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第12話 さようなら

   狼の否定はわたしの砦だった。  ありえないと思うわたしを覆い後押しする鎧。  しかし狼がその鎧を剥がし、わたしは裸になってしまった。 「義兄さん、否定してよ!!」  わたしの絶叫が地下道に反響する。  狼の目はわたしを通り過ぎ、横に来たリクに向けられた。 「……不知火か。のはお前か?」  それは欲しかった言葉じゃない。  むしろ、そんな言葉は欲しくなかった。  そんな……悪事を肯定するような。 「わかっていながら食い散らかしたのか。見事に追尾の手から逃れて」  ねぇ、どうしてわたしを無視したところで会話をしているの?  「……ふっ、ひとを散々食い物にしてきた遠野の生き残りが、ひとらしい嫉妬に駆られて姿を現すとは、こんなに滑稽なことはないな」    ぎらぎらとした狼の視線にたじろぐことなく、リクの視線は凍てついている。 「真白を騙して……、夫婦ごっこでもしている気か。ああ、兄妹か、禁断のセックスに酔う」  狼がびくりと身体を震わせた。 「それとも、忌まわしい血を受け継ぐ子供でも孕ませようとしていたのか」  わたしの心臓が縮み上がり、身体がカタカタ震える。  込み上げてくる酸っぱいものを我慢するわたしの喉から、感情が爆ぜて出てくる。 「いやああああああ!!」  わたしは耐えきれずに、両耳を手で抑えて蹲った。 「真白……」  わたしは狼の手を払った。 「わたしに触らないで!!」  ……わたしと狼だけの小さな日常だった。  ずっと守っていたい、そんなささやかな日常――。 「わたしは……死んでいるの?」  わたしは、なんで生きているの?  わたしの脳裏に散らばった欠片が、ひとつの絵図を作る。  もしかして……。その仮定は確信に近く。 「ねぇ義兄さん。あなたがわたしを抱いていたのは……?」 ――お前に精を与えて、お前を自分の眷属として生かしたということだろう!? 「……そうなの!?」  自分で口にしながら、違うと否定されることを請い願う。  これはわたしの妄想なのだと、戯言なのだと、お願い。否定して……狼。  狼の握った手に力が入る。  ……だが、それだけだった。  今まで嘘をつくことがなかった義兄は、今、わたしに優しい嘘もつけない。  なんて薄情。  なんて無情。 「わたしは、一体なんなの……。わたしは人間じゃないの!?」  声が掠れる。  まるでわたしに宿っている仮初めの生気を吐き出すように。  わたしは、家族として愛されていたわけではない。  狼にとってわたしは……一体なんだったの。 「……わたしが敵の血を引いていたから? わたしが生きているとそう信じて生きてきたことを、滑稽だって嘲笑っていたかったの!?」 「真白、違うそれは……」  わたしは叫んでしまう。  言ってはいけないことを。 「、わたしを生かしてなにが面白かったのよ!!」  わたしはわたしに触れようとする狼の手を拒む。  ……ずっと離したくなかった優しい手を。 「わたしのすべてを壊したのは、あなたじゃない!!」  そう泣きながら吐き捨てると、狼が固まる。 「もう二度とわたしに触れないで!!」  絶望的な顔で――。  そんな演技なんていらない。  もうすべてわかったんだから。  演技をする気なら、少しでも否定して欲しかった。  わたしには家族の記憶がないから、狼が家族の敵だと実感は出来ない。  だけどわたしは――。 「狼に愛されていると思っていた」  それが一番辛かった。 「真白、俺は……」 「もうわたしは、なにも信じられない」  そう、狼に騙されていたという事実だけで、もう狼を信じられなくなった。  狼が吸血鬼だろうとなかろうと、そんなものはどうでもよかった。  彼が、死人のわたしを抱いていたと事実だけで、気持ち悪くて吐きたくなる。   「……狼のすべてを信じられない」  足元ががくがくする。  もう嫌だ。  こんな現実、こんな状況、すべて嫌だ。  義兄と交わることに抵抗がなかった……これは天罰なのだろうか。  誰か。  お願い、誰か。  わたしを助けて欲しい。  わたしはちゃんと生きているのだと、わたしは人間なのだと、そうわたしを安心させて欲しい。わたしから狼がいなくなった世界で、生きていけるのだと、わたしに信じさせて欲しい。  これが悪夢なら、どうかわたしを目覚めさせて。  お願い、本当のわたしを目覚めさせて。  そう願うのに、悪夢は途切れない。 「ふ……え……」  ぽたぽたと涙を零すわたしの手をきゅっと握るものがあった。  温かいそれは、かつての狼の温もりに似て。  ……リクだった。  こちらが駄目だからこちらにするという考えはわたしにはないけれど、夢が覚めない今のわたしが刹那に縋れるものは、生きた熱い血潮を持つ人間の温もりだった。  狼にさようならを。 「今まで……ありがとう」  わたしは頭を下げた。  狼がなにかを言って暴れているのを、リクが抑えていた。  もう、狼の声はわたしの耳には届かない。  所詮他人だったのだと、そんな薄情な心が芽生える。  わたしは狼に背を向けて歩き出した。  最愛の義兄と決別するために。  ……わたしのために化け物となっていた狼を、解放するために。  そのことで狼が、どう豹変してしまうのか……考えることもなく。        
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