9 / 72

第7話 謎の御曹司

   狼はまた引っ越しをする気らしい。  事件が近所でも起きて危険だからという理由はあるけれども、この家で監禁されるか、それとも見知らぬ土地に行くかと言われたら、健全な女性が閉じ込められるなんてまっぴらご免。  わたしも外は危険だとわかっているから、狼が外を出歩くなといわれたらそれに従いたい気分はあるのだが、狼は自ら監視役兼わたしを抱き続けて家にいるのなら、長を失った狼の会社の社員だって困るだろうし、わたしも狼のお荷物になりたくはない。  そう考えれば、別にこの土地に未練があるわけでもないし、事件は別のところでも起きているから、リクがこの土地に留まっているわけでもなさそうだし、引っ越し案を呑んだ。  狼が見つけた物件は、知人の持ち物で、海外転勤が決まったために貸してくれるらしい。  今度のマンションは六本木駅に徒歩圏内という、あまりに桁外れなマンションで、考えてみれば都心には事件は起きていないし、盲点かもしれない……とは思うものの、狼に安く貸せる奇特な知人とやらの顔を拝んでみたかったのだが、狼は顔合わせをよしとしなかった。  そこでわたしは、しばらく帰っていなかった自分の部屋のベッドに転がり、狼の薄いノート型パソコンでWEBを見て、探し出した求職情報でいいと思った会社にエントリーをしていた。うまく行けば面接にこぎ着けることが出来るが、果たしてどうなるか。    そして検索サイトで、西宮寺のことも調べて見る。  西宮寺財閥――。  遡ること平安、雅で風流な平家の末裔であり、明治期による華族制度によって侯爵となったが、昭和期の華族制度撤廃により財政は貧窮。  それを救ったのは武器商人と名を馳せた小柳重蔵であり、登美との婚姻を機に婿養子に入ることで、西宮寺家は製鉄製造を中心に発展。一代で日本最大級の鉄鋼メーカーのファミリーを抱える財閥へと成長を遂げる。    西宮寺吏玖――。  現在二十九歳で、重蔵の孫にあたり西宮寺家の四十五代目次期後継者。  西宮寺流日舞の師範にして茶道や華道など日本古来の芸を嗜み、性格は温和ながら事業に対しては冷徹で辣腕の持ち主であり、彼が成人前に事業規模を拡大したのは有名な話である。 「どれもこれも、同じような情報ばかりね」  家から出られなくても、スマホを使えばベッドで寝転びながらでも、情報を仕入れることが出来る時代だ。  とりわけ〝吏玖様〟については有名巨大掲示板でスレッドが連続して立っているくらい信者が多いようだから、庶民には雲上人である彼が、いかに夢の王子様として憧れの的になっているか、その熱狂ぶりが窺い知れる。  彼がただの道楽御曹司ではないということは、盗撮されたらしいピンボケした写真に現われていた。写真の数は多くはないけれど、彼が映っている写真はすべてカメラ目線で微笑んでいる。つまり彼は、どこにカメラが向けられているかわかっていたことになる。  わたしは車に轢かれそうになった二度目のことを思い出す。  車が近づいてきているのに、彼はわたしを抱き上げ、なおかつ車を避けたあの時。  狼狽することなく、躊躇することなく――。  修羅場慣れしている……だけでは説明出来ない、卓越した判断力と、最低限でトラブルを回避出来る身体能力。  わたしはあの時彼が、身を翻す際に片手で車のバンパーらへんに触ったような気がしたのだ。途端車は僅かに方向を変えたような……。  しかし後からどう考えても、そんなことが出来るのは彼が怪力か超能力者であったらであって、普通の人間が動いてくる車に触れて方向を変えるなどという芸当は出来ないだろう。 「見間違いだろうな」  ……彼が、人外の存在でもない限り。  謎が残るシラヌイリクと西宮寺吏玖。  どうして彼らは、わたしが〝遠野真白〟だとわかっていたのか。  遠野真白のなにを、彼らは知っていたのだろうか。    その時、スマホにメール通知が来た。  それはいましがたエントリーしたばかりの会社からで、三日後に面接したいというものだった。煌びやかなものがなにもないわたしの履歴の一体なにが、人事のひとの目に留まったのかはわからないが、手応えを感じたわたしはメールやりとりで面接を取り付けた。 「……面接?」  狼が夕食を食べながら、明らかに不機嫌な顔をした。 「そう。虎ノ門にあるSJ総合商社っていう大きいところ。でね、明日いつもの美容室に行って来ていい? 面接受かるようにという、いつもの願掛け」 「お前、状況わかっているのか?」 「うん。でもさ、別にわたしが狙われているわけでもないし、このままビクビクして引きこもりになりたくないのよ。正社員を望めるのなら、挑戦したい」  派遣ばかりしているわたしが長く持ち続けている願いが、正社員になること。  それを知っている狼は複雑そうな顔をして、わたしが作ったビーフシチューを口に含んだ。 「わかった」 「きゃー、義兄さん理解ある!」  狼は頭ごなしに否定はしない。  いつもわたしの意見を聞いてくれるところが、好きだ。 「……だが、俺が迎えに行くまで美容室で待っていろよ。青山のところだろう?」 「別にいいよ、わたし……子供じゃないんだから」  思わず笑うと、狼がぎろりと琥珀色の瞳を寄越す。 「保護者だろう、お前にとって、俺は」  少し、寂しげな色を浮かべて。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!