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第28話 吏玖の吸血鬼考

――……僕のベッドで、添い寝を。  冗談なのか本気なのか。    添い寝、だけを彼は求めているの?  それともそれ以上を求められていて、添い寝は口実?  吏玖の手がおずおずと伸びて、固まるわたしを彼の胸の中に入れた。  吏玖の身体の中で、わたしはふわりとリクの匂いを感じ取る。  甘くて、攻撃的な、男の香り――。  リクを思い出すこの匂いで、彼の強さと熱をひとりの男のものとして感じた。  吏玖の抱擁の中で違う男に欲情することで吏玖を男として意識するわたしは、狼に抱かれながらリクに欲情したあの時から、なにひとつ変わっていない。  わたしは相変わらずに浅ましく。    だけど欲情とはまた別の、甘美な痺れるようなものが心にある。  彼に抱きしめられ、身体の熱が心に零れて広がったかのような、どろりとしたものに侵蝕されていく感覚。  吏玖に対する愛おしさと切なさの海に、溺れているような感覚――。  吏玖に触れてみたい。  快楽がなくてもいいから、彼と熱を共有したい。  それはリクにも持ち得なかった不思議な感情だった。  わたしの手を吏玖の背中に回して、もっとくっつきたい。  もっともっと距離をゼロにして、彼の熱を直接感じ取ってみたい。    震える指先が彼の背中に回ろうとした時、吏玖がわたしの頭を撫でるようにして身体を離すと、困ったような顔をして謝罪した。 「ごめんなさい。まだ酒気が抜けていないようだ」  そして冷めた紅茶を一気飲みをして、長いテーブルの上に置かれたリモコンを手にすると、壁にかかっている……というか、それだけで壁になっている巨大なテレビをつけた。  テレビから、どっと沸いた複数の笑い声が聞こえ、お笑い芸人がなにかを喋っている。  突然の喧噪が、なにかの終わりを告げたような気がした。 「真白はどんな番組が好きですか?」    謝ることで抱擁の事実すらなかったことにしようとするような、彼の冷然とすら思える他人行儀な横顔を見ながら、わたしの中であれだけ沸騰していた血潮が少しずつ冷めていくのを感じていた。  そうか、酒のせいだったのか。  彼の本心ではなかったということに、わたしは落胆しているらしい。  ゼロの距離だった彼とわたしの間には、子供がひとり入るくらいの隙間が空いている。  それが当然の距離だと思うのに、ほんの僅かなこの隙間を無くすことが出来ない自分に苛立ちを感じている。  そうか、酒のせいなのか。 「……ニュースを見たいです」 ――僕は……あなたの環境に同情して、あるいは気まぐれで、あなたをこの家に呼んだわけじゃない。 「了解です。どれがいいかな……」  すべては酒のせいなのだ。 ――……僕を、男として意識して下さい。  彼は上司で、わたしが助けるべきひとなのだ。  ワタシハカレノタメニイキルノ。  深呼吸をして、わたしもいつものわたしに戻るように努める。  悟られてはいけない。  彼を男として意識して身体を熱くさせ、ドキドキしてしまったことを。 「あ、それでもいいですか?」  それは丁度、あの猟奇事件について特集を組んでいるものだった。 「これに興味があるんですか?」 「はい。一応女なので」  昨夜も事件が起こっていたらしい。  しかも青山付近で三人の被害者だったらしい。 『初めてですね、一晩でふたりというのは。これについて興亜大学心理学研究センター所長の篠田教授によりますと、犯人の精神状況に変調を来したのだと……』  狼がこの犯人であるのなら、わたしと別れた後に女性を襲っていたことになる。  リク曰く、狼が荒れていたというのを考えれば、いつもより多い被害者を出したのはそのせいもあるかもしれないけれど、狼はわたしを探していたのではなく獲物を探していたことになり、なんだか複雑だ。 「殺してでも捕まえればいいのに……」    吏玖が、憎々しげな眼差しでテレビを見てそうぼやいた。  彼の口から殺すという言葉はあまりに物騒過ぎて違和感がある。 「殺すこと、出来るでしょうかね。相手は吸血鬼かもしれないのに」  殺させたくないと思う、狼は。  わたしがいないのなら、吸血衝動が止まればいいのに。 「真白は、その吸血鬼にどんなイメージを?」  黒い硝子玉のような瞳がこちらを向いた。 「吸血鬼と言ったら、牙を出してマントを着て、コウモリにも変身出来て、暗いどこかの洞窟で棺桶の中に眠っている……そんなイメージです」  ……当たり障りない、一般的なことをわたしは言う。 「日光と大蒜(にんにく)と十字架や聖水に弱くて、心臓に大きな釘を打ち付ければ死ぬんでしたっけ? 鏡にも姿が映らないのも聞きますね」  すると吏玖は笑った。  ぞっとするほど冷たい顔で。 「そんな吸血鬼が事件の犯人だったら、もっともっと被害が出ていると思いませんか? 毎回あまりひとが通らないような暗がりで女性を襲わなくても、暗くなれば渋谷でも新宿でも、多くの女性が夜でも集まる雑踏を狙えば、飲み放題だ」 「確かに、そうでしょうが……」 「しかし被害はいつも繁華街から外れたところだ。まるで繁華街でナンパでもして女性を暗がりに連れ出して、いるようだ。そう考えたら、吸血鬼というものは男性で、夜の街に精通しているのかもしれませんね。案外水商売をしているのかもしれない」  ……でも狼は夜中は家に居た。  ダケドネテイルアイダハワカラナイ。 「それに吸血鬼の弱点がそんな古典的なままではないと思います。人間でも吸血鬼でも種の保存本能がある。吸血鬼がどうしても人間の世界に生きていかないといけないのなら、人間に擬態する必要がある。だとすれば、そんなあからさまな弱点は克服しないといけない」  やけにはっきりと吏玖はいう。 「でも吸血鬼は何歳生きるかわからないし、そんな簡単に克服は出来ないんじゃ……」  わたしは彼の意識が狼から離れるように、無意識に援護してしまう。 「そこまで吸血鬼が進化できる生物ではないのだとしたら。それでも人間社会で生きて行かないといけないのであれば、こうも言えるでしょう。吸血鬼とは、人間が作りだした闇の部分だと。それを西洋のドラキュラ伯爵のように、魔物のイメージを植え付けただけ」 ――吸血鬼といっても、魔物ではない。魔物ではないが……普通の人間ではない。そういう点では、人外の存在であり、忌避すべき闇の一族だ、遠野家は。 「現代の、本当の吸血鬼という存在は、どこまでの人間の身なりをして、日光の元でも普通に歩き、大蒜も食べて、鏡にも姿が映っている。教会だっていけるでしょうし、十字架のアクセサリーもするでしょう」  ……狼もそうだ。わたしもそうだ。  まるで吏玖に、人間に擬態している吸血鬼だと糾弾されているような……、追い詰められた者特有の心苦しさを覚えた。
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