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第6話童貞疑惑

「けっきょくこれでよかったのかもしれない。ここで食料を満載にしておけば、戦地についたとき、お父さまのお役にたてるかもしれないし」  馬車の客室のなかから、オルネッタは御者台のギャロウグラスへ話しかけた。  ギャロウグラスは前を向いたまま、平板な声で答える。 「しかしわたしは気に入りませんよ。大きな街にはそれだけ多くの人間がいる。大勢の人間のなかにはどんな輩が紛れているかわかったものではありません」 「珍しく心配症なことを言うのね」 「常識の範囲です。あなたがもっと質素であれば、小さい町や村で目立つことなく用事を終えられるのですが」 「ろくに洗ってもいない野菜を生のまま丸かじりするなんて、わたくしには無理です。安全で頑丈な宿の心当たりがありますから大丈夫です! 言われたとおりに馬車を進めなさい!」  ギャロウグラスは黙って馬車を進めた。 オルネッタとギャロウグラスの旅程には、大きな街へ寄る必要性が生じていた。  山賊集団から村を救ってやったのはいいものの、宴のどさくさ紛れで携行食のほとんどを食べられてしまったからである。  村人たちは日持ちのする野菜を持たせてくれようとしたが、オルネッタにしたら村人のようにそれを生でかじるわけにはいかない。  オルネッタのような貴族の口にあう日持ちのする携行食を、それも大量に必要とするならば、ジャエレンのような大きな街で一日潰して準備するほかはない。  いまオルネッタたちが向かっているジャエレンを過ぎたら、次にある大きな街は、まさしく戦場となっている街だった。  ギャロウグラスが渋ろうとも、もうほかにはない。  このあたりは道が整備されているので走りやすく、昼前にはジャエレンについた。  黒塗りの馬車は頑丈な外壁を抜け、石畳で舗装された街路を走る。  オルネッタは窓にシェードをおろし、隙間から外の様子を窺っていた。  やはり通行人のかなり多くがこの馬車に注目して見送っている。  フォルダムの馬車なのだから当然だろう。  飛び出してきたオルネッタの足取りは、ここでつかまれてしまうのに違いなかった。  しかし城からの追手に見つかる前には、こちらは戦場へたどりついているはずだった。  その点に関して、オルネッタは心配していない。  戦場についたら血のつながらない兄のエリオネルと。  エリオネルと……。  そこまで考えたとき、オルネッタの心は揺れた。  エリオネル一筋、果たして自分はそうでいられるだろうか、と。  男から初めて与えられた快楽の影響は大きかった。  そしてそれをしたのが兄にも劣らぬ美貌のギャロウグラスとなれば、なおのこと。  ギャロウグラスは頼もしく、奇妙でおもしろい男だった。  これだけの時間をともに過ごしたら、惹かれないわけはない。  オルネッタはここで心を引き締めた。  あれだけの変態性癖を持つからには、星の数ほどの女を知っているだろう。  ギャロウグラスは遊び人であり、さらにはさすらい人だ。  きっとすぐにオルネッタのもとから去る。  やはり自分に見合う相手はエリオネルだけだ。  オルネッタは自分にそう言い聞かせた。    オルネッタはギャロウグラスへ指示して、市場に近い高級な宿屋へ入っていった。  オルネッタの素性は隠す手立てもなかったが、お忍びであることを伝え、口止め料も払って特等寝室を準備させた。  二階にある豪華な扉の前で、オルネッタは躊躇した。  すぐ隣にギャロウグラスが立っている。  ギャロウグラスは自分の武器だという輝く鎖で編まれた袋を持ってきていた。  袋に浮かぶ形から、中には十字架のようなものが入っているようだった。  ギャロウグラスがその場を動かないので、オルネッタは冷たく言った。 「ギャロウグラス、あなたの部屋は隣です」 「これだけ広い部屋を二つもとる必要はありますまい」 「必要はあります。あなたを隣へ追いやるためです」 「なるほど」  ギャロウグラスは表情を変えずに続けた。 「わたしはこれからあなたのための美味い食料をかきあつめてこなければなりませんが、オルネッタさまはずっと部屋で過ごされるますよね」  オルネッタは怠け者みたいに言われて少し腹が立った。 「わたくしが外へ出られるわけないでしょう!」 「よかった。ではコイツを預かっていてください」  と、武器の入った鎖の袋を差しだしてくる。 「貴重なものです。じつのところ、村の一件でもコイツが奪われないかヒヤヒヤしたものです」 「泥棒の出る宿でもないけど、それぐらいしてあげます。わかりました」  オルネッタは袋を受けとり、すぐ落としそうになって両手でしっかり持ち直した。 「お、重い……、みかけよりずっと」 「まあ、武器ですから。それではよろしくおねがいします」 「わかりました」    ギャロウグラスが階下へ向かったので、オルネッタは部屋へ入る。  なかなかに調度の整えられた、立派な部屋だった。  それになにより、空気をはらんで膨らんだ柔らかそうなベッドがある。  オルネッタは袋を抱えてよろよろ歩き、ベッドの縁に腰をおろした。  袋の中身が気になったものの、細い鎖でしっかり口が閉じてあって、オルネッタの力では開けられなかった。  そんなものすぐに諦めて、ふかふかのベッドへ横になる。  ここまでまともな寝床は、城を出てから初めてだった。 「あぁー……」  安堵の吐息がオルネッタの唇を割ったといき、なにやら騒がしくなった。  複数の女の声がする。 「ギャロウグラス……!」 「ギャロウグラス……!」  ギャロウグラスの名が呼ばれていた。  オルネッタは飛び起きて窓辺へ行き、窓を開けて下を窺う。  四、五人の町娘たちに、ギャロウグラスが取り囲まれていた。  娘たちは知り合いのようで、しきりにギャロウグラスを誘っている。 「ギャロウグラス、来るなら教えてよ!」 「ギャロウグラス、今夜ヒマだよね?」 「ギャロウグラス、飲みにいこう!」  その光景を見て、オルネッタは深い溜息をついた。 「はぁー……」  ギャロウグラスがジャエレンに来るのを渋ったのも、なんのことはない、昔の女が大勢いるからということだったらしい。  どうするのかと思っていたら、ギャロウグラスが冷たく言い放った。 「何度も言いますが、お嬢さんがた、人違いです。わたしはそのような名ではありません」  途端に強烈な破裂音が響いた。  町娘のなかで体格がよく、ひとり腕組みしていた女が、ギャロウグラスの横っ面をひっぱたいていた。 「クズ! サイテーのドーテー野郎が!」  その女は周りに聞こえるようにまくしたてた。 「コイツは女に乗れない童貞だよ! あんたたちだってそうだろ、卑猥ないたずらはされても、コイツを味わったことはあるかい?」 「そういえば……」 「わたしも……」  娘たちは口々に同意する。  これはオルネッタにも意外だった。  ギャロウグラスはあれだけの変態でありながら、ここの娘を誰一人抱いてはいないらしい。  体格のいい女は続けた。 「そのうえ今じゃフォルダム家の飼い犬になってお高くとまりやがって! アタシたちには見向きもしないつもりだよ!」  対するギャロウグラスは直立不動のまま、静かに告げた。 「見向きもしないというの確かです。わたしは別人ですから」  これを聞いて町娘たちも呆れ果てたらしい。 「犬!」 「最低!」 「クズ!」 「童貞!」  捨て台詞を吐いて次々去っていく。  ギャロウグラスは娘たちを見送ったあと、急にオルネッタのいる窓を仰いで肩をすくめてみせた。  オルネッタが見ていたことに気づいていたらしい。  オルネッタは恥ずかしくなり、急いで窓を閉めた。  部屋の奥へ向かいながら考える。  ギャロウグラスは本当に女を知らない身なのだろうか。  確かにオルネッタ自身も貫かれていないし、ギャロウグラスが約束を守るなら、今後も本当の男と女の関係にはならない。  しかしなぜだろう。  勃たないわけでもなく、性欲がないわけでもなく、度胸がないとも思えない。  あれだけの変態でありながら、ギャロウグラスは本当に女を抱かないのだろうか。  聞いたところでまともに答えるとも限らず、どこまでも謎めいた存在だった。  どのみち去っていく男のことだ、とオルネッタは考えるのをやめた。  放っておいてもどうということはないだろう。  オルネッタは再び、今度はじっくりと、ふかふかベッドの柔らかさを味わった。
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