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第8話 疾風来る
「昨夜のことはお酒のせいで片づけられるけど……その前とか、朝起きてからのことは説明がつかない」
何か薬のせいでおかしくなったと思っていたが、その薬とやらはお酒だった。ということは、ユーリがおかしくなったことには、まだ理由があるはずだ。
「何? 何かあの王子、おかしなことになってるの?」
「はい。女性と見れば挨拶代わりにナンパをするユーリが、すごく女性に冷たくなってるんです!」
「え……」
何やら思いつめている様子だったから尋ねてみたのだろうが、オクタヴィアはあまりのくだらなさに絶句した。それの何が困るのかと顔に書いてあるのに、リリーの真剣な様子に言えずにいるようだ。
「ナンパ王子が女性に冷たいって……病気じゃないの?」
呆れ果てて、オクタヴィアの口からはついそんな言葉がこぼれてしまっていた。だが、真剣に悩むリリーには、それが嫌味には聞こえなかった。
「やっぱり、おかしいですよね。……別の方面から原因を探ってみます!」
「え……そう。頑張ってね」
病気かもしれないと思うといてもたってもいられなくなって、リリーはオクタヴィアにぺこりと頭を下げると、その場からすぐさま立ち去った。
呆れを通り越したオクタヴィアは、引きつった笑みを浮かべてそれを見送る。
「病気は病気でも、恋の病じゃないかって言いたかったんだけどなあ……」
言っても仕方がないと思いつつも、言ってしまった。それが聞こえたのか、くるりとリリーが振り返る。
「あの、オクタヴィアさん。突然訪ねてきたのに、いろいろ答えてくれてありがとうございます」
「いいのよ。別にそんなこと」
足を止めてリリーが改めて頭を下げると、オクタヴィアは面食らった顔をした。わざわざそのために立ち止まったのかと驚いたのと、そうやってお礼を言われることに慣れていないのが理由だった。
戸惑うオクタヴィアに、リリーは笑顔で言葉を続ける。
「それとリボン、おそろいですね。オクタヴィアさんもあの雑貨屋さん、好きなんですね。私の場合は、兄が足繁く通って買ってきてくれるんですけど」
リリーは、今日は頭頂部でちょうちょ結びにしている、織柄の入っだリボンを指差した。リリーは深緑色、オクタヴィアは紺色のリボンでおそろいだ。そのことに気づいて、リリーは言いたくなったようだ。
「あの……これ、似合ってるかしら?」
少し照れたように、オクタヴィアは一本に束ねて結っているリボンに触れる。
「はい。すごく似合ってます。あの……会ってすぐはとっつきにくい人かなって思ってたんですけど、同じリボンをしてるの見たら、ちょっと親近感がわいて嬉しかったです」
満面の笑みでそう言うと、リリーはまた歩きだした。
さっきはあわてて歩きだしていたのに、今の足取りは落ち着いたものに見える。リボンの話題で、冷静さを取り戻したのだろうか。
一方、リリーを見送るオクタヴィアは、平常心ではないようだ。
「……もう。兄妹そろって、人たらし」
人前ではめったに見せることのない頬を染めた顔で呟くが、今度こそリリーの耳には届いていないようだった。
オクタヴィアと少し話して落ち着いたリリーだったが、ユーリのことを考えると気持ちはまた重くなった。
こうして休暇をもらって飛び出してきたのはいいものの、まだ何の収穫もない。
リリーは薬術師だから、ある程度の病気やその対処法も頭にはあっても、症状だけ見て何もかもがすぐにわかるわけではない。
わからないことは、調べるしかない。
「図書館か……」
色の変わりはじめた空を見て、リリーは悩む。
もうすぐ夜だ。図書館はまだ開いているが、調べものをしているうちに外は真っ暗になってしまうだろう。暗いと馬で城には帰れない。そうなると、泊まるところを考えなくてはならない。
実家に帰ることもできる距離だが、できれば帰りたくない。リリーはもう十八歳で、顔を見れば父に結婚の話をされるのだ。
父のことが嫌いなわけではなくても、今日は特に帰りたくない。
やっぱり城に帰ろうと馬の方向を変えさせたところで、蹄の音が聞こえてきた。その音は、こちらに近づいてくる。郊外の森の中で他の誰かと出会うことなど想定しなかったリリーは、手綱をギュッと握って身構えた。
「リリー!」
駆けてきた馬上の人物が、こちらの姿を捕捉するや否や、大声で呼びかけてきた。すぐ近くまでやってきてようやく相手が誰なのかわかって、リリーは驚いた。
「お兄様!?」
「リリー! よかった! ちゃんと見つけられた!」
リリーめがけて駆けてきたのは、兄のロベルトだった。
どうしてここにいるのがわかったのかということと、ユーリの護衛騎士なのに何をしているんだということに疑問がわく。だが、それをリリーが口に出すより先にロベルトは話しだす。
「俺はリリーがこの世に生まれ落ちたそのときからリリーの騎士! リリーを愛し、リリーに愛され、この世で一番リリーを大切に思っている! だから、リリーの気配が城から消えたのを察知して、すぐさま探しに来たんだ!」
「そ、そうなの……」
馬から颯爽と降り、ギザなポーズをつけながらロベルトが語るのを、リリーは遠い目をして聞いていた。無駄によく通る声がうるさいのもあるが、物語の登場人物のような口上が何度聞いても嫌になるのだ。
「あの、ユーリのことはいいの? お兄様、一応ユーリの騎士でしょ……?」
「あんなやつのことより、俺にとって大事なのはリリーだ。それにあいつはいつも俺を撒く。それなら、たまには俺があいつを撒いてやってもいいだろ」
曲がりなりにも王子に向かって“あいつ”呼ばわりする兄に頭が痛くなり、リリーは言葉を失った。
ロベルトが兄バカなのは知っているし、ユーリのことを嫌っているのも知っている。
ロベルトはユーリがリリーに「かわいい」と言ったお茶会のあの日から、彼のことを敵とみなしている。だから、ユーリがリリーに近づくのを防ぐために護衛騎士にまでなったのだ。
それは知っているしわかっていたつもりだったが、改めて目の当たりにすると何だか悲しくなる。
「……お兄様、少しは仕事をしてください」
「してるしてる。俺の仕事はお前を守ることだからな」
まぶしいほどの笑顔を見せられ、リリーはもう溜息をつくことしかできなかった。
「そんなことより、今日はどうしたんだ? この時間に城にいないってことは、休暇をとったのはわかるんだが」
「えっと……薬が必要になって、それでお母様の知恵を借りに来たの」
兄にこうして見つかったということは、仕事を休んだ理由について尋ねられるのはわかっていた。どこまで話し、どうごまかそうかとリリーは悩む。
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