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第3夜 囁きよりもあまく、にがい(4)

 抱きかかえられた聖女と、ジュードが聖女の部屋に消えるのを見送り、リフェンスは外へ出た。  焦げるような思いを抱いて。  宛もなく街を歩くリフェンスに声をかける者が居た。  金の髪を垂らし、長い爪が特徴の女。 「私の名はレイサ。あなたに用があるの。いいかしら」  胸元を大きく開けたドレスを身に纏い、レイサと名乗る女はリフェンスに微笑みかける。  聖女とは対称的な微笑みだった。  裏路地を行く女に招かれるままリフェンスは進むと、女はふと笑った。  その蒼い瞳でリフェンスを流し見る。 「誰と比べているの?」  女の言葉に、リフェンスは僅かに目を見開いた。 「女を見る時に比べるなんて、なんて、失礼。どうせ、あの女でしょうけど」  リフェンスは歩みを止める。 「俺に用があると言ったな。それならば、手短に頼もう」 「まぁ、女に、手短に頼むなんて。なんてせっかち」  レイサは声を上げて笑う。  だが、その蒼い瞳は笑っていないのを、リフェンスは見ていた。 「俺の事を知っていて、なぜ、声をかけた?…凡そ、あの長老共に俺を拐かせとでも、言われたんだろうが」  レイサは、紅い唇を弧に釣り上げ、リフェンスを見る。 「半分、正解よ。でも、私はあの老いぼれ共に言われたくらいじゃ動かないわ」 「なに」 「むしろ、あなたのほうが、あの老いぼれ共を動かす方よ」  言って、リフェンスを指差す。 「あなたの背後、飼い犬がちょろちょろしてる。気づかなかったかしら」 「お前の犬では無かったのか」 「私はそんな趣味ないわ。あなたとは一対一で話をつける。ベッドの中もそう」  つけられてる事をお構いなしと言わんばかりに、女は再びリフェンスに背を向けた。 「ショーの始まりよ。楽しみね…月の主」  女が言い終わるか、否かの瞬間、リフェンスの背後で炎が上がった。  金に輝く炎。  リフェンスは、一度見たことがあった。  聖女の元へ来る以前。  長老たちに付き従う者たちが使うことを許された『神の制裁』と呼ばれる金の炎である。  罪を負った吸血鬼を捕縛し、聖女の元へ連れて行く為の手段。  見れば、十字路の四方を囲むように、真紅のフードを被った男達と炎ががレイサとリフェンスを追い詰めていた。 「同族殺しのレイサだな。お前を捕縛する」  リフェンスはレイサを見た。  金の炎に囲まれても、変らず微笑んでいる。 「いやだ、同族殺し、なんて。私は愚か者を処刑しただけよ。それより、もう気づいているんでしょ?この男の事を」  レイサはリフェンスを指し示す。 「ね、月の主。こんなに傍に居るのに、蚊帳の外なんて、寂しいわよね…?」 「月の主だと…?貴様、何者だ!」  銀の髪が炎に揺らめく。リフェンスは男の顔を見た。 「銀の髪と、紅い瞳…!貴様、本当に…リフェンス・オルファー…」  男は、リフェンスの名を最後まで呼ぶことができなかった。  驚愕したまま、男が動かなくなる。 「おい…?」  リフェンスが男に近付く。  男は胸を押さえ、下を向いた。 「…ぁ…あ……」  男は肩を震わせ、呻きを上げた。 「が…っ」  男が、顔を上げる。フードの奥、その双眸、鼻、口から、黒いものが吹き出した。 「!」  リフェンスは目を疑った。  闇だ。  影とは明らか別のもの。漆黒の闇が、男の顔の穴という穴から吹き出した。  リフェンスはレイサを見た。  レイサは、静かに微笑んでいる。  その蒼い瞳が、静かに細められた。 「ぐぁ…っ」  別の三方からも、呻きが上がった。 「あぁ、嫌だ。私にたかが四人など、舐められたものね」  レイサは言いながら、苦しみ膝を突いた男の傍に歩み寄る。 「折角月の主も居るのに。…そう思わない?リフェンス・オルファード」  俯き、苦しみに耐える男の髪を掴み、レイサはその耳元に唇を寄せる。 「さぁ、どうする?これで、あなたは私の餌よ。下僕でも、なんでもない。魂が枯渇するまで、私に命を捧げ続けるただのエサ」  微笑むレイサは、舌舐めずりをする。 「素敵だと思わない?リフェンス。これで、口を汚すこともなく、私は美しいまま。勝手に枯れるまで、こいつらが命を捧げてくれるのよ」  リフェンスはその様を見ていたが、眉を顰め、舌打った。 「最初から、これが目的か。女」 「あら、気がついてくれた?…そう、この場には、あなたの黒い炎が必要だわ」  乱暴に掴んだままの男の頬に、レイサは指を滑らせる。 「そう…この可哀想な子羊たちを救うには、あなたの黒い炎で魂ごと滅ぼさなければ、救われない。…あぁ、でも、そんなことしたら、もう彼女の元へは帰れないかも…」 「…くだらん。お前が消えればいいことだ、女」 「あら、冷たい。でも、そうかしら」  これを見て頂戴。言いながら、レイサはドレスの裾を捲る。  その足元に拡がる闇。  そこに居たのは、膝を抱え丸くなった子供だった。  まるで胎児の様に、闇の中に浮いていた。 「ルイ…!」 「そう、これは聖女サマが大切に大切にしてる私の弟、一族の恥さらしよ…。どうする、私を消せば、私の闇諸共このガキは死ぬ。いえ、死ぬよりもっと、酷かったわね」  どうしましょう。レイサは首を傾げた。 「そのガキを、聖女の元に返せ」 「そうしたら、あなたはもう、聖女の元へは帰れなくなるわよ」 「かまうものか」  リフェンスは、レイサに背を向け、苦しみ昏倒した男の傍に膝を突く。  そのしなやかな指が、男の額に触れる。  音もなく、地面から黒の炎が吹き上がった。   漆黒の炎。  火の粉さえも、黒い。  まるですべての光を飲み込み、断ち切る真の闇。  それに燃やされた者の命は再び甦ること無く、滅する。  最悪の禁忌。 「美しいわ…」  嬉々として見ていたレイサは、ドレスの裾を元に戻すと、埃を叩いた。 「約束は果たせよ」 「ええ、勿論。良いものを見せてもらったお礼はするわ。…またお会いしましょう、月の主」  倒れた男を跨ぎ、乗り越えると、一礼をしてレイサは消えた。  リフェンスが瞳を閉じると、十字路には瞬く間に黒い炎が広がった。  男達が燃えていく様を、無言のまま、リフェンスは見ていた。  やがて、苦悶に満ちた男達が炭となりただの影となったのを見届け、リフェンスはその場を後にした。     教会へ戻るつもりはなかった。  もう一度、彼女のもとへ戻る時、それは罪人として、彼女の前に現れる時なのだと、リフェンスは覚悟していた。  聖女の力。  それは、永遠に尽きることのない彼女の命に縛られ、幽閉され、永劫の闇に彷徨う事を意味する。  転生も、復活さえも許されず、罪の中で、聖女の命が尽きる時まで、開放の手段は無い。 「リフェンス・オルファード。…月の主とお見受けする」  人目を避け、リフェンスが街を離れた時だった。  背後に、真紅のフードを目深に被った男が三人、立っていた。 「貴殿に同族殺しの嫌疑があり、よって捕縛する事とする」  男はその手に、黄金の炎を持っていた。  リフェンスは取り乱す事無く、ただ、その炎を見ていた。  やがて足元から灼熱と、眩い炎が身体を包み上げるまで、リフェンスはただ、目を細めただけだった。
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