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第2夜 キスよりあまい(5)
「…いつまであの娘を生かしておくおつもりか、我らが主は」
金の髪を揺らし、女は爪を噛んだ。
その蒼い双眸の先には、可憐が歩いていた。
「何の能力も持たずに虚月の傍にいるのがよほどご不満と見える。まぁ、落ち着け、礼沙」
笑って、礼沙を窘めるのは虚月の使い魔、十都である。
「礼沙、時にお前の血を分けた弟はどうした。虚月の前に現れたそうではないか」
礼沙と呼ばれた女は、十都を見る。
「半人前のことか?一族の恥さらしか。…知らぬ。そこにいれば、私が縊り殺してやるところだった」
「お前には人の情というものが皆無と見える。だから、虚月がなぜあの娘を生かすのか、お前には理解できぬのだな」
「なに?情だと?」
「虚月がなぜ、あの娘を捕らえていたのか、なぜ生かすのか、分からぬだろう」
「そんなもの…必要ない。私は、あのお方に仕えさえすれば良いのだから」
教会の中に消えていく可憐を見ながら、礼沙は手を握る。
「そこで、眠っていればよい。忌々しき、『陽の聖女』よ…」
「ただいま、帰りました。香島さん」
コートを脱ぎながら、可憐は蝋燭に火を点す香島に告げた。
「おかえりなさい、可憐さん」
振り向き、香島は可憐に笑った。
最後の一本に火を点す香島の傍に、可憐は歩み寄る。
「…きれい…」
可憐は感嘆の声を上げる。白と、赤の大小様々な蝋燭が、灯りの中揺れていた。
「この灯りは、あなたが生まれる前から一日も欠かさず灯してきました…」
香島の表情が、僅かに曇る。
「香島さん…?」
「…あなたが何処に居ても、迷わないようにと。再び、僕の前に現れる日を、信じて…」
可憐を見つめる香島の双眸は、真剣なものだった。
「あなたを待っていました。ずっと、お待ちしていました」
「…え…」
香島は、可憐の肩をそっと抱き寄せ、耳元に囁いた。
「…僕のそばから離れないでください」
「あ、の…」
可憐の鼓動が、早まる。
「香島さ…」
可憐が、香島の腕の中で身動いだ瞬間だった。
教会の扉が、音もなく開いた。
可憐は、香島の腕の中で、闇が蝋燭を消していくのを見た。
「…え…」
「お久しぶりですね。…可憐」
黒髪を揺らして、闇に佇む男を、可憐は知っていた。
酷薄な微笑を見せ、こちらを見る男。虚月の使い魔、十都である。
「十都さん…?…っどう、して…ここへ…?」
「どうして、も、なぜ、もありませんよ。私はあなたに用があって来たまで」
「え…っ」
言葉を失う可憐を背後に回し、香島が十都の前に出る。
「こちらは、あなたに用はありません。お引き取りを」
「おや、どこの坊やかと思えば、礼沙の弟君ではないか。懐かしい」
十都は、牙を見せ笑う。十都の言葉に、可憐は反応した。
「えっ」
香島の顔を見る。
この男の言う、礼沙とは、ただ一人だ。
ちらりと、香島が可憐を見る。可憐は、息を飲んだ。
「…礼沙さんの…弟…?」
「…いかにも。そこにいるのは、虚月様に仕える我らが同胞の、血を分けた弟。なあ、そうだろう?坊や」
十都は、確かめるように香島に告げる。
「…あの方は…、姉上は」
「ここよ、半人前」
背後で、女の声がした。
ドッ、と香島の身体に衝撃が響いた。
可憐が見れば、礼沙の細長い指が、束ねて香島の胸を貫いていた。
「か、香島さん…っ!」
悲鳴混じりに可憐は香島を呼ぶ。
香島は、にっこりと笑って可憐を見た。
「…大丈夫。僕から離れないで」
言って、胸を貫いたその手を掴んだ。
「なにを…半人前が気安く触るんじゃない…っ」
「…姉上。そちらこそ気安くこのお方には近づかないで下さい」
掴んだその指の隙間から、黒い闇が吹き出す。
掴まれた指先が、灰のように崩れていく。
「…なっ、貴様、半人前の分際で…!」
掴まれた指先から、肘上まで、見る間に崩れていく。
「く…っ」
失くした腕を庇い、礼沙は、可憐を見た。
にやりと笑う。
「もう、遅いわ、小童!」
可憐は、礼沙が笑った意味を知った。
闇が、可憐を飲む。
「…っ!可憐さん…!」
「…か、しまさ…!」
香島を呼ぶ可憐の声が、闇の中に消える。その闇は、十都の足元から伸びていた。
「忘れてもらってはこまる」
靴のつま先をトントンと鳴らし、十都は首を傾げた。
「用が済めばまた返してやる。…娘の記憶と引き替えにな」
「な、に…?…可憐に、その方に触れるな!」
香島の言葉に、十都は眉を顰めた。
「坊や。お前は、どちらが大切なのだ?」
「な…」
「『陽の聖女』は死んだ。この娘はただの容れ物に過ぎぬ。あの時何もできなかったお前が、何を乞うのだ」
「…可憐…」
香島は、握り拳をきつく結んだ。
「寝返った貴様に何がわかる…!」
香島が声を荒げ、十都を睨んだ。
「わかるさ」
十都は、足元を見る。
「そのために、私は虚月の傍に居る」
静かに答えた十都は踵を返し、香島に背を向けた。
「娘の記憶が戻ること、神にでも祈っているんだな、坊や」
再び闇が十都の足元から沸き上がる。
最後の言葉とともに、教会の扉は閉まった。
「可憐…!」
香島は、その場に崩れ落ち、床を殴った。
「リフェンス…!」
また、何もできなかった。
あの時のように。
眩しい光が、目を射抜く。
ステンドグラスの下、子どもの、はしゃぐ声が聞こえた。
金がかった茶色の髪を揺らして、子どもが束ねた花を寄越す。
「ありがとう、綺麗ね。…ルイ」
ルイと呼ばれた少年は、恥ずかし気に下を向いた。
「聖女様のほうが、綺麗だよ」
もじもじと、ルイが告げる。
「本当?ありがとう、ルイ…」
そっとその頬に口付けると、ルイは微笑んで教会の外へと走り去った。
光の中へ。
夢の続きは、闇の中だった。
「ゆ、め…」
懐かしい夢を見た。
懐かしい、笑顔。
「ルイ…、…香島さん…」
なぜ、忘れていたのだろう。
彼の名前を。
「お目覚めか、聖女よ」
闇の中に、低い声が響いた。
「…虚月…さま…」
見れば、闇の中に虚月の姿があった。
紅い瞳が、闇の中に輝く。
何も、変わっていない。
あの晩から、会いたいと、願ったその姿。
いや。
その前、この姿。光島可憐になるよりももっと前。
その黒い炎に焼かれて、滅した、あの時。
「……リフェンス…」
「ほぅ、懐かしい名で呼ぶとはな、小娘」
虚月は、可憐の元へ音も無く寄ると、その顎を捕らえた。
「懐かしい、お伽噺の話でもしようとするか。…ゆっくりと」
虚月は、可憐の唇にそっと寄りながら囁いた。
そして、そっと、口付けた。
「…っぁっ、や…ぁっ!」
ベッドに強く押し付けられた可憐は、首筋に降りる虚月の唇を感じていた。
「嫌と言う割には、肌が熱いな」
冷たく可憐に否定を繰り返す虚月の唇は熱く、可憐を裸にしていく。
「…っ」
首を振る可憐を押さえつけ、その唇を塞ぐ。
「…ふ…っ…ぁ、虚月さ、ま…」
震えた可憐の声を、虚月は阻むように唇に噛み付いた。
ふと、虚月の指が、可憐の指に絡む。
「この指…俺の代わりにお前をどう慰めた?」
「…!」
可憐の頬が赤く染まる。
「俺の指がお前を抱く様を、暴く様を、どうこの指に託した?」
「…ぁ、虚月さ…」
「お前は、その時どんな声を上げた?俺に抱かれぬ夜を、どう過ごしていた?…それともあの半人前に、慰めさせたのか、聖女よ」
「…っ、…ぁ…」
可憐は言葉を飲み込み、その先を失った。
虚月は、微笑を浮かべる。
「あの男の下で、お前はどう淫らな声を上げた?あの男は、お前をどう穢した?」
教えろ。
虚月は、囁いた。
その紅い瞳が、僅かに揺れていた。
可憐は、虚月の指を解き、その頬に触れる。
「…どう、して…?」
震える唇で、可憐は虚月に口付けしながら、囁く。
「虚月さま、また、私を殺すんでしょう…?」
あっけなく、簡単に。
私の存在など、所詮そんなものなのだ。
「私がどんな抱かれ方したって、虚月様には、関係ない…っ」
虚月の目が、僅かに見開く。
「…小娘が…」
舌打ち、虚月はベッドを降りる。
「虚月、さ、ま…」
背中を向け、虚月は僅かに可憐を見た。
紅の瞳が、闇の中に浮かぶ。
「まだ、お前を手放すわけにはいかない。小娘、あの半人前の元へ戻りたいのなら、記憶を取り戻すことだ」
言い捨てると、虚月は闇の中に消えた。
「虚月さま…っ」
闇に消えるその影を、可憐は捕まえようと手を伸ばした。
既の間で、影は消えた。
穢されたのなら、もっと、更に、穢して欲しかった。
記憶など、いらない。
あなただけが欲しい。
「…小娘が…」
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