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紺青で零落す 第2話 | .薔薇小路悪臭子@プチプリさんあざっしたの小説 - TL小説・漫画投稿サイト プチプリンセス[プチプリ]
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紺青で零落す
作者:
.薔薇小路悪臭子@プチプリさんあざっした
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第2話
末世
(
まつよ
)
は布団から上体を起こした。背中を掛布団が滑り落ちる。 「まつよちゃん……」 彼女はその声に目を見張った。訪問者の後ろに
御祓院
(
みそぎいん
)
も入ってきたのが見えた。末世は屋敷に忍び込んだものかと思った。そして今まさに御祓院が侵入者を処刑せんとしているのでは、と。息を呑んだ。心臓がおかしくなる。ところが御祓院は襖を閉めてしまった。彼の手にある燈火が曖昧な形を持つ。 「な、に……?」
禁龍寺
(
きんりゅうじ
)
末世としての皮が剥がされていってしまう。 「御祓院、何の用ですか。女人の部屋へ夜間にやってくるなど……」 しかし結局は奸智に長けた禁龍寺の血である。剥がれかけた皮を繕うのもまた上手かった。 「旦那様の
命
(
めい
)
に従って、
蛙井
(
あせい
)
様をお連れしました。夜伽にと……」 「御祓院……」 末世はその辺に置かれた壺が花瓶かで頭を殴られたのかと思った。そして衝撃の直後、一気に御祓院の言葉と
白梅久
(
しろうめひさ
)
の意を理解する。 「大兄上……!」 白梅久は、つまり
魍魎坂
(
もうりょうざか
)
家の怪物に処女を捧げる前に、好きな男と交われと言っているのだ。 憤激
措
(
お
)
く
能
(
あた
)
わず、彼女は布団を跳び起きた。白梅久の元へ行こうとした。土臭い百姓とすれ違う。桂花と知った薬湯の匂いがした。 「どちらへ」 御祓院が前方を塞ぐ。 「ばかげたことを!なんてばかげたことを!おどきなさい!御祓院!」 「
私
(
わたくし
)
の務めはこの部屋の見張りでございます」 「おどきなさい!好きに見張りでも何でも、していたらいいでしょう」 「蛙井様。末世お嬢様は未痛の身であらせられます。お手柔らかに」 それは果たして、末世を案じての言葉だったのだろうか。いいや、魍魎坂家との取り決めの手前、この禁龍寺本家で唯一事を成せる娘に、恐怖心を抱かせてはならないのだろう。 「御祓院!」 末世は叫んだ。逞しく屈強な体格の男に食ってかかった。隆々とした腕を握り爪を立てた。 「旦那様の
御諚
(
ごじょう
)
とあらば、これも禁龍寺家の務め。潔く果たしてはいかがですか」 感情も表情もなく寡黙な御祓院は人形みたいな人物だった。ところが今、末世は彼の言葉に嘲りと侮蔑を汲み取った。 「……っ」 末世の手が力無く御祓院の腕から落ちていく。 「
私
(
わたくし
)
はお部屋の前におります」 御祓院は
平生
(
へいぜい
)
の無味無臭さで部屋を出ていった。静かに襖が閉じていく。 「まつよちゃん……そのお顔……」 蛙井は末世の顔面に走る傷を廊下の明かりで認めていたのだ。彼女は傷を隠した。 「どう?醜いでしょう?もう帰りなさい」 「醜くないけど……怪我、したの?」 蛙井は優しい男である。溌剌としておきながら気弱なところもあり、そこが放っておけない。一度惚れてしまえば、その声に夢中になってしまう。喜びの音吐に舞い上がり、悲しみの響きに胸が痛む。 「あなたには関係のないこと」 「そうだね、ごめん。でも、会えてよかったよ、まつよちゃん。顔のお怪我、お大事にね」 からからとした声が末世の情緒を揺さぶる。ここで帰せばもう会えなくなるかもしれない。いいや、ここに留まらせたところで何も変わりはしない。固く閉ざされた襖の奥には御祓院がいる。そして白梅久の命である。 「蛙井さま。わたくしの顔には醜い傷がありますから、どうか目を瞑っていてください」 末世は滲んでいく眼を大きく開いて乾かした。 「え……?」 訳の分かっていない貧相華奢な男を乱れた布団へ突き飛ばす。 「まつよちゃん」 この男と引き離したがっていたのは白梅久である。のちの火種になると言っていた。そして同じ口が、ここに蛙井を連れて来ている。禁龍寺の血筋に下賎の胤が交じり、禁龍寺の家柄を名乗りはじめることを恐れているのなら、この男と褥を共にし帰したあとに、この男はどうなるのか…… 「御祓院」 厳しい口調を以って末世は襖を怒鳴りつけた。 「失礼します」 襖が静かに開き、御祓院が三つ指をついて頭を下げている。 「いかがなさいましたか」 「あなたもそこにいなさい」 「末世お嬢様」 「いなさい。そこに。そこにいることです、いいですね」 御祓院は身体を重そうにして中へと入り、部屋の隅に腰を下ろした。 「末世お嬢様」 「大兄上の厚意はいただきます。けれどもね、この方は、この方を前にしたらわたしたちたちが寄って
集
(
たか
)
ったって
虱
(
しらみ
)
ほどの価値にしかならない、高潔な魂を持っているの。家名を笠に着て、手垢まみれにしていい方じゃあないのよ」 末世は布団の上に座る蛙井に詰め寄った。 「蛙井さま。出会ってしまってすみませんでした。わたしがあなたを見つけてしまった。これがすべての誤り」 禁龍寺家の薬湯の匂いに桂花の甘い香りと、土も汗も流れ落ちた蛙井の匂いがする。彼の首に腕を回し、肩に肘を乗せた。 「まつよちゃ……」 薄い胸から鼓動が伝わる。どうしていいのか分からない様子の蛙井の腕を横目で捉えた。 「抱き締めてくださいまし」 「でも……」 「蛙井さま。抱き締めてください」 耳元で囁いた。御祓院に聞かれているのではないかと思うと、はらわたが煮えくり返るようだ。掌に爪が突き刺さるほど拳を固くする。 「まつよちゃん」 戦慄いた腕が背に回る。骨の髄から溶けていきそうな柔らかな熱が広がっていく。 「蛙井さまは、おなごに触るのは初めてですか」 「うん……」 訊かずとも分かること察していたことだ。 「では、すべてお忘れてください」 喜びとそれを上回る深い憐憫で
痞
(
つか
)
える喉をどうにか誤魔化す。 この男は禁龍寺家が毒していい凡夫ではない。では何故そのような男が粗末な衣服に身を包み、
疏食
(
そし
)
に甘んじているのか。少なくとも末世にとって、彼の放つ言葉のひとつひとつ、彼の向ける表情ひとつひとつには大きな価値があった。射抜かれてしまえば、その矢は抜けないままである。 「なんで……?なんで、忘れるの」 「くだらない、つまらないことだからです」 下にある蛙井の顔が、御祓院の持ち込んだ燈火によってわずかばかり見えてしまった。澄んだ大きな目にまたもや射抜かれて、末世は切なげに目を逸らした。 「まつよちゃん」 あどけない蛙井の頬に掌を添えた。痩せてはいるが、
痩
(
こ
)
けてはいない。日焼けしながらも肌は瑞々しい。 「女の恋は短いのです。秋の昼間のように」 「でも楽しかった」 末世はきり、と吊り上げた眉を崩してしまう。 「水をかけられて?残暑は長いものですから」 「まつよちゃん」 「とんだ行き違いがあったのです。明日も畑仕事でしょう。体力が要りますわね。まだ明るいうちは蒸し暑いですから」 「まつよちゃん。狐花が立派に咲いたよ。綺麗って言ってたくれてたやつ」 風に揺らぐ葉のない赤い花がふと甦る。禁龍寺の名を背負っていることも忘れて遊び呆けていたときに、ふと何かを問う妖しい花だった。 「覚えておりません」 「まつよちゃん」 「お客人に大変ご無礼なことですけれど、布団がこれしかございませんの。問題がございましたらあたくし、その辺りに寝ますわ」 「まつよちゃん」 末世は蛙井の貧相な胸板に潜った。彼は後ろに手をついて姫君を受け止める。 「おでが床で寝るよ。いつもそうだし……」 「あなたは手違いで呼ばれたお客人よ。床で寝かせられるわけないでしょう」 「まつよちゃん」 呪いをかけられている。彼の特徴的な声は末世の耳に取り憑いている。彼女は徐々に恐ろしくなった。 「寝なさい」 寝衣の衿を掴んで蛙井を布団の中に引き摺り込む。彼は抵抗もしなかった。無造作に投げ出されたあえかな腕を、末世は無意識に握っていた。彼女にとって彼が傍に居れば、触れているのが当然であり自然だった。この慣れは禁龍寺の血筋に対する認識では拭い去れなかった。 「まつよちゃん、結婚するの?」 布団の中に加わった他者の体温によって末世は自身の輪郭を失いかける。そこに斬り裂かれるような問いが降ってきた。 「……しないけれど、するようなものです」 「まつよちゃん」 「呼ばないでくださいまし。わたくしを呼ばないで」 「あ、そうだよね……偉い人のお嫁さんみたいになるんだもんね。姫様ってみんな呼んでたから、姫様って呼んでいいかな。どう言っていいか分かんないけど、お幸せにね……まつよちゃん」 白梅久が画策したような艶めいた同衾にはならなかった。蛙井なりに気遣ったのか彼は末世に背を向け、末世もまた蛙井に背を向けて丸まった。やがて寝息が聞こえる。彼女はゆっくり布団を抜け出した。燈火は消されているが、まだ部屋の隅には御祓院が控えている。この男は末世が目元を擦り、静かに咽せいでいるのを一瞥すると浅く頭を下げるだけであった。 「まだいたの。水を飲みに行くだけだから」 身の内に秘めた激情によって燻された喉は掠れていた。 末世は自室を出て
人気
(
ひとけ
)
のない客間の並ぶ屋敷の西翼へ出た。鎧戸は外され、縁側から望む庭が美しい。彼女は一枚戸を開けると縁側に腰を下ろした。日が登れば暑くなるが、明朝は肌寒い。妙な時間に起こされたものである。またあの百姓も厳しい時間に振り回されたものだ。 ひとり隠れてしくしくやっていると、庭に背の高い白影がやってきた。青白い空に蒼白い細面は不気味な感じがあった。しかしそれは彼女にとっては優しい兄であるのだから彼女はどう思うたのか。 「末世。末世じゃないか。どうしたんだい、こんな時間に……」 痩せ衰えた
紅梅久
(
あかうめひさ
)
である。白梅久と見分けのつかなかった使用人たちも、今の有様では見分けがつく。 「兄様……お身体に障ります」 紅梅久は
蹌踉
(
そうろう
)
としながらも杖をついて末世のもとへやって来た。 「今日は少し、調子が良かったから……私のことはいい。どうしたんだい、末世……」 彼は襟巻きを解くと打ち拉がれている妹に巻いた。白貂か白狸が使われている
尨毛
(
むくげ
)
の襟巻きがふわふわと彼女を包む。 「兄様……なんでもないのです。なんでも……お身体に障ります」 「白梅久様かい?白梅久様が、また末世に酷いことを言ったのかい?」 兄は彼女の隣に腰を下ろし、その肩を痩せた腕で抱き寄せる。 「いいえ……何もないのです。お身体に障ります、兄様……」 「末世……おまえは変わってしまったね。前は何でも話してくれただろう。私がこんな
病身
(
からだ
)
になってしまって、おまえにかかる負担も増えた……すまなく思う。不甲斐ない兄を赦しておくれ」 「兄様のせいではございません。兄様……今はお身体のことだけ考えて」 「末世……私はおまえが心配なんだ。おまえが愚かだと言っているんじゃない。これは兄としての業なんだよ」 細く骨張った指が頭を撫でる。際立った髪を掻き分けた爪が刺さり、少し痛いくらいだった。末世はふたたび涙を溢れさせた。 「兄様……大兄上が、……」 しゃくりあげながら彼女は昨晩にあったことを話した。その間、薄く硬く冷たい掌が背を摩る。 「彼はまだ、部屋に……?」 「はい」 「末世」 「大兄上は、あの方を亡き者にするおつもりなんだわ。わたしはもうあの方とは、関わらずに生きていくつもりなのに」 紅梅久はさらに妹を抱き寄せた。末世にとって、紅梅久は兄でありながら、父であり母であり、また村で見る孫と戯れる優しい祖父母でもあった。 「末世……その覚悟ができているのなら、日が昇るまでのおまじないをしてあげよう」 頬に触れる乾燥した掌の質感は、末世の知ったものではなかった。 「この傷の上からね」 罅割れた唇が縦傷と横傷の交差点に重なった。 「末世は一人の女の子だ。日が昇るまで……」 「兄様……」 「人の生というのは、ここまでと決められた途端に急に短くなる。末世、行っておいで。にいさまは、いつでも末世の味方だから」 末世は獣毛の襟巻を兄へと返した。 「ありがとうございます、兄様」 末世は泣き腫らした目を拭うと、自室に戻った。 御祓院はまだ堅く座り、布団はこんもりとして小さく浮沈している。 末世は蛙井の投げ出された手を握り、布団の中にしまう。彼女は温かく柔らかい狭間に潜った。蛙井の寝衣の衿が乱れ、貧相な胸板が垣間見える。末世はそこに頭突きする。彼の匂いと体温がこもっている。ぴとりと蛹のように丸まって張り付いた。 「う、ううん……」 蛙井が寝ながら呻いた。畳を踏む足音が近付く。掛布団が剥がされ、末世は驚いて、御祓院の焦った顔を見上げる。 「な、何……?」 「うんん……?」
温気
(
うんき
)
が下がったためか、それとも末世が声を出したためか、蛙井も薄らとながら目を覚ました。 「申し訳ございません」 御祓院はすでに体温を逃した掛布団を2人に返した。 「ん……まつよちゃん………」 蛙井は寝返りをうち、末世を呼んでおきながら彼女に背を向けた。末世は骨の目立つ背中にまたぞろ蛹となって張り付いた。彼は日が昇れば畑仕事へ向かうのだ。そしていずれは村の娘と契り、子を持つ。子を抱き上げて、その頃には禁龍寺の娘と過ごした日々のことはすべて忘れ、思い出すこともまたないのだろう。いいや、しかし禁龍寺の身でありながら、この男と過ごせたのだ。そこには白梅久と紅梅久の寛大な懐があったからこそだ。一生の宝である。宝であるがゆえに脆く感じるのだ。 「まつよちゃん」 彼はまた寝返りをうって末世のほうを向いた。温かな匂いが膨れる。 「まつよちゃん、狭い?」 気付けば彼の身体は半分、敷布団を出ていた。 「狭くありません。蛙井さま、もっとこちらに寄ってくださいな」 末世は身をのたうたせて後退する。蛙井の腕を引っ張った。 「身体痛くしちゃうよ、お姫様なのに」 「蛙井さま……日が昇るまでは……」 その続きは言えなかった。蛙井を引っ張り、その腕の中に入ってしまう。眼前に彼の肌があった。鼻先を当てて嗅ぐ。 「まつよちゃん」 「今日でさよならです。そういうおつもりで……蛙井さま。あたくしは幸せでしたのよ」 「もう、会えないの?」 「もう会わないのです」 彼女はきっぱりと言いながら、その語気に反して貧相な身体に腕を回した。 「まつよちゃん」 「こうして誰かと同じ布団で寝るのは、ばあやや、じいや、兄様とだけでした。ですから蛙井さま……これがあたくしがあなたさまにあげられる初めてですの。悔いはございません」 末世は蛙井の顔を見上げた。彼は強張り、狼狽えている。 「まつよちゃん。おでも……」 「蛙井さま。蛙井さま、蛙井さま!」 末世は蛙井の顎や頬に口をつけた。身体ばかり成長して、中身は成長しきれていない2人の男女の幼いやり取りであった。 日が昇り、蛙井は別室で朝餉を食ってから帰された。末世は隠れ、彼の背中を見送る。 「よろしかったのですか」 「よろしくなかったと言ったら、あの方をまた連れてきてくれるのかしら」 御祓院が訊ね、末世は遠くなっていく見窄らしい後姿から目を離さずにぴしゃりと吐き捨てた。 「出過ぎた真似をいたしました」 末世は賎民の姿が見えなくなると、御祓院を置いて自室にこもった。朝餉の集いにも寄らず、さめざめと泣いていたがそれは悲しみによるものかというとまた末世も分からなかった。 ◇ 白梅久から呼び出され、末世は彼の部屋へ赴いた。 「よく来たね」 彼はまず妹を労った。頭を撫でられる。彼女はもしかすると、手や指の感触で双子の兄弟を見分けられるかもしれない。それは紅梅久が病臥する前から。 「……お話というのは」 妹の態度に白梅久は微苦笑する。 「怒っているね」 「何に対してです」 「僕が、あのお百姓さんを呼んだことに対して……かな」 微苦笑が、不敵なものに変わった。 「大兄上。禁龍寺の血が云々と言い出したのは大兄上でしょう。あの者をどうするおつもりですか」 「どうするとは?どうもしないよ。君も禁龍寺の娘だね。母は違えど、僕等の妹で嬉しいよ。御祓院から報告は受けているんだ。君はあのお百姓さんと交わらなかった。それなら、どうにかする理由はないね」 「大兄上……!」 末世は白梅久に飛びかかった。彼は朗らかに笑っている。 「兄妹喧嘩なんて珍しいね」 しかし末世は、真後ろから伸びた腕によって力強く制されてしまった。 「御祓院。君も大変だ。兄妹喧嘩をさせてあげられないなんて」 白梅久はまた微苦笑している。 「放しなさい、御祓院!何を言ったの!」 「まだ未通の身だと、そんなことを教えてくれたよ。大事なことだから。禁龍寺にとっても、末世、君にとっても」 白梅久の微笑が糸を断つように消えた。 「わたしは魍魎坂と契る身……賤しい百姓となんて、そんな……そんな辱めはありません!」 「末世。女人にとっての初めてというものがどれほど大きな意味を持つか、僕には理解できないことだけれど、まったく分からないことでもないんだよ。せめて兄心として、僕はあのお百姓を斬り、末世、君に一生の隠し事と裏切りをしてでも、脆い宝を抱いていて欲しかった」 「禁龍寺の娘にそんなものは要りません!お願いですから……もう二度と、あの者を巻き込まないでください。わたしの気の迷いだったのです、浅ましい土百姓に心惹かれるなど……」 白梅久が、妹の大傷に掌を当てる。 「末世」 「いいのです……いいのです、わたしは。大兄上と紅梅久さんのおかげで、少しでも普通の村娘らしいことができたのですから。それ以上のことを何故望めるのです」 兄の眉根が寄る。 「素晴らしい……覚悟だよ。末世。それなら、禁龍寺の務めを、果たしてもらおうか」 言い聞かせるように白梅久は一句一句切った。 「御祓院という男は、よくやってくれたよ。いつもよく働いてくれるよね。君はそうは思わないかい?末世……」 「はい……」 突然、御祓院についての話題になり、末世は戸惑いながらも肯定もした。厳めしく寡黙で仕事振りも男振りも悪くない。ところが、抜作で多弁、その日暮らしの冴えない貧相な男に胸を射抜かれ、その矢が抜けず消えずの末世には、ただの兄の付人としか映らなかった。そして白梅久もそれを察しているらしい。苦味のある微笑が彼の口元に浮かんでいる。 「男から見るとなかなかの男振りなのだけれど、女人からみると少し怖いのかな。
女同胞
(
おんなはらから
)
や娘が嫁ぐのなら、そのお相手はこんな男だと、僕は安心なのだけれども……」 「そうですか……」 「末世」 「はい……」 白梅久が何故呼び出したのか、末世にはその真意が汲み取れない。 「魍魎坂の忌まれ児は縛り上げてあるから……君が率先して事に及ばなければならないよ」 「は、い……」 「ところで、君は手入らずの身なんだね?やり方は分かる?男への触れ方は……」 兄の表情が固くなる。彼もまた複雑な立場にあるのだ。 「分かります……触れ、れば……」 「末世」 「分かります……!平気です!」 「三日三晩、
閨
(
ねや
)
を共にしてもらうよ」 末世は口で返事をできず、首肯した。 「痛いらしいね。僕も初めての女人を抱いたときは泣かせてしまったよ。それは痛みだけではないのだろうけれど」 彼はぽつりと言った。 「痛みなどは、関係ありません」 「女人に悦びを与えられる男の種が実を結ぶ。それが
理
(
ことわり
)
。痛みや恐怖、不安……それらが許されているのは村娘の色恋だけだ。末世。悦びなどはどうでもいい。ただ痛みや恐怖、緊張などは要らないよ。それとも、敢えて……生き物の本能に訴えて、実を結ばせるかい。だからつまり、末世。君は恐怖するけれど、身体は子孫を残そうと、恐ろしい男の種と実を結ぶ。そういうことも、できなくはないのかも知れないね」 末世の顔から血の気が引いていく。白梅久も妹を脅したいわけではないらしかった。しかつめらしい顔をしたかと思うと、哀れみを込めた目を彼女へ向ける。 「……っ」 「御祓院。僕は少し出るよ。奥の部屋を使うといい。ただし、末世は魍魎坂の忌まれ児の子を産まねばならない。この意味が、分かるね」 「はい」 「大兄上……」 白梅久は立ち上がり、狼狽える妹を見下ろした。 「禁龍寺の務めを、果たしてくれるね」 冷たい指先が一筋、彼女の傷を撫でていった。襖がぱたりと閉まる。末世は愕然として項垂れていた。 「御祓院……」 「
私
(
わたくし
)
が旦那様に、末世お嬢様の純潔をいただきたいと申し出たのです」 嘘なのであろう。彼女はすぐに分かってしまった。この男は
蹇蹇匪躬
(
けんけんひきゅう
)
に白梅久を庇っているのだ。この男も哀れなものだ。 「誤解しないで、御祓院。わたしは誰も恨みはしないわ」 主人の命では貞操も差し出す。この男も哀れな立場にあるのだ。恨むだけ野暮であり、恨むだけ禁龍寺の名に泥を塗る。
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