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第24話 すこしずつ縮まる距離

  「いや、しかしですね……」  これはやばいと身を捩らせるが、彼が離れない。 「上司命令です」  プライベートと自らが口にした空間で越権行為はいかがとも思うけれど、彼は返事をしないわたしに拗ねたようだ。  そして――。  わたしの手を吏玖は握り、指を絡めた。  それだけでわたしの心臓はぎゅううと鷲づかみにされたように痛くて苦しい。  この指の動きがいやらしく感じて、リクの指を思い出して息が乱れてしまう。  ドクドクと脈動が凄まじく、口から心臓が出てきそうだ。 「吏玖と呼んで下さい」  命令調なのにどこか縋るような頼りなさも感じたわたしは、深呼吸をして乱れた息を整え、とにかく彼を男に感じてやまないわたしの頭の中に酸素を入れた。  落ち着け、落ち着け。  彼はわたしの上司で副社長なんだから! 「あなたは……何歳ですか?」  そしてなされた質問は我ながら間が抜けているとは思ったし、実際吏玖も少し拍子抜けしているような感が窺えるが、ちゃんと堪えてくれた。手をにぎにぎしながら。 「……二十九歳です。真白さんは?」 「二十六歳です。では……ちょっと条件をつけていいですか?」  わたしからそう言われるとは思ってもなかったように、吏玖は怪訝な顔をしながら頷く。 「では、わたしの方が年下なので、わたしを呼び捨てして下さるのなら」 「随分と上下関係を気にするんですね、あなたは」 「はい。そう……育てられましたから」  義兄(ろう)に。  彼は基本放任ではあったけれど、なぜか上下関係にはきちんとしろと教えた。  そういう狼の上に(へりくだ)った姿は見たことはないけれど。  一部体育系だったために、そこらへんは仕事でもきちんと出来ていたと思う。 「では……契約成立ということで。真白と呼ばせて貰います」  その笑みが甘いこと。  なんで呼び捨て如きに、ここまで男の艶まで漂うのかよくわからない。  この(ひと)は生まれながらの、女を誘惑することが使命のエロい生き物だとしか思えない。  どろどろに溶けてしまいそうになるのを必死に押し止めて言った。 「はい、吏玖さん。契約成立、ですね」  契約成立、か。  なんだか上司に、しかも日本屈指の御曹司に擽ったさとか甘酸っぱさとかを通り越して、平謝りをしたい気分ではあるけれど、そこは言葉使いはタメ語にならないように気をつけたいと思う。やはり、礼儀は必要だから。 「ところで、吏玖さん。車はどこに向かっているんでしょうか」 「代官山です」 「代官山、ですか!? あのお洒落なお店が建ち並ぶ街の!?」 「はい、坂の上の小さなマンションですが。もうまもなくだと思います」  吏玖の予言通りそれからすぐ、車は停まる。  またもやピンポンパンとチャイムが鳴り、深山さんの声が聞こえた。 『せっかくのいいムードなのに無粋な真似をして申し訳ありませんが、只今、代官山のマンションに到着しました。なんでしたら、数十分後にお迎えにあがりますが、副社長』 「いや、後は家でします」 『畏まりました』 「では、行きましょう、真白」 「え? え?」  ツッコミどころがたくさんありすぎると、本当にどこを突っ込んでいいかわからない。  あまりにすべてがインパクトが強い言葉だったために、すべてがよく理解出来なかった。 「十五階があなたの部屋です。これが鍵」  そうにこやかに言われたのがエレベーターの中。  とんでもなく広い、ぴかぴかに磨かれた大理石風の白亜マンションで、中世の映画などで出てきそうなお城のようで、目で見えるすべてに高級感が漂っていた。  アノアクムノ、ヨウカンニモニテイル。  しかしそれは、ありえないという意志の力で抑えられた。  そして――。 「ここが、あなたの部屋です」  ワイン色のふかふかの絨毯を踏みしめ、案内された黒いドアの横にあるのは、表札。  『西宮寺吏玖』 「さあ、入って。狭くて悪いですけれど」 「あの……吏玖さん。ひとつお聞きしたいんですが」 「はい?」 「表札が吏玖さんの名前になっているんですが」 「ああ」  吏玖は鍵を開けながら笑った。なんでもないというように。 「ここは僕の家ですから。まあ大体は本家にいるので、セカンドハウスというものです。ですがあなたがここに住むことになったので、僕も今日からここに住みます。さあ、中に」  あまりの爽やかさとさらり具合に、焦ったわたしは叫ぶ。 「だったら、吏玖さんのおうちにわたしが居候するということですか!?」 「気になるのなら、差し上げますか? この部屋」 「そんなに可愛く言う台詞じゃないでしょう!? そういうことはさらっと言っては駄目です! 幾らしていると思っているんですか、ここのおうち!」 「さあ……。気に入らないなら、別のマンションを探しますか?」  こてりと首を左側に倒して吏玖が言う。 「だからさらっと言っちゃ駄目ですってば!」 「じゃあここに住んで下さいますか?」  今度は顔が右側に倒れる。 「う……」 「駄目でしたら、このマンションの権利書を……」 「わかりました、わかりました!! ここに居候をさせて頂きます!」  そう言った時、横にいた深山さんがにっこりと微笑んで言う。 「遠野さん、これは居候ではありません。です」 「へ……」 「それとこのフロアには副社長の部屋しかないので横に部屋はなく、また、ここは最上階なので上に部屋はなく。真下はわたしの部屋で隣近所にも部屋があります」 「だ、だったら深山さんの部屋に……」 「駄目です。1LDKでまことに狭いのに、縁もゆかりもないあなたをお泊めできません」 「そんな殺生な……」 「それとひとつ。互いに防音設備は強固ですが、営みは静かにお願いします」 「い、営み……」 「生殖行為のことです。正式名称で言いましょうか? セッ……」 「な、な、な! ……うわーん、言わないで下さい。なんで副社長とそんなことをしないと……」 「それは副社長が男性であなたが女性だからです。生殖行為について説明が要りますか?」 「わたしの負けです、深山さんごめんなさい!!」 「わかればよろしい。さあ、中に入ります」 「はい……」  ……いつから深山さんと、なんの勝負をしていたんだっけ? 「ぷ……くくく」  わたしと深山さんのやりとりを、吏玖が身体を震わせて聞いていたことも知らずに、吏玖の部屋に居候……ではなく、同棲することになったのだった。
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