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第20話

 鐘が鳴り響いていた。  終末を報せる音ではない。  警告を知らせる音でもない。  ふと顔を上げると、薄布がそっと瞼を撫ぜた。  夢を見た。  涙を流すほど哀しい夢だったのか。  イシリスは頬を伝う涙を拭い、寝台に起き上がった。  獣の瞳のような月が、薄っすらと辺りを照らしている。 「イシリス様」  扉の向こうで、ソーンが待っていた。 「起きてるよ。入って構わない」  イシリスはそっと目を閉じると、返事をしたソーンが近付くのを感じとった。  目元にリボンが施されると、差し出されたソーンの手を取り、廊下へと裸足のまま歩き出す。  目を閉じていても身体が覚えている。  どこで何段の階段を昇り、どこで何度廊下を曲がるのか。そしてたどりつく場所。 「兄上。イシリスが参りました」  返事を待つよりも、その扉は開かれた。  部屋に踏み込むなり、風がイシリスの耳元に吹き抜けた。同時に目元を隠したリボンが床に落ちた。構うこと無く、イシリスは進んだ。  闇が室内を満たしていた。  狼が三方に伏し、イシリスを見ていた。  その中央に、ゆったりと座している姿。  イシリスは眉を顰めた。 「何を泣く?可愛い妹よ」  レイベンが手を差し出す。  はっと、イシリスが歩みを止める。ソーンが背後で深く頭を下げ、扉を閉めた。 「なにを…私は泣いてなど…兄上」 「美しき景色であった…お前も恐ろしいほど清く、穢れの無い美しい姿…」  レイベンの言葉の一つ一つに、何故か震えが込み上がった。 「なにを…おっしゃっているのかわかりませぬが、兄上?」 「知らぬとは言わせぬ。忘れたと言わせぬ。イシリス?」 「は…?」  震えを悟られぬよう、イシリスは足早にレイベンに近付く。 「そんなことより、兄上。さあ…」  その顎を指でなぞる。  唇を、塞ごうとした時。 「あれはただの夢ではないぞ?可愛い妹よ」 「!」  伏せていたはずの瞳が、はっとその双眸を覗いてしまった。  漆黒の瞳に映る、己の孔雀緑。 「…っ…あ…」  グラリ、と視界が、覗いた美しい漆黒の双眸が歪む。  夢ではない?  ならば、何なのだ。  力を失った細い腰を、レイベンの手指が引き寄せる。 「美しき純潔の最後。…あれは、お前の、人間であった頃のこと」  首筋に唇を這わせ、レイベンは囁いた。 「思いだすがいい。可愛い妹よ」  首筋に、熱い痛みが奔る。 「…っあ!!」  知っている。あれは、あの鐘の音は。  最初で、最後の。  祝福の鐘。 「思い出したか?愛いやつ…」  囁きが、イシリスの鼓膜に滲んでいく。
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