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第13話 彷徨と惑い

 どこをどう彷徨したのかわからない。  随分と歩いていた気がする。  人工的な夜光(イルミネーション)の海に溺れるような苦しさを感じながら潜り抜けたつもりでも、朝になっても尚、光を残す燐光(ルミネセンス)からわたしは逃れられない。  ひとの生そのものを呑み込んで生き続けるのが東京という恐ろしい街なのだと、実感するほどに、東京という迷宮に閉じ込められてしまったわたしは、行く当てのないまま、錯綜した道途を延々と彷徨(さまよ)っていた気がする。  どこまでも狼と暮らした東京から、わたしは東京から出ていく事は叶わず。  家なし子は、知らない公園のブランコから、昇る太陽を見上げていた。  せっかく髪を整えて、それに似合うはずの狼からプレゼントされた白いワンピースと赤いヒールを履いていたのに、ワンピースが泥がついてすり切れているのは何度も転んだからで、足に靴がないのは足が痛くなって捨ててしまったからで。  こんな最悪な日でも変わらず太陽が昇るのが恨めしくてたまらず、わたしは朝日を睨み付けるようにして声をたてずに泣いた。  わたしは太陽の下だってちゃんと動けているし、牙が伸びたことなんてなければ、血を呑みたいなんて思ったことはない。  風邪すらすぐに治ってしまう健康体で、十字架だって大蒜(ニンニク)だって平気だ。  毎朝鏡に姿を映していたし、教会だって平気だ。  ……どこからどう見ても、どう考えても、人間だというのに。  それなのに狼は否定しなかった。  わたしも彼も人間なのだと、すべてはリクの戯言なのだと、唾棄しなかった。  彼が件の猟奇事件の犯人で、吸血鬼だということも含めて。    わたしも、ひとを殺したことがあるんだろうか。  夢のようなリクとの出会いの裏で倒れていた女性にしたように――柔らかな喉元に、己の伸びた牙を突き立てて、吹き出す血潮で喉を潤したことが。  そこに至福さを感じたことが。  ぎしりと軋んだ音がして、隣のブランコが揺れる。 「大丈夫か?」    それは……わたしと狼との間に亀裂を入れたリクだった。  彼は綺麗な顔に裂傷を負い、ところどころ腫れ上がっていた。 「それはあなたの方でしょう?」  驚くわたしは、まだ肩からぶら下げていたバッグの中からハンカチを取りだして血を拭う。 「てて……」  痛みに顔を歪ませながら、それでもなんで嬉しそうに笑うんだろう、このひと。  痛みでおかしくなってしまったのかしら。 「その傷は、狼と?」 「……ああ。手加減なしに暴れるものだから」 「……狼を殺してないわよね」 「なに、心配なのか?」  リクはハンカチごとわたしの手を握る。  その部分が熱くて、心臓がうるさい。 「、わざとあいつを突き放したって? 自分にされたことよりもそんなにあいつがいいのか。まったく義妹ちゃんの献身的な逆説の愛には涙が出る」  笑いながらリクの暗澹たる闇色の瞳の奥には、なにかが揺らいでいる。 「……反吐(へど)が出そうなほどに」  リクがわたしに向けるのは同情でも同調でもない。 「お前達だけの微熱の世界なんて砂上の楼閣だ。痛い目にあって、ようやくそれがわかっただろう。現実はいかにシビアなものか。お前がいるのは、理想と平和が永遠に続くような、甘い世界ではない。それはあいつにも言えることだ」  わたしはリクの手を振り払う。 「もう一度聞くわ。狼は無事なんでしょうね」 「……一応は。だが幾ら再生能力が高くても、ここ数日は動けないだろう」  サイセイノウリョクガタカイ。  わたしにはピンと来ない。 「あいつは、手綱が切れて、その上におかしなものでも飲まされたような、暴れ狼だった。荒れるなんてもんじゃない。(つがい)を無くしたようなご乱心さ。この俺に傷を負わせるくらいには、手強い奴だ」  リクにとっては嘲笑うことかもしれないけれど、わたしには狼が怪我をしているとは、心が絞られるように痛い。  しかし、わたしがいないことで少しは悲嘆してくれているのだろうか……そう思うわたしは、なんて加虐的に根性がねじ曲がっているのか。離れることで、彼にダメージを与えられる義妹(そんざい)であったことを確認し、この期に及んで嬉しいなど思ってしまうなんて。  わたしは――人間ではないかもしれない。  生きていないのかもしれない。  そんな不安で不穏な思いよりも、いまだ狼と築き上げてきた世界を信じて求めるなんて、わたしはなんという愚かな女なのだろう。  同時に私が離れることで、狼の罪が無駄に重ねられていくことを防ぐことが出来るという思い上がりにも似た理由で、わたしは、自らが狼を使って刻んだ罪を消し去ろうとしている。  わたしは、そんな醜くもあざとい女なのだ。 ――まったく義妹ちゃんの献身的な逆説の愛には涙が出る。    そんなご大層なものじゃない。  ドウシテコウナッタノ。  他に方法がなかっただけだ。  他にどうすればいいのか、わからなかっただけだ。    ドウシテ――。
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