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第26話 吏玖と深山さんとわたし

  「あ、吏玖さん。お台所使ってもいいですか? 深山さんにも紅茶を……」 「遠野さん、私は要りません」 「え、でも……」 「わたしと遠野さんは、立場が違うんです」 「いやいや、わたしと深山さんは同格というか、深山さんの方がわたしより上でしょう」 「いいえ? 仕事では経験が先にある分、先輩という形を取らせて頂いていますが、元よりわたしは、副社長の命だけで動いている身。言わば影。特にプライベートでは、私を給仕か家政婦だと思って頂ければ」 「ちょっと待って下さい。吏玖さん!」  吏玖を見ると、吏玖はわたしがなにを言っているのかわからないというように、首を傾げていった。 「でも床掃除は、深山さんには頼んでいないよね?」 「はい」 「仕事の内容ではなくて!」  どうしてこのひと、ずれずれなの! 「大体、ここの床ピッカピカじゃないですか」  すると吏玖が笑って、脱いだ背広の内ポケットからスマホを出して、リモコンのように画面の何かを親指で押した。  すると、出てくる出てくる。  もふもふの白い毛をした子犬が、尻尾をぶんぶん振って。  本物かと思ったが、四肢の下には丸い円盤があり、ウィーウィーいいながら、壁にガツンとあたれば方向を変えている。 「これは……○ンバくん!?」 「いえ、あれはガンバくんという子犬の精密機械です。うちの機械部が開発しているもので」 「いや、どう見ても既出の丸型お掃除機械の上に子犬のぬいぐるみが乗っただけで……」 「ガンバくんです。ほら、四肢を一生懸命動かして戯れて、可愛いでしょう?」  しかしどう見ても、円盤の上で玩具の子犬が滑っているようにその場で足踏みをしているだけで。  わたしは立ったままの深山さんを見上げた。 「あれ、お掃除機械の○ンバくんの上に、ぬいぐるみを置いただけ……」 「ガンバくんです」  深山さんはにっこりとして言った。  駄目だ、彼女も洗脳されている。 「彼らが有能なもので、僕の家は床掃除いらずなんです」 「は、はぁ。もしかしてリビング以外にも?」 「はい。僕がマンションに来れなくても、この一括作動ボタンは遠隔操作できて、この部屋にあるカメラを通して、ガンバくん達の様子が見れるんですよ。だからつい何度も動かしてしまって」  吏玖はとびきりの笑顔だ。  そして深山さんも、微笑ましいというような顔で相槌を打っている。 「癒やされるんですよ。一生懸命頑張っている姿を見たら、可愛いなぁと思うんですよね」  吏玖の感覚がずれているのか、吏玖の精神が疲れすぎているのか、それともわかっていてそう言っているのかわからないけれど、動く姿が可愛いのなら、あの犬のぬいぐるみは必要ないだろうと思う。頑張っているのは踏みつけられている円盤だ。 「ふぅ、今はこれで我慢しておこう」  吏玖がもう一度リモコン代わりのスマホの画面を押すと、ちりぢりに散って去って行く、通称ガンバくん達。  仕事を終えた彼らがどこに帰るのか、わたしは知らないし、知りたくもない。 「さて……」  吏玖が言う。 「お疲れのところ申し訳ないのですが、先に仕事の話をさせて頂きます。まあ確認ですね」 「はい」 「基本真白は僕に干渉してくる者達の顔や詳細情報を覚え、僕と行動を共にすること。僕はあなたと深山さんを専属秘書として相手に紹介し、中でも真白を第一秘書としてつけて行動します。社内や西宮寺についての大まかなことは、覚えてますか?」 「はい、覚えてます」  それは本社で吏玖と深山さんに叩き込まれたことだ。  あれで大まかだとすれば、どんなたくさんの人間達の上に、吏玖は立つことになるのかと身震いをしてしまう。 「よろしい。そしてあなたは秘書室に在駐ではなく、深山さんと僕のいる部屋に居て下さい。社内に用事がある場合は、深山さんの指示を受けてからにして、極力あなたは表に出ないこと。書類整理など事務的なもので補助が欲しい時は、手伝って貰うことがあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」 「わかりました」 「また、緊急事態が発生した場合、必ず僕か僕がいなかった場合は深山さんに連絡すること。深山さん以外は敵だと、そう思って頂いて結構です。警察を含めて」 「警察もですか!?」  すると吏玖は硬い顔をして頷く。 「はい。警察や公安の頂点や上層部には西宮寺の者がいますので。ちなみに代議士や裁判関係者も、西宮寺の者達が多くいますから、心を許さぬよう」  吏玖は、わたしが思った以上の過酷な状況にいるのかもしれない。  深山さんだけが信じられる環境ということは、深山さんは吏玖にとってはいなくてはならない特別な存在であり、なぜその存在を彼は家政婦として扱っているのか。  深山さんは美女だから、てっきり恋人や愛人関係だと思っていたけれど、それ以下の扱いを受けているのに、深山さんは吏玖の命に忠実に従っている気がする。  それでも。  新たに心許せるひととしてわたしが選ばれたとして、吏玖にとって深山さんの価値が変わらないところに、なにかもやっとする。  わたしは本当にいていいのだろうか。  彼と深山さんの信頼関係が強固に存在しているのに、そこにポッと出の第三者が入り込んで、本当にいいのだろうか。  わたしの生きる意味だと意気込んだけれど、それはあくまでわたしと吏玖の関係だけであって、周囲を冷静に客観的に見つめた場合、それはわたしの独りよがりの身勝手な思い込みにしかすぎないのではないだろうか。 「……真白?」    考え込んでしまうわたしに、吏玖の説明が届いていなかった。  それに吏玖が気づいたらしく、深山さんと共に訝りながらわたしを見る。 「わたし、本当にいても大丈夫なんでしょうか。わたし……お邪魔してしまわないでしょうか。吏玖さんと深山さんの関係を」  縋りたいと思って吏玖は今まで深山さんを選んできたのだ。  その深山さんを退けて、ここに大きい顔をしてわたしがいることに、そして深山さんがわたしにも仕える扱いをされることで、均衡が崩れないのだろうか。 「わたしだって、深山さんと同じ吏玖さんに仕える身なんです。だから、わたしも家政婦としての仕事を頂けないでしょうか」  ……わたしには無理だ。  先輩が働いているのに、ソファに座ってテレビを見ていることなんて出来ない。  わたしはそれじゃなくても好待遇を受けて、SJ総合商社に入れて貰えたのだ。  そして吏玖を助けるという生きる意味を貰えたのに。 「特別扱いが、辛いです」  ギクシャクするくらいなら、普通でいて欲しい。 「わたしがいることで、おふたりの信頼関係に傷を付けないで下さい。それくらいなら、わたしがこの家を出ます」    普通で。  普通で。  わたしを普通として扱って欲しい。  特別なんていらない。  特殊なんていらない。  わたしは、ただの人間の……遠野真白でいたいから。  ……恐らく根本は、そこの怖れに遡るのかもしれないけれど。
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