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第39話 それは夢か現実か

 生きた心地がしないとは、こういうことを言うのだろう。  例えるのなら、安全具が外れたまま走るジェットコースターに乗っている気分か。  或いは、腹を空かせたライオンと一緒に、高速道路を走るトラックの中に入れられている気分か。  リクは狼との戦いで、卓越した身体能力があるのは既にわかっていたからいいとして、このマスターとやらの跳躍力と移動力はなんなのだ。  ここは夜空の真下。足場すらよく見えないのに、下や周囲を見ることなく追いかけてこれるのは、まるで追跡型ロボットかサイボーグかのようだ。  瞬きをしていないような赤い双眸をわたし達に向けて、猛速度で一直線に追いかけてくる、この不気味さ。  ……どうしてリクは、わたしの頭を後ろにして担いだのだろう。  せめてリクと共に前を向いていたら、ここまで恐怖しなかったはずなのに。  だから目を瞑ったのだが、やはり怖くて目を開いて状況を確かめようとすれば、先刻よりマスターの顔がアップになっていることに気づき、短い悲鳴を上げた。 「リク、早く、早くっ! 追いつかれる!」  わたしは、早馬で駆けるが如く、リクの背中を手でバンバンと叩く。  マスターと目が合った。  するとマスターが、にぃっと両口端を持ち上げる。  その口の大きさは、まるで口裂け男のようだ。  完全萎縮するわたしの前で、マスターはゆっくりと口を開く。  そこにあったのは――鋭利な双牙だ。  丸みを帯びて迫り出たそれは、下唇を貫いてしまいそうなほど長く、先は鋭い。 「ひぃぃぃっ、吸血鬼っ!!」  そう騒ぐわたしは、マスターの赤い目から目をそらせられない。  怖いと思うのに。  逃げなきゃと思うのに。  炎のような赤い光が妖しく揺らめき、わたしの意識を揺らいでいく。    わたしの視界が歪み、ぴしり、ぴしり、と皹が入る。  それはまるで悪夢から現実に強制帰還する時のように。  景色がステンドグラスのような色とりどりの平面調のものとなる。  リクの顔、マスターの顔すら、ステンドグラスのひと欠片になる。  そして。  わたしの視界は――砕け散った。  ガッシャアアアンと儚い音をたてて。  気づけばわたしは、あの夜の洋館を彷徨っていた。  走れども走れども、代わり映えのしない廊下と荘厳な装飾。  これは駄目だと、わたしの中のわたしが叫ぶ。  このまま走れば、あの広間に行き着くと。  これは夢。  夢を夢だと自覚出来る明晰夢(ルシード・ドリーム)。  そう思うのに、現実が砕けてしまったら、なにが夢でなにが現実なのか。  わたしの足は、心の制止に反して止まらない。  ただ急いていた。    早く、行かなければと。  早く、守らなければいけないと。  ……守るとは、誰を?  惨劇の場に居合わせたリク? リクの家族?  それともわたしの家族?  狼?  わからないままに、わたしは走る。  一刻も早く、わたしが助けなければならないと、裸足のままネグリジェを両手で摘まんで。  そして出てくる。  この途方もなく続いていた一本道の終焉。    月明りが、ステンドグラスを通してその場を照らし出す。  生臭い匂い。  積み重なるなにかの山。  その惨劇を作った……その小さな影がある。 「――そうだ、上手いぞ。それでいい」  ……この声は誰?  いつもの場面に切り込む、この不確定分子はなに?  歪む。  歪む。  否、歪んでいる夢が正される。 「でも僕、こんなに飲めないよ」 「いいんだ、飲め。飲めばお前は成長する。私の血を縛る忌まわしき――…の飼い犬の不知火の術が、お前の血の衝動に破れる。お前はあいつらに復讐を誓う我が器として成長を早めよ」  ……狼と誰? 「あ、真白」  小さな子供はそう、わたしに手を差し出した。  わたしは、ロウと名前を呼んだ。 「僕、真白お姉ちゃんをお嫁さんに出来るくらいに、早く大きくなるからね。絶対、あいつになんか渡すものか」  煌めく牙。  口の周りを真紅に染めて、無邪気に……そう、ひたすら無邪気に。  そうだ。  わたしが知っているロウは、。 「ね、?」  彼が無邪気な顔を向けた先にいたのは――。  景色が……またぴしり、ぴしり、と皹が走った。  凍り付いた景色は、ステンドグラスとなり、そしてそれはわたしの悲鳴で砕ける。 「真白、しっかりしろ!!」  ……リクの声で戻る。  あれが悪夢であるのなら、ここは真実の現実だと信じたい。   「ここは……」 「高架下だ」 「あれ、あいつは……?」 「必死で振り切った。というか、雨に助けられたようなものだが」  気づけば雨の音が聞こえる。 「雨が降ると、なぜかあいつらはおとなしくなる。なぜだかはわからないが」 「……。そういえば事件も、かならず晴れた夜に起こっているんだったよね」  どこかの番組でやっていた。  どれも雨が降っていないのに、証拠が綺麗に流され、存在しないと。
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