21 / 72

第19話 再会した食えぬ男

「僕が居てはまずかったですか?」   可愛らしく首を傾げて見せながら、わたしから出たフルネームを肯定する彼は、背凭れからしてふかふかな高級革張りソファに埋もれることなく、長い足を組みながら、わたしをテーブルを挟んで向かい側の椅子に座るように促した。 「ちょっと待って下さい。わたしはSJ総合商社に来たんです。西宮寺グループではない。……あ、もしかして副社長という方と知り合いで、先にここに来ていたとか?」  彼はふっと笑みを零しながら、光沢ある黒い背広の内側から、見るからにブランドものだということがわかるロゴがついた、黒革の名刺入れを取り出して、わたしに渡した。  『SJ総合商社 副社長 西宮寺吏玖』 「ええええ!?」  わたしは仰け反った。 「ここ、西宮寺グループなんですか!?」 「ええ。だから、SaiguuJiで、SJの単純な社名ですが」 「すみません、エントリーをしておいてなんですが、わたしの調査(リサーチ)不足でした。御社は一般企業だと思っていました」  素直に白状すると、吏玖は笑う。  優雅に優しく。こちらがうっとりとしてしまうほど気品に満ちて。 「なんだ、僕はまた、あなたが僕のことを追いかけて、早々に会社にエントリーしてきたのだと思って、楽しみにしていたのに」  これが故意的でなければ無自覚のタラシだ。  だけどわたしは狼で慣れていたし、なによりここに吏玖がいるということだけで頭がいっぱいで。 「いえいえ、そんなことは全く考えていませんでしたけれど、世間は狭いですねぇ……」 「ははは、全く考えていなかったんですか?」 「はい、全く考えていませんでした。微塵にも」 「あなたに考えさせることが出来ないほどに、僕は魅力ないのでしょうか」 「多分、あると思いますよ。だけどわたしには、あなたより考えることがあっただけで」 「どんな? ……男性?」 「ええ、まぁ。と言っても、どうでもいい男達ですけれど、はははは」  すると吏玖もつられたように笑い出した。  愉快そうに、まるでリクが笑っていると錯覚するほどに。 「どうでもいい、男達なんですか。僕はまた、あなたが他の男性に抱かれたり、その一歩手前のような不埒なことをして、頭がいっぱいになっていたのではないかと、疑ってしまいました」 「あははは、そんなはずないじゃないですか」  はい、あなたと同じ顔の男に欲情して、朝の公園に誰もいなかったことをいいことに、彼の指でイッてキスにも感じてしまいましたなどとは、口が裂けてもいえない。なんでこのひとは、ひとの弱みを見つけて、こんなに鋭く突っ込んでくるのだろう。  さすがは財閥の次期当主か。  これはボロが出る前に話題を変えなければならないと、密やかに汗を拭いながら咳払いをして、笑顔で尋ねた。 「しかしお着物以外も着られて、会社で働かれるんですね」 「世間を勉強しなければいけませんので。スーツ姿、おかしくないですか?」 「いいえ、とてもお似合いです」 「そうですか……よかった」  照れたようにほんのりと頬を赤く染めて俯く様は、わたしなんかよりよっぽど〝お嬢様〟で、美しい。女を辞めようかしらと思うほどに、清楚で(しと)やかだ。  この様子では、切れ者には思えない。 「僕、真白さんに会いたかったです」  完全に笑顔で言われる言葉には、棘があるように思える。  つまり、彼を優しく温和な坊ちゃまという先入観で接したら、痛い目にあいそうな、そんな気がして仕方がないのだ。  リクも腹になにか抱えているけれど、等身大で自分の言葉で喋ってくれている気がするのに、この吏玖は笑顔の仮面を被って当たり障りなく喋り、わたしを走査しているような気すらする。それが切れ者の御曹司特有のものであるというのなら、彼の視界の中では、どんなに真新しいスーツを着ていても、わたしは丸裸にされてしまっているのだろう。 「どうもありがとうございます」  だからわたしも、心に壁を作りながら他人行儀に接する。  どう思われてもいい。  東京を出る時に、吏玖にまさか会うとは思わなかったけれど、これで最後だし。 「失礼します。お茶をお持ち致しました」  ノックをしてさっきのお姉さんが入って来た。  お姉さん、確かに至上最強の美形がここに居て、あなたはかろうじて嘘つきは返上しましたが、なんでそんなに意味ありげに一瞥して笑うんでしょうか。  お姉さんの綺麗な手によって、彼女が手にしていたお盆から、琥珀色の液体が入った白いティーカップが、テーブルの上に二客置かれた。 「さぁ、どうぞ。僕の好きなエクストラダージリンのセカンドフラッシュです」  なぜか吏玖が嬉しそうな顔でそう言うが、呪文のような名前を覚えきれないわたしも、営業用の笑顔でにっこりと笑った。短縮した名前で。 「ありがとうございます、ダージリン、頂きます」  促されて口に含めば、渋みが少ない。恐らくはダージリンの高級茶葉のようだ。  だったら最初からそう言ってくれればいいのに、カタカナばかりの名前はわたしは不得意だったりする。  いつもティーバッグの簡単紅茶しか飲んでいないわたしには、至福の味だ。 「いかがです? このエクストラダージリンのセカンドフラッシュはいいでしょう?」  まだ長々と言って庶民に自慢をしたいか。本当にこれだから坊ちゃまは。  ……なんて決して顔に出してはいけない。 「エクスト……ダージリン、とても美味しいですね」  やはりわたしには言えないらしい。  にこにこと無言で笑い合う奇妙な時間に、コホンとお姉さんが咳払いをする。 「彼女は秘書課主任。深山香里さんと言って、あなたの指導役にあたる先輩になります。わからないことがあれば、僕にでも彼女にでも」 「深山です。よろしくお願いします」  まるで絵に描いたような、後光が半端ない美男美女で上司と部下。  だけどちょっと待って欲しい。 「わたし、事務で応募したんですが、なぜ秘書課に……」  仕事を断るよりも、先にそれを聞いてしまうわたし。 「それは僕の一存です」  こともなげに、キラースマイル。 「一存と言われても、わたし秘書などしたことないんですけれど」 「それでもいい」  彼は目を細めて言う。  少しだけ、はにかんだように。 「秘書ならあなたを、僕の傍にずっと置いておけられる」  しかし言葉は、力強く……わたしの心に突き刺さってしまった。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!