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第1話 義兄との日常

   朝目覚めると、既に起きていた狼が、筋肉質でしなやかな裸体に、黒いスウェット(勿論下着は穿いているだろうけれど)に、白いシャツを羽織っただけ……という姿で、朝食の支度をしていた。  隆起した胸元がちらりとシャツの間から見えるのは、朝っぱらから大人の男の色香が漂いセクシー極まりないショットだが、不思議なことにわたしも狼も、夜のような欲情をぶり返すことなく、話題にすらのぼらない。  まるで夜限定の欲情というように、わたしも狼もやけにすっきりとした顔の義兄妹に戻っている――それがわたし達の日常である。 「もう少しで出来上がる。座っていろ」 「あ、だったらわたし、珈琲いれるね」  すれ違いざま、わたしは背伸びをして、小窓から差し込む陽光に胡桃色の髪を煌めかせる狼の、跳ねた髪を直してあげる。 「さんきゅ」 「今回はこの色が長いね。前みたいに青とか赤とか緑とかじゃなくて似合っていいけど」 「ははは。あの色は失敗だったな」  口にするとまるで信号機の色合いだが、原色ではなくどちらかと言えばそちらに近い色であって、男くさい美貌を持つ彼に似合う色ではあった。  ずっと黒髪のままで染色したことがないわたしには、なぜ狼がころころと髪の色を変えたがるのか、理解できない。お洒落さんなのかと思っても、服はいつもシンプルだし、特段流行り物のアクセサリーなどをするわけでもなく、影響される友達がいるわけでもなく、鍛えられた肉体の方でひとを強制的に魅了させる男臭いタイプだ。  染髪しているとハゲるよと言ったら、怒られてしまったけれど。    朝食は、分厚いピザトーストとスープとサラダ、そしてふたりブラック珈琲。  たわいない会話で笑いながら、朝のひとときを過ごす。    ふたり暮らしには広い3LDK。高級賃貸マンションの最上階、しかも東京の景色を一望出来る最高のロケーション。リビングは二十畳あり、高級家具が揃っている。  これは決して、派遣のわたしが働いたお金で賄いきれるものではない。    両親がいないわたし達が、今まで生活に困ることがなかっただけのお金を、どうやっていつも狼が稼いでくるのか……、実は経営者らしい。   ――遺産と、俺の仕事。BARの経営。シャチョーなの、俺。  元々、狼は頭がいいのに、大学に行かずに夜の仕事をして、わたしを養ってくれていた。 ――大学は行くつもりはなかった。群れるの、好きじゃないから。  昔は朝方まで帰ってこない時が多々あり、時折女物の香水の匂いをさせてきて、思春期真っ盛りのわたしは、それが嫌だと泣いてわめいたことがあった。すると、彼は経営側になることで夜中は家に居るようになり、その結果、身体の関係を持つようになった……ともいうべきか。因果関係がないとは言い切れないだろう。    こんなイケメンで家事も出来るしお金も稼げるのだから、競い合うように恋人がいてもいいし、もう結婚していてもおかしくない彼が、いまだ独り身でいるのは、あまりにこの義妹に縛られすぎているせいだ。それをわかっていていまだ解放しないのだから、悪い女だと心底思うけれど。 「義兄さん。今日は念願の給料日だから、夜、美味しいもの食べにいかない?」  化粧をして髪を結い上げ、ぱりっとスーツを着ると、精神も大人びた気がする。 「あ……今夜は少し遅くなる。打ち合わせがあって」    重役出勤の狼は、ソファにゆったりと座ってテレビを見ているようだ。 「だったら、ご馳走作って待ってる。勿論生活費とは別にね」 「了解。でも本当にいいんだぞ、生活費入れなくても」 「ぐはっ、そういう甘やかしが、義妹を駄目にするから!」  すると狼は目を細めるようにして笑うと、気怠げにわたしを見上げながら言った。 「ずっと俺の腕の中で俺だけに甘えて、俺がいなければ駄目になってしまえばいいのに……、とは本気で思うよ」  そんな言葉を夜、こんな風に真顔で吐かれたら、きっとぐだぐだになってしまうほどに、わたしは甘えてしまうかもしれない。夜の狼は蠱惑的なフェロモンが凄いから。  そんなことを思いながら、陽光に包まれたわたしは茶化して軽く弾く。 「……うわ、タラシの義兄さんだ~」 「はははは」  そんな笑い声が聞こえる朝の一幕に、テレビのアナウンサーが水を差してくる。    『――これで通り魔的連続猟奇事件は、今月に入って六件目。被害者はすべて若い女性で、血を抜かれているのは、変わりありません。皆さま、夜道にはお気をつけ下さい』  注意喚起を朝から流すアナウンサーや記者の努力のおかげで、この猟奇事件の知名度は確実に高まったといえるだろうが、それでも事件は依然起き続けている。  二ヶ月前の四月中旬から起きた、都内点々と獲物の血を啜るという謎の吸血魔。  マスコミが連日、『吸血鬼』などと面白おかしく騒ぎ立てるおかげで、わたしまでここ最近、もう二度と見たくもない吸血少年の夢を、毎夜見続ける羽目になっている。  昔から繰り返し見るあの悪夢は、毎回夢の中のわたしは展開を知らない。  あれだけ見ているというのに、危機感を持たずにあの館の中を探し回るのだ。  誰を探していたのかわからない。  あの少年をなんと呼んだかわからない。  ……所詮は、わたしの潜在意識が作りだした虚構――そう思えども、あの悪夢を見ることで、確実にわたしの寿命は縮んでいるような心地すらする、後味の悪さ。   「給料、たまには自分のことに使えよ?」  ソファの低い背もたれに、広げた片腕を乗せて、狼はテレビを見ているあたしに顔を向けて言った。 「ありがとう。でもね、もしかして来月正社員にして貰えるかもしれないから、その時なにか買うよ」 「じゃあその時は、買い物に俺も連れていけ。一番高いものを見繕ってやるから」 「正社員でも狼の給料とは違うの! 慎ましやかに、これわたしの信条(モットー)だから!」 「はいはい。ほら、もう時間だ、遅れるぞ?」  わたしは壁にかけられている時計を見て飛び上がる。 「遅刻したら正社員にして貰えないっ、行ってきます!!」 「気をつけていけよ」  狼は笑って手を振ったが、わたしは振り返す間もなく全力疾走で駅まで走った。 
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