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已んだ世界(2)
「陽介、起きなさい!」
甘ったるいパンケーキの匂いがリビングから漂っていた。
母親の声がだんだんと大きくなっていく煩わしさに、俺は声を張り上げてキレる。
「うるせぇ、クソババア!」
布団を頭から被り二度寝をしようと試みるが、勢いよく階段を駆け上がってきた足音の主に布団を剥ぎ取られた俺は、丸まった体勢で顔だけを後ろに向けた。
「……っにすんだよ!」
「陽介! 早く起きて!」
「な……波」
「お母さんを困らせないで。ただでさえ……困らせてるんだから」
困らせている? バレたらきっと卒倒するか、泣き喚いて包丁を振りかざして俺たちを殺して一家心中だろうよ。
そう思ったが、波の気持ちを配慮して、俺は口を噤んだ。
真面目な波のことだ。
そんなことを言ってしまったら、毎日思い悩むのは目に見えている。
俺は一度息を吐き出して、頭の中を切り替えた。
「困らせてねぇじゃん。俺らのことは……誰にも言えない関係なんだから」
波の言葉に、俺は目を伏せながら答える。
一瞬にして、空気が澱んだ気がした。
たまに、考えたことがある。
血が繋がっていながら、セックスをした人間は世界中に何人いるのかって。
まさか、俺達だけじゃないだろうと、何度も頭の中で考えながら、あの日波を抱いたことを思い返す。
後悔と言う言葉はあの日に置いてきた。
ベッドから起き上がると、俺は制服に腕を通した。
俯き黙ったままの波に、ゆっくりと口を開く。
「……一緒に……登校すんだろ?」
俺なりの精一杯の優しい言葉だった。
波は俺の言葉に顔を上げた後、笑顔で頷いた。波の笑顔に俺も安堵する。
小さい頃からずっと、この笑顔に癒されてきたんだ。
俺達の通う高校の最寄り駅まではたったの五駅ほどしか離れていないのに、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗るだけで、どっと疲れが押し寄せてくる。
背の小さな波にはさぞかし息苦しいだろう。
長身の俺でさえ、そう思うのだから。
だから、俺はいつも波を壁際に立たせ、手で彼女を守るようにして立っている。
どこの馬の骨ともわからないオヤジの脂ぎった体が波に触れないように。
オタク臭極まりない大学生が波に痴漢行為をしないように。
「陽介、腕痛くない? 腕で支えていたらキツイでしょ?」
「大丈夫。波こそ、苦しくない?」
見上げた波と視線がぶつかった。
上目使いの波の瞳は、ほんの少しだけ潤んでいた。
危ない。
今すぐにでも抱きしめたくなった。
本能を抑えようと、下唇を噛みしめ、金田とのばかげた会話を思い出すように努力をしてみる。
俺は、波から視線を外し、奥の車両に目を向けた。
そこには、波の彼氏の千尋がいた。
慌てて顔を正面に向け、首をしな垂れさせた。
冷や汗が、こめかみを通過して俺の肩にぽたりと落ちた。
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