を持ち、鎧で身を固めたフォルダム公タイグロイドが立っていた。  この二人の背後には、数えきれないほどの武装した軍勢が続いている。  ギャロウグラスはエリオネルの姿を見ても、動ずることなく落ちついた口調で言った。 「神聖なるコンセリアートルは斬るだけの武器ではない。星々の巡りが味方すれば、軍勢を隠すことも可能」  臨戦態勢に突入し、魔物たちが口々に威嚇の吠え声をあげる。  すぐにも乱戦になるかと思いきや、エリオネルが多数の腕を揺らして魔物の群をなだめた。  ついで、タイグロイド公爵が苦渋に満ちた声で言う。 「なにをしているのかわかっているのか、エリオネル。そのような姿になりおって。おまえは蛮族の軍を退けたものの、味方の軍まで殺しているではないか。せめてオルネッタを放せ」  エリオネルは育ての父をまったく意に介していない様子だった。  人間の軍勢と魔物の群がにらみあうなかで、ギャロウグラスだけを注視して言う。 「《調停者》、ルグヴィンの第三王子バーテイタスか」  ルグヴィンの第三王子バーテイタスこと、ギャロウグラスはエリオネルへ語りかけた。 「あなたもルグヴィンの血を引く者なのですよ、知っておられるかエリオネルどの。この遺跡を使い、闇の世界の力を手に入れられたのが、皮肉にもその証」 「いまさら知っても詮なきこと。どうでもよい」 「貴人としての矜持はもはやお持ちではないのか、エリオネルどの」 「どのみち《調停者》とは戦うことになる。その覚悟もなくこの姿になったと思うのか」  ギャロウグラスは目を転じ、横たわって人事不省のオルネッタへ語りかける。 「じつのところ、わたしはいままで人のことを想って戦ったことはない。ただ運命にしたがって与えられた職務を遂行していただけに過ぎなかった。だが、いまはちがう。わたしはいま初めて人のために、今宵、あなたのために戦おう、オルネッタ!」  その言葉とそこに込められた想いは、オルネッタの麻痺した心にも届いた。 「ギャロウ……グラス……」  オルネッタのうつろな瞳に涙が流れ、かすかなつぶやきが唇を割る。  それを皮切りに色彩と感触、思考能力がオルネッタのなかで一気に蘇っていった。  すべての状況を把握して、オルネッタは叫ぶ。 「ギャロウグラス! お父さま! おにいさまを助けてください!」  ギャロウグラスはコンセリアートルを右手に持ち替えて言った。 「約束は覚えてますねオルネッタ。わたしは仕事をするとしよう!」  エリオネルは表情のない顔のまま笑い声をたてた。 「フフフフ、この婚儀にはおまえのような者の魂こそ供物にふさわしい。よくぞ来てくれた。礼を言おう、おまえの死に! ものども、贄を捌くときだ!」  魔物の群れが吠え、津波のごとく襲いかかる。  人類軍も士気高く、雄叫びをあげてそれに応じた。  闇の眷属と人間との、壮絶な戦いが幕を開けた。  それはオルネッタを賭けてでの戦いでもあった。
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