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第3夜 囁きよりもあまく、にがい(1)

 聖母に似た微笑みを零す女だ。  吸血鬼の禁忌を監視する族長である人物とはどんな者なのか、まだ若いリフェンスには想像もつかなかった。  初対面を果たしたリフェンスは、その美しさに息を呑んだ。 「あなたが、月の主ですね」 「リフェンス・オルファードだ」  月の主と呼ばれることがあまり好きではなかった。 「そう、リフェンス。よろしく」  穏やかな微笑みの裏にどんな力を宿しているのか、リフェンスは今ひとつ腑に落ちなかった。  胡散臭い女。  計り知れぬ存在を前に、そう思っていた。  吸血鬼にはいくつかの禁忌がある。  糧である人間を殺してはならない。  国を渡ってはならない。  同族を、殺してはならない。  最悪の禁忌と呼ばれる、「同族殺しの力」を持った自分など、拘束して、幽閉してしまえばいいものを。  リフェンスはいつもそう思っていた。 「あなたの黒い炎には、意味があるはずです」 「意味?」  意味など、あるものか。  己れを産み落とすために苦しんだ母を滅した、黒い炎に、何の意味があるのだ。  怒りは、この黒い炎を助長する。  深い悲しみさえ、狂おしい嫉妬さえ、炎を産んだ。  いつか、心を閉ざし、ふらふらと根無し草のような生活を送っていた。  この黒い炎の存在を知った陽の聖女と呼ばれる女は、厄介者の自分を呼び寄せたのだった。  断罪者として。  結局のところ、利用されることには違いないが。 「で、聖女よ。俺に何を望む?」  聖女と呼ばれた女は、いつもの様に微笑んだ。 「何も。あなたは、ここで、私の傍に居て欲しい」  やはり、胡散臭いことには違いはなかった。  だが、彼女の言葉には間違いはなかった。  断罪者である自分が、「同族殺し」の黒い炎を使うことは、一度さえ無かった。  それが、彼女の力が及ぶ、この世界を満たしている平和のせいなのだと気付くには然程時間はかからなかった。  彼女の周りには、いつも笑い声が絶えなかった。  同族から見放された人間との混血児。  許されぬ者を愛し、添い遂げた人間。  様々なものが、彼女を慈しみ、また、愛されていた。  かつて人間から譲り受けたという教会を模したこの建物も、聖女としての彼女を彩る一つだった。  ここに居れさえすれば、時が止まり、悠久の時を生きるものも、心穏やかにいられるようだった。  呪われた身である己さえも、そう思えた。  誰もが、一番に彼女を思い、誰もが、彼女の一番でありたいと思っていたはずだった。  だが、陽の聖女と呼ばれる女には、愛する男がいた。  いつも傍に居るリフェンスを煙たがらず、男は、聖女に度々会いに来た。 「そうそう毎日会いに来て、飽きないのか、ジュード」  リフェンスは、お茶を淹れながら呆れ顔で言った。 「飽きる?彼女にはそんな言葉は必要ない」  そもそも、そんな概念など、彼女の前には存在しない…云々。長々と説くジュードを前に、リフェンスは耳も貸さず切り上げた。 「あぁ、聞いた俺が間違っていた。のろけ話なら他所でやれ、ジュード」 「何を言う。年頃のお前も、のろけ話の一つくらいしたらどうだ」 「そんなもの、ガキの頃に忘れたな」 「暗に、俺がガキだと言いたいのか…、リフェンス」  笑って、聖女サマを呼んでくると、ジュードにリフェンスは背を向けた。  「聖女よ、迎えがきてるが」 「ありがとう、リフェンス。あなたもお茶を…」 「いや、俺はいい」  この男の前で、どんな顔の女になるのかと、リフェンスはいつも聖女を思った。  くだらない。  下衆の勘ぐりだと、リフェンスは己を笑った。  背中を向けるリフェンスに、どんな視線を送っているか、知らずに。
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