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序章 1

   わたし――遠野(とおの)真白(ましろ)は、昔からよく見る夢がある。  それは、青白い満月が闇空に浮かぶ夜、高い位置にある飾り窓から漏れる月光を浴びたわたしは、誰かを探してどこかの建物を歩き回っているところから始まる。  古い洋館の中であるような、錆び付いた華美さが延々と続く薄闇の回廊。    息を切らして広間に出ると、月光を取り込んだ天井のステンドグラスから、色取りとりどりの光を浴びた小さな身体の誰かが、黒い影を積み上げた大きな山の前にいるのだ。  噎せ返るような悪臭。  まるで魚の腐った腸の匂いのような。  わたしは、この景色の中で唯一動くそれ――小さな少年に声をかけた。  身長的に言えば、十二歳前後だろうか。 「――――」  わたしの口から出た固有名詞に、少年は、こちらを向く。  闇色の髪。  金色に光る瞳。  口から生えた鋭い双牙。  ……牙から滴り落ちる真紅の滴。  彼が両腕に抱いていたもの――それは、まるで情事の名残を思わせるはだけた着物姿の女だった。その艶めかしくも白い首筋には、ふたつの小さな陥没があり、そこから真紅の液体が弧を描いて勢いよく迸っていた。  それだけではない。  背後に積まれていたのは、ひとの屍だったのだ。  そう――。  それらひとつひとつは、首のふたつの小さな陥没から真紅の血を流して、恍惚な表情で息絶えていた。  わたしの身体は恐怖に引き攣る。  この惨劇を引き起こしたこの少年は――吸血鬼(ヴァンパイア)の化け物だったのだ。  少年が血まみれの手を差し伸べる。  わたしの口から迸る、拒絶の悲鳴。  しかしそれは無音にて、代わりに景色にぴしりぴしりと皹が入る。  叫んでいるわたしごと、まるで一枚のステンドグラスの一欠片であったように、ひび割れた場面はやがて、ガッシャーンと儚い音をたてて、木っ端微塵に弾け飛んだ。  ――暗転(ダークチェンジ)。 「きゃああああ!!」  わたしは悲鳴をあげて飛び起きた。  吸血鬼を見た感覚、砕け散る感覚がまだ身体にリアルに残っているようで、震えと荒い息づかいが止まらない。  声を出せたこの世界が現実だと思えば、少し呼吸が楽になる。 「また、悪い夢でも見たのか?」  そう心配そうな声をかけ、わたしをその逞しい胸に抱きしめたのは、血の繋がりがない義理の兄、(ろう)だった。  少し癖ある茶色い髪。  精悍に作られた、端正な顔。  目尻がすっと伸びたその目の……狼のような琥珀(アンバー)の瞳は、彼の名前の由来だという。    わたしより六歳年上の彼は、三十代だと思えぬほど若々しく、それでいて鋭さを秘めた切れ長の目は、もっと年上のようにも思える。   「いつものか?」 「うん。いつもの……子供の吸血鬼の夢。なんでそんなホラー見るようになっちゃったんだろう。まったく知らないのに」  すると狼がなんとも苦しそうに目を細めてわたしをベッドに押し倒した。 「……俺が塗り替えてやるから」  それはいつもの、夜長になる合図――。 「うん。塗り替えて、今夜も……義兄(にい)さん」 「ああ。また、俺の腕の中で羽ばたけ、真白」  わたしは義兄に甘える。  わたしの知らない家族を、わたしの過去を知る狼に。
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