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第27話 温度差をなくしたい

   吏玖はわたしをじっと見ていた。  だから私もじっと見つめ返す。 「……あなたを家政婦にはしません」 「吏玖さん!」 「だけど深山さんも、家政婦にしているつもりはなかったんです。僕がこの家を留守にする間任せていたし、そしてあなたが来た時にはあなたにそんな負担をかけたくないと、そして、この家に深山さんも出入りすることになることに、あなたが変な気を回さないように、そういう言い方をしたと僕は思っているんですけれど」  吏玖は困ったような顔をして、深山さんも頷きながら眉尻を下げた。 「大体ここは僕の家なのに、僕がここに戻ってきたのなら、家のメンテは僕がすればいい。だからふたりがこの家を掃除をしたり、給仕のように料理をしたりなど……」 「副社長、それは駄目です。あなたは副社長で男性です」 「はい、深山さんに同じく。家のことをしたいとわたしも言っているんですし」 「だったらこうしませんか。家のことは分担制にする。そしてその分担が大変そうな時、手が空いているひとが手伝うというのは」 「賛成ですが、吏玖さんは動いちゃ駄目です!」 「そうです、副社長はここで偉そうに座っていて下さい」 「はは……。怖いなぁ……」  そしてわたしは居候の身ですべきことを、そして深山さんは長年の慣れでやった方がいいことを相談して決めた。  ……わたしにも仕事が貰えるのが嬉しかった。 「じゃあわたし、お料理担当しますね。味の保証は出来ませんけど、三分クッキングの自信はあります。三人分、頑張ります」 「あら、食事はわたしの分はいりませんわ。だって……そこがポイントですもの、ねぇ副社長」 「ポイント?」 「ええ、蜜月の。そこは絶対的にふたりきり、副社長もそれは譲らないと」  ミツゲツってなに?  吏玖に向いたが、吏玖は赤い顔で咽せていた。 「それに私は食事をあまりとらないし、好き嫌いが激しいので」  小食でそのプロポーション。  羨ましい。 「では、私は担当する磨きものは今日はしませんので、おふたりでごゆっくり。本日は私の家の掃除やらたまっていた洗濯をしていますので。なにかあれば、玄関のチャイムを三回鳴らして合い言葉を言いますので、念願の行為に夢中になりすぎて無視しないで下さいね」  深山さんはくふりと謎の笑いをして、なぜか拳を見せる。  わたしは合い言葉ってなんだろうと考えて、その後の言葉を聞いていなかった。 「どんな合い言葉なんですか?」  やはり気になって仕方がないために吏玖を見ると、顔から湯気を出しているかのように耳まで赤い顔で俯いている。 「吏玖さん!? お熱ですか!?」 「ふふふ、遠野さん、お気になさらず。きっとあなたもその熱が伝染して、熱い熱い夜になりますことよ。副社長、がっつきすぎないように」  深山さんは人差し指をびしぃっと吏玖に突きつけると、出て行った。  深山さんは時々、どちらが上なのかわからなくなる。 「深山さんって、面白いひとですよね。時々……いやかなり、謎の言動が多いですが」 「……謎か。僕は、彼女の方が押しが強すぎて恐喝されている気がして」  御曹司、秘書に恐喝される。  なんだかそんな新聞記事の見出しが目に浮かんだ。 「ということは、深山さんが副社長に言っている言葉は、副社長が望まれているものではないと?」 「……いや、それは……」  吏玖は揺れた目をわたしに寄越すと、あーだのうーだの言って、ため息をついた。 「彼女の気持ちは嬉しいのだけれど、いささか性急すぎる気もしないでもないような」 「はい?」  気怠げな上目遣いが色っぽいこと。  しかし彼は目を伏せ、またため息をついた。 「とりあえずは……同格になれるように頑張ります」 「同格?」 「はい。狼さんと」  そう言い切った彼の目は、強いものが浮かんでいた。 「狼は一般庶民ですよ? どう考えても吏玖さんの方が格上で……」 「客観的なものではなく、あなたにとっての主観的な意味です」  苛立ったような強い声に、意味がわからないわたしは狼狽する。 「言い換えれば、あなたと僕との温度差です」 「温度差? では、やはりご迷惑だったのでは……」 「そういう意味ではない」  吏玖はわたしの腕を掴んで言った。 「正直言えば、僕はあなたとの同棲に浮かれている。だけどあなたは……居候というスタンスを崩さない。その温度差をなくしたいんです」  ぎらりとしたその目は切ないほどまっすぐで、彫り深い美麗な顔が、優しい上司からひとりの魅惑的な男のものとなる。 「……僕を、男として意識して下さい」  どくん。 「僕は……あなたの環境に同情して、あるいは気まぐれで、あなたをこの家に呼んだわけじゃない」  どくん。  喉の奥がからからになる。  このひりついた感情は……欲情?  それとも、なんだというの? 「この家に女性が入ったのは、あなたが初めてなんです」  彼は苦しいように辛いように、その目をぎゅっと細める。  彼はなにを言っているの?  わたしに、なにを求めているの?  わたしが信用出来るから、家に入れたんじゃないの?  だけど声は出てこなかった。 「真白。なにか言って下さい……」  なんで……そんな泣きそうな顔をするのだろう。  そんなこと言われたら、わたし……心が絞られて勘違いしそうになる。  そんなこと、ありえないのに。 「……深山さんも入っているじゃないですか」 「彼女は……特別なんです」  特別な彼女。  どうしてこんなに心が抉られた気分になるのだろう。  わかっていたはずなのに。  だけど、吏玖の口から出る言葉は、わたしには痛くて。 「彼女が特別なら、わたしはなんなんですか?」 「あなたは……」  どくん。 「Te vagy az én szerelmes nőm」  わたしの知らない言語で、その意味はわからない。  きょとんとしてしまったわたしに、苦笑しながら吏玖は片手を伸ばし、わたしの頭を引き寄せるようにして、耳元に囁いた。 「……あなたが仕事をしたいというのなら、今日から毎日ひとつ頼みたいことがあります。あなたしか出来ないことです」  とろりと、熱っぽい眼差しを向けて甘く笑う。 「な、なんですか?」  吏玖の唇が、わたしの耳を掠めた。 「……僕のベッドで、添い寝を」  耳が熱い。  この心臓の高鳴りが、なにかが始まる開幕を告げたように思えた。     
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