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第二部 海賊王子と狩人妃(4)
これからの遭難生活に役立ちそうなものを探しに荷物室に行くまでもなかった。
スタッフ控室には。
日よけ用のターフに寝袋、アルミシートにランタン。男女用の水着にシュノーケリング用具。真水に酒瓶、レーション類。ソーラーバッテリーにガソリンで動く発動機。ランタンにアウトドア調理用具に銛に釣り道具。何故か弓矢。詰み込まれていた荷物のあまりの準備の良サバイバルさ。
ただし緊急時の衛星通信が出来る無線機だけないなんて、俺の疑惑を決定づけるだけだった。
--何故なら。
俺達をこんな処に連れてきてくださった方々は、俺達が脱出したり救助を求めるのは嬉しくない。それと同時に、俺達が危険な目に遭うのも本意ではないのだ。
(お前達の企てに乗ってやるさ)
ありがたくな!
弓香にはありがたくないだろうが。
海面までは2mあまり。
縄梯子を垂らして、救命ボードを投げ込こむと荷物を積み込んだ。揺れる縄梯子を支えてやって、弓香もボートに乗船させた。周囲に注意を払いながらセルモーターを作動させて、俺達は上陸した。
砂浜の濡れ具合を見て、タブレットを起動し、気象状況を確認する。
「弓香。この砂浜にキャンプを設営しよう」
「ハイ」
不安に思っていたろうが、弓香は俺に諾々と従うそのけなげさに、下半身にズン、とくるものがある。
(よくアイツらに、俺のハートは脚の間に付いてるって、揶揄われたっけなー)
アイツらとは、無論。
インザラールの王太子と日本国で首相になろうとしている男に他ならない。
ターフを張り、荷物を運び終えた。島の探検は明日にして、今日はとりあえず、レーションで腹を満たすことにした。
「明日は美味い魚でも食おうぜ」
「……わかりました」
ワインの栓を抜き、二つのグラスに注いで一つを弓香に渡した。
「俺達のハネムーンに」
「素晴らしい夜に」
弓香は皮肉げに唇を歪めるとそれでもグラスの縁を合わせてきた。
(明日は泉を探しに行くか)
サンゴ礁から出来ている島でも、雨水が地下に溜り、泉として湧き出る島もある。
そんな処があったら、飲料水やシャワーには事欠かない。水も十分に積み込んでくれたようだが、用心に越したことはない。
食べ終わって後片付けが終わった後。
弓香は弓を取り、弦を張ってその引き具合を確認している。さりげなく矢筒も引き寄せているのを確認して、(この得物は彼女用だったのか)と改めて思った。
弓をつがえている彼女の指輪に着目した。
焔を赤々と反射させている、黒々とした石の指輪。
「弓香」
俺の声に弓矢から意識をこちらに向けた彼女に手を差し伸べた。
「……?」
「それを寄越せ」
弓香の躰が、僅かに強張る。
「奥洞海がお前に持たせた、救難信号を発信する装置だな?」
婚約指輪に贈った6カラットのダイヤは、王室所有の宝石だ。
我が国の王太子妃が代々身に着けるものだが、公式行事の際に王室から王太子妃に貸与されるもので、表向き公式の予定が一切組まれていない今回のハネムーンの携行リストには、含まれていなかっった。
だから、彼女は自身が所有する宝石を身に着けていた訳であるが。
(まだ彼女の全身を飾るほどには、ドレスも宝石も贈ってないからな)
彼女の生まれたままの姿を、俺に向かって晒すことを俺が好んだ為である。
(ムカつくから、全て用意させよう)
主に高級ランジェリーしか贈ってこなかった自分を悔いた。
「しかし」
弓香が躊躇した。
これが文明に救出される、最後の砦だと思っているのだろう。
(恐らくは座標位置を示す信号が予定の場所で送信されないと、ただちに救難信号発信される筈だ)
もしくは、この指輪が弓香から離された途端。
だが。
「十中八九、この不時着は、俺の友人ダチどものサプライズプレゼントだ」
かなり荒っぽいけどな。
「?」
「俺が王太子である以上、ハネムーンとはいえ外交に組み込まれる」
「……」
事実、非公式ではあったが滞在先の大使を通じて、首相クラスの連中とのディナーや親善パーティ、傷痍軍人の施設に孤児院などの慰労訪問も含まれていた。
そして普段よりも格段に抑えられているとはいえ、それでも分刻みで本国から俺に報告と承認を仰ぐ連絡は届いた筈だった。
「1週間。俺に”普通の男が、惚れた女と愉しむバカンス”をプレゼントしよう、ていうことだと思う」
この1週間は。
救援は来ない代わりに、国からも大神からも、一切の連絡は入ってこない筈だ。
(祁答院の差し金は、きっと新伍が抑える)
「殿下は『十中八九』、とおっしゃいましたが」
弓香はゆっくりと言った。
「それは『100%』を意味しません。もし、殿下の予想が外れていたならば」
取り返しのつかないことになります!
続く言葉を聞かずとも、その勁い視線だけで弓香の言いたいことはわかっていた。
100%憂いをなくして、さらに110%の可能性を考えるのが奥洞海の≪影≫だからだ。
「大丈夫。1週間後に必ず迎えが来る」
「しかし」
尚も不安がる弓香に、おし被せるように俺は言った。
「俺を信じろ」
「!」
雷に打たれたように俺を見つめ。そして、黙ってしまった女を、俺はじっと見守った。
疑うことを産湯と母乳がわりにして育った女。父方の祁答院すら信じておらず、母方である奥洞海しか信じていない女。まして長らく敵対していた王家おれを信じろというのは、酷な問題を突きつけた自覚はわかっていた。
しかし。
(俺はお前の信頼も手に入れたい)
お前が俺になら、背中を預けられる相手だと思って貰いたい。
「……」
彼女の逡巡が見えるようだった。
「弓香」
「……わかり、ました。殿下を信用します」
「サンキュ♡」
俺の返事に弓香はき!と俺を睨みつけてきた。
「その代わり!どんな事があっても、私が殿下の盾になりますから!!」
「おっけ」
あくまでもライトな態度を崩さない俺に、弓香ががっくりと膝をついた。
「……どうして、殿下って人は。そんなにお軽いんですか」
(俺の感動を奥さんに悟らせるなんて、ヤボいことはしたくないんでね)
旺月の王太子はシャイなのだ♡
「何か、言いましたか」
「べっつにぃ~」
人生の選択、間違ったかな。
などという愚痴は聞き逃した。
弓香。
お前が、どれだけ俺の心を震わせたか、わかるか。
(それはお前を愛する時に伝えてやる)
「しかし、こんな」
弓香は呟いた。
俺の視線を受け止めかねて頬を染めて目を逸らすなんて、お前どれだけ俺をキュン死させれば気が済むんだろうな。
「何も無い処で、殿下に不自由をかけるなど」
(ほんと、こいつってば)
彼女を、砂浜に押し倒したい右手を左手でギリギリと抑える。
お前が不自由な分にはいいのかよ。
お前の眼中には、俺しか。俺の事しかないのか。
「お前が居る」
俺の言葉で、弓香が俺に視線を合わせてきた。
「お前以外のものなんて、要らない」
ゆるゆると、弓香の双眸に甘さが宿ってきた。
さくさくと砂を踏んで近寄ってきた弓香が、俺の首に手を掛けてくる。
「この先、大神が殿下や私にちょっかいを出してこようとも」
俺は惚れた女の腰をぐい、と抱き寄せた。
「一回だけは、このハネムーンに免じて赦してやるわ」
二人の唇が重なった。
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