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第5話 歪な記憶

   それからわたしは、食事もロクに取らずに狼に抱き潰され、リクのことを考えられなくなるほど、甘い坩堝に引きずり込まれて、強制的に狼の匂いに染まっていった。  しなやかに弾ける野性味溢れたその身体に爪を立て、体中になんの滴が伝っているのかわからぬまま、わたしは淫らに啼いて飛んで、狼しかいない白い世界に散る。  ……会社に行かずともよくて助かった。  こんな状態で職場に出ても、使い物にならなかっただろう。  何回目の太陽が昇ったのか。  荒い息をしながら、こちらを気怠げに見ている、色気ただ漏れの狼を睨み付けて言う。 「この……絶倫!」 「褒め言葉として受け取っておく」  わたしは隅に追いやられている羽毛枕を掴んで狼に投げたが、狼はいともたやすく片手で受け止めて、逆にわたしの顔に投げつけ、見事命中。 「くぅ……」  枕を取れば、片肘をついてこちらを見ている狼が笑っていた。 「狼は……会社、いいの?」 「ああ」 「でも狼の会社なんでしょう?」  すると狼は長い人差し指を伸ばして、わたしの下唇を左右になぞる。 「お前より、大切なものはないよ」  ……本当にタラシな義兄。  わたしはただの義妹なのに。  時折混ぜてくる口説き文句のような言葉も、血が繋がらない肉親の情だとわかっているわたしもまた、自分も同じだと笑って見せれば、狼は男の熱を帯びた目を僅かに細めながら、唇を触っていた指を奥へと差し込み、わたしの舌を指に絡めて戯れる。   「ん……むぅ……んふっ」  わたしの舌を愛撫しながら、僅かに開いていく狼の悩ましい唇。  まるで狼の唇に触れ、直接舌を絡ませているような疑似感覚に陥るわたしは、身体を熱く蕩けさせて、狼の指を自分からぺちゃぺちゃと舐めた。  そして彼の指の根元から指先を舐め上げながら、じっと狼を見つめると、狼はわたしをぎゅっと抱きしめてきて、芯を持って勃ちあがるそれを、わたしの掌でゆっくりと扱かせながら、己の興奮を伝えてくる。 「……狼のえっち」 「お前に言われたくないな」  狼の苦笑を合図に、また獣じみた蜜事が始まるのだった。 「あ……オレンジジュースがない」  狼の大きなシャツ一枚だけを纏ったわたしは、冷蔵庫を開けて不服の声を出す。  時刻は十一時だった。 「狼、コンビニから買ってくる。他になにか欲しいのはない?」 「オレンジって、我慢しろよ。ガキか」 「誰かさんのおかげで、枯れた喉は柑橘系を欲するんです」 「じゃあたっぷり買っておけ? これからも飲むことになる」 「狼!!」 「はははは。俺もついていく。お前まともに歩けないだろう?」  狼は本当にタフだ。あれだけひとを攻めておいて、疲れはないのか。  きっとわたしなんか目にクマが出来ているだろうけれど、我がお義兄様の麗しいお顔は、今日も一段とくすみ知らずの精悍さ。 「なんなら俺が買ってくるか?」 「甘やかさないの! それにちょっとお外の空気を吸いたい」 「了解。だったら飯、外で食うか? お前の失業祝いに」  片目を瞑って茶目っ気たっぷりに言った狼は、ひと言余計だとわたしに怒られてリビングから追い出されたのだった。 「良い天気だな、今日は」    狼の土日は不定期だから、こうしてぎらぎらしたお天道様の下をふたりで歩くのは久しぶりな気がする。    あの日――。  わたしはどの道を通っていたのだろう。  魔物や災禍に遭遇する、俗に言う『逢魔が刻』を少し過ぎた時刻に、わたしは……。  コンビニに入った時、わたしは巷の猟奇事件を一面によく扱うスポーツ新聞を見てみる。  すると新たな被害者が、うちと同区で発見されていた。  被害者の写真がないために、わたしが見た首から血を流して倒れていた、あの女性かどうかは確認のしようはないけれど。  だが発見場所は、わたしが歩いていたと思う道とは反対方向に位置していて、うちから少し離れている。わたしが駅のいつもの改札から出てうちに向かっていたのだとしたら、絶対に発見することが出来ない場所にある。  確かにわたしはクビになって呆然としていた。証明写真を撮ろうとして喫茶店は出たところまではよく覚えているけれど、そこからどこで写真を撮ったのか覚えていない。  気づくと最寄り駅から下りて、いつもの往来を歩いていたのだ。  仮にわたしが、いつもは行かない逆方向の道上でリクと女性を発見していたとしても、そこから家に帰ってきた記憶がないのだ。  気持ちが悪い、この歪な記憶は、わたしの過去についてのものとよく似ている。   ――遠野……真白。真白……? まさか、古い洋館に住んでいた?  わたしは、あの夢に出てくる洋館に住んでいたのだろうか。  しかし狼は今までなにも言ったことがない。    もしも狼がなにかを隠していて、実際わたしはリクの言う通りにあの悪夢の舞台に住んでいたとしたら、わたしはリクの言葉を認めないといけないことになる。 ――お前を、殺すために。   ぶるりと身震いしてわたしは新聞を元あった場所に戻した。 「おい、どうした? ほら、オレンジ」  狼が、わたしが買おうとしていたペットボトルのジュースの二リットルを三つ持ってやってきた。本当にわたしをたっぷりと喘がせる気か。  いつも朝には引き摺らないのに、今日はなぜか睦み合いを引き摺っている気がする。 「ん? 最近の事件のことが載っていたから。わたし、ここ数日浦島さん状態だったから」  誰かさんが離してくれないせいで。  そう含みを持たせて軽く睨んだが、狼はどこ吹く風。   「なんだ、うちの近くか。お前しばらく働くな。家にいろ」 「だから、甘やかさないでって」  義妹に甘い義兄を(たしな)めながら、レジ袋を持ったまま近所に出来たばかりのイタリアンのお店に向かう。  なんでも都内の有名ホテルに高級店を出す三つ星シェフが、こんな辺鄙なところにお手頃価格のカジュアルなイタリアンのお店を出したのだ。芸能人も穴場としてお忍びでくるらしく、今月開店したばかりだというのに都内でも有名な名所となってしまっていると聞く。    今日は奇しくも平日だから、もしかして空いているかも知れないと向かえば長蛇の列。  ぴかぴかに磨かれた白亜のお店はどこかのブティックのように。  そして開店を祝う花輪がまだ外に飾られていた。  経済誌でよく見かけるような、わたしなど庶民には縁遠い名前が並んでおり、さすがは有名シェフだと思ったわたしの目は、ひとつの花輪の名前で止まる。  西宮寺吏玖  苗字はなんと読むのかわからないが、名前がリクと読めそうに思ったからだ。
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