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第1話

 宣告どおり、夫は病によってこの世を去った。  一時的に、たとえば2日3日でも実家に暫く帰ってくるよう言われたが、朋夜(ともよ)は同居している夫の甥を一人残せなかった。今年20歳になる大学生で、彼の実父であり朋夜の義兄にあたる人物は失踪した。それからというもの、朋夜の夫・仁実(ひとみ)は甥の京美(みやび)を引き取り、息子のように、弟のように接した。結婚もまたこの甥との同居が最も重要な条件だった。否、朋夜の夫は甥のために結婚し、また彼女もそれを承知で求婚に応じたのである。それは夫・仁実が彼女の兄の大恩ある同僚だからでもある。朋夜自身、夫のことが嫌いではなかった。  時刻はすでに日付の変わる寸前に差し掛かり、やっと玄関ドアが軋んだ。寝間着の朋夜はリビングのチェアから腰を上げた。鍵の開く音がする。同居人の義理の叔母が寝ていることなど考えも及ばないといったほど足音は遠慮がない。 「おかえりなさい、京美(みやび)くん。ちょっと……帰りが遅いんじゃない?まだ、仁実さんが亡くなって間もないんだし……」  夫のことを口にすると、ふ……と胸を突かれる感じがあった。5歳前後ほどしか歳の違わない甥は彼女を無視するように部屋に進んでいく。追ってしまった。 「京美くん……」 「うるさいな」 「ご、ごめんなさい」  部屋のドアを閉められかけ、朋夜の身体が締め切るには邪魔だと分かった途端、それを指摘するのも面倒臭そうに彼はそのまま暗い部屋奥に入っていく。 「……あ、ごはんは……?」  親代わりだった叔父の死が、彼には堪えているのだろう。夫が再入院するまではこのような態度はとらなかった。 「要らない」 「そう…………ラップして置いておくから、よかったらレンジで温めて食べてね…………」  照明も点けず、彼はただスマートフォンを操作している。ぼんやりと顔が浮き上がる。 「―奏音(かのん)さんみたいな美人だったら、毎日喜んで早く帰ってきただろうさ、オレも叔父貴も」  朋夜は、えっ、と声を上げてしまった。それから目を泳がせる。 「そう…………わたしなんかで、ごめんね」  静かにドアを閉めた。今、あの甥が口にしたのは夫・仁実の元恋人である。朋夜も課は違ったけれど職場が同じだった。どういうわけか2人は結婚せず、朋夜に結婚の話がやってきた。思えば仁実は、謝ってばかりだった気がする。まだ美しい元恋人に未練があったのだろう。優しい男である。後ろめたさを抱いていたに違いない。  八つ当たりかも知れなかった。実父に見放されたも同然で、保護者の叔父も若くして病没した。仁実はある程度の財産を遺し、その半分を相続できるよう手配されているが、今あの甥を苦しめているのはそういうことではあるまい。これからは赤の他人も同然な叔母と暮らさねばならない焦りもあろう。我が息子、我が弟といった風情で仁実は京美の面倒を看たが、京美は早々このマンションを出て行ってしまうかも知れない。それはやはり叔母が邪魔だからである。彼としては朋夜が、恩ある叔父から恋人を蹴落としたように見えるのであろう。以前はただただ無愛想だった。そして気を遣う相手が亡くなった今、そこに刺々しさが加わった。  夫を亡くした不安と、京美からの核心を突く言葉に彼女は枕をうっうと濡らした。 ◇  亡夫の大切な甥の部屋のドアが開いた。朋夜はダイニングテーブルを拭く手を止めた。 「おはよう、京美(みやび)くん。お弁当作ったの。昨日の残り物の味を変えたものだけれど……持っていく?」  京美は爪先を玄関のほうに向けたまま振り向いた。 「要らない」  スマートフォンを取り出し、時間を確認してすぐにしまった。 「そう……いってらっしゃい。気を付けてね」  玄関ホールまで歩み寄り、スニーカーに足を突っ込んで腰を下ろす義理の甥が首だけ向けた。これ以上来るなという合図に思える。 「あまり遅くなるのは……」 「先寝てればいいだろ」  彼は吐き捨てて、靴紐の解けたまま出て行ってしまった。  朋夜の弟は高校生だった。夫を亡くして間もない彼女を心配し、今日は帰宅途中に姉のマンションに寄ると言っていた。菓子を作って待つ。弟の、甥と接するためのアドバイスは役に立った。夕食はとにかく、赤の他人の手作り菓子や素手で作った握飯に忌避感があるものだとは彼から聞いた。  インターホンが鳴った。異母弟を迎える。三和土(たたき)白皙(はくせき)の少年が入ってくる。さらさらとした髪が特徴的で、痩躯ゆえに長身の印象を受ける。息を呑み吐くのを忘れるほどの美貌が柔和に微笑む。 「お邪魔します」  最後に会ったのは仁実の葬式だった。この弟は姉の夫に対して険悪な態度をとったりはしなかったが、懐いている様子もなかった。それは義兄に、既に十分な弟みたいなのがいたからかも知れない。 「いらっしゃい、神流(かんな)ちゃん。パンケーキを作ったけれど、食べる?」  朋夜の弟・綾鳥(あやとり)神流(かんな)はシステムキッチンに立つ姉の姿を見て目を眇めた。 「食べる。お姉ちゃんのパンケーキ、大好き!」  弟と暮らしていたときはよく作っていた。彼はダイニングチェアに座り、姉を眺める。彼女は真っ白な皿にパンケーキを2枚重ね、そこにフルーツを盛り付けていく。弟の好きなチョコソースをかけてからテーブルに運んだ。 「美味しそう!」  フォークを持って彼は目を輝かせた。外では大人びて見えるらしいが、姉の前では高校生男子には見えなかった。あどけない。なめらかな肌は瑞々しく、瞳はいつでもよく濡れて、髪は風に靡くと夏の山奥の(せせらぎ)のようである。 「京美(みやび)兄さんは、まだ大学?」  鱈の切り身みたいな手がフォークとナイフを綺麗に操りパンケーキを切った。 「うん」  甥の名前が出て朋夜の胸が苦しくなる。弟は小賢しく首を捻った。 「遅くなるみたいだから、まだ帰って来ないと思う」 「どうするの、お姉ちゃん。このまま、ここで暮らすの」  神流が最も結婚の話に反対した。搾取だ、奴隷契約だ、甥の面倒は仁実側の親族で完結させるのが筋だと言っていた。朋夜はまだ20代半ばである。血の繋がらない夫側の甥を、夫の死後まで面倒看る気かと。 「京美くんが20歳になったら……ここは京美くんのものになるから、その時に決める」 「お姉ちゃんが帰ってくるの、僕はいつでも待ってるね」  懐こい弟は姉の返答にやや不満げな様子だった。麗かな顔面に苦みを帯びた控えめな微笑を浮かべている。 「うん、ありがとう」  京美のことを頼まれ、それが最大重要項目、最優先としていた結婚だが、朋夜はこの義理の甥と上手くいかなかった。結婚の条件や遺言を破ることにはなるが、まるで嫌がらせのように彼の傍に居るのは、却って夫の大切が想っていた甥を不幸にしかねないであろう。叔母とはいえ歳のそう離れていない、血縁関係もない女が一つ屋根の下で暮らしている、傍に居るというのはたとえば彼に恋人ができたときその者の不安要素になるかも知れなかった。  弟の微笑にこの姉は安堵していた。その柔和に細められた目元に嵌まっている宝玉みたいなのが剣呑に尖り輝いていることに気付いた様子もない。彼女はただ日常的に、家族と暮らしていた日常生活と同様に弟に話し掛けようとしたところで玄関扉が小さく軋んだ。ノブが回る。入ってきた義理の甥は中高生にありがちな革靴に目を留めた。廊下を貫通しリビングを向いた。朋夜は玄関に向かっていった。それを弟が視線で追う。 「おかえりなさい、京美くん。今、わたしの弟が来ていて……」 「あ、そ」  彼は靴を脱ぎ、適当に揃えて朋夜の傍を通り抜けようとする。 「今日は大学、早かったのね」 「うん」  邪魔だというのを隠さずに自室への進行をやめない。 「あ、パンケーキ焼いたの。食べる?」 「要らない」  彼はドアへ吸い込まれていく。朋夜はリビングへと戻る。神流は長い睫毛をぱちくりさせていた。 「ごめんなさいね、変なところ見せちゃって……」 「ううん」  さらさらの髪が繊細な音を立てて首を振る。親代わりの叔父を亡くしたばかりなのだから(ふさ)ぐのは無理もないことだと、聡明な彼には伝わっているのだろう。 「わたしがちゃんとしないといけないのに」 「そうかな。お姉ちゃんだって大変だったでしょう?お姉ちゃんとして、妻として、叔母としてずっと、ちゃんとしてて……そんなの疲れちゃうよ」  パンケーキで皿の上のチョコレートソースを拭き取る。そして桜色の唇にしまわれた。  彼女は、淡々とフルーツを口に運ぶ弟を見ていた。暫く気を張る日々が続いていた。じわりと目頭に響く一言だった。 「神流ちゃんは、優しいね……」 「そんなことないよ。僕のお姉ちゃんだもん。倒れたりしたら、嫌だよ」 「大丈夫よ、神流ちゃん。ちゃんと寝てるし、ちゃんと食べてるから。心配かけちゃったね」  小さな頃から優しく気の利いた弟だった。片親が違う。このことで気を遣っているのかも知れない。そういう節は今まで何度かあった。 「なんでも相談してよ、お姉ちゃん。愚痴だって虚空に向かってぶつぶつ言ってるよりいいと思うから」  神流の優しい笑みの奥に含まれた妖美な輝きを朋夜が知る(よし)もない。  姉弟水入らずの時間を過ごし、やがて神流は帰っていった。実家に帰らないという選択は頑ななものではなかった。弟の背中がマンションのエレベーターに消えていくまで、このまま彼を追ってしまおうかと揺れが起きていたことは否めない。玄関ホールまで戻ると京美が自室から出てきたところだった。 「帰りたければ帰れば?ってか荷物纏めてさっさと出て行けよ」  朋夜はぱちぱちと目瞬きが速まる。 「あ……あ、ごめんね。でももうちょっとだけ、ここに居させてね」 「仁実叔父貴はもう居ないんだ。あんたがここに縛り付けられておく義理もない。帰る家が無いわけじゃないんだろ」  京美の冷めた眼差しが恐ろしい。 「うん…………でも、京美くんが20歳になるまでね。もう少しだから。もう少しだけ、一緒に居させてくれると嬉しいな」  心臓が重い。頬に筋肉痛を覚える。努めて明るく振る舞おうとするが声が震えた。 「奏音さんと結婚してれば、こんなことにはならなかった」  その一言が耳に入るのと同時に直下型地震が発生したものと勘違いした。だがしかし建物の軋みはない。朋夜は目を見開いた。発言した京美もまた驚いた顔をしている。一体、彼が何をそんなに驚くことがあるのかというほどに。 「ごめんね」  "こんなこと"が何を指すのか、それは判然としている。仁実の病死だろう。余命宣告どおりではあったけれど、もし美しく聡明で要領の良い元恋人がそのまま妻になっていたならば、仁実はさらに長生きしていたかも知れない、或いは根治(こんち)さえしていたかも知れないと京美は考えているのであろう。 「…………別に」  彼は俯いてしまった。 「今からごはん作るから」 「いいよ、宅配頼むし」 「そう…………じゃあ、冷蔵庫に入れておくから足らなかったら食べてね」  京美は部屋に吸い込まれていく。姿が見えなくなるのを確認してから朋夜は落ちそうになっていた涙を拭き取る。夫が生きていた頃は3人で食卓を囲んでいた。しかし夫が亡くなってからは別々になってしまった。食べて帰ってくるか、宅配か、自分で適当なものを作って食べている。今まで無理に不味いものを食わせていたのではあるまいかと考えると口出しできなくなってしまった。  野菜を炒めながら、突然、治まっていた涙が込み上げる。喪失感によるものか京美に対する申し訳なさによるものかは分からない。目元を擦る。 「さっきは、」  忽如として現れた声に朋夜はぎくりと肩を跳ねさせた。京美が立っている。 「あ、ごめんね。何か作る?今すぐ終わらせるから」  火の勢いは変わらないというのに彼女はフライパンの上のものを掻き回す。十分に加熱されている。沈黙が恐ろしい。彼の言葉に身構えていた。唇を噛む。  京美は朋夜を見つめ、一度切られた言葉を続けることもなく踵を返した。待ちくたびれたのかも知れない。朋夜は焦ってしまった。皿を置く位置を誤り、それは重力に従って床に叩きつけられ爆発四散する。身体が冷えていく。呼吸が乱れた。息を吸っているつもりが、酸素を得られていない感じがある。妙な空気の音を聞きながら、思考停止し、ただ焦りを感じながらも何をしていいか分からなくなる。 「何……してんの?」 「あ、あ、ごめんなさい。ごめんね、今片付けるから。本当にごめんなさい」  義甥(ぎせい)を振り返れない。仁実の元恋人ならこうはならなかったと思ったに違いない。また指摘されてしまう。しかし焦燥はまた彼女に牙を剥く。破片を集めようと触れた瞬間に鋭い痛みが指を咬む。 「痛っ、!」 「おい」  リビングの脇にいた京美がキッチンにまでやってくる。相変わらず空回った呼吸をした。だが今は酸素を気にしていられる状況ではなかった。とりあえず息はできている。今は、義理の甥の迷惑にならないようにするのが最優先だ。 「すぐに片付けます。離れていて。どこまで飛んでるか分からないし、踏んだら危ないよ」  ところが影が近付き、隣にやってきた。目線を合わせるかのように屈まれる。頭が真っ白になった。隙間風みたいな音を耳が拾い続けている。指先の傷にも構っていられない。義甥は怒り、呆れ、言葉も出ない様子だった。大きな破片を掻き集めようと伸ばした手を掴まれる。朋夜は荒い息遣いが鎮まることもなく憤激していること間違いない義理の甥をおそるおそる向いた。 「ごめんね、すぐ片付ける。すぐ片付けるから……!明日お皿も買ってくるし、本当にごめんなさい。赦してね。ごめんなさい……」  掴まれた腕を引き戻そうとするも、手首は鬱血するほど力強く握られている。理想の叔母ではない女に家の皿を割られ憤懣(ふんまん)やるかたないのであろう。京美は普段の昏い双眸に爛々とした粘こい光りを携える。  彼は朋夜の真後ろにあるシンク下の収納スペースを殴った。 「ひっ、」  朋夜は殴打を予期して目を瞑った。身体が強張る。とうとう暴力に訴えるほど怒らせてしまったのだ。否、或いは身体的な痛みであるほうが耐えられるのかも知れない。朋夜は内心、亡夫に不甲斐なさを詫びた。 「ごめんなさい……天条(てんじょう)さんじゃなくて…………」  夫の元恋人である天条奏音であればこのような失態はしなかったであろう。彼女は器用で要領がいい。また京美を怒らせないよう立ち回れたであろう。 「うるさいよ」  静かに彼は呟いた。 「ごめんなさ―」  反射的に謝罪を口にするが語尾を奪われた。朋夜の頭はまた真っ白くなる。唇が柔らかい。焦点も合わせられないほど近くに義甥の姿がある。目を見開いた。しかし掌が迫り視界を閉ざす。 「ぁ、う……」  柔らかさは痺れに変わっていく。適温に保たれていたリビング続きのキッチンが寒くなっていた。 「嫌がらないの?」  唇が放された。しかしまだ鼻先の触れそうな距離を保っている。 「ご、め………ごめんなさい」  立ち上がるには窮屈だったが、横から抜け出るようにシンク下の収納棚と義理の甥の狭間から逃れる。すると京美も呆れたらしき溜息を吐いて立ち上がった。朋夜は何をされたのかももう忘れてしまっていた。頭にあるのはいかに義理の甥を不快にさせないかである。 「すぐに片付けるから………すぐに」 「掃除機取ってくる」 「だ、大丈夫!自分でやるよ。ごめんね、ありがとう。何か作るのかな?片付け終わったら呼ぶから……」 「別にいい」  彼は無言のまま自室へ帰る。静寂が朋夜を責め(なじ)る。嗚咽を噛み殺し、先程とは比べものにならない涙が皿の破片に紛れていった。  仁実の意向には沿わないかも知れないが、京美はほぼ20歳である。早々とこのマンションを去るのが義甥のためなのであろうか。これでは叔父を亡くした喪失感だけでなく、叔母に対するストレスで彼が潰れてしまうかも知れない。仁実から甥を託されたけれど、すでに中身は子供ではないのである。亡夫の遺志よりも、生きている甥の意志を汲んだほうがいい。幸い、帰る場所は他にある。弟の姿によって実家が恋しくなった。  片付けを終えて夕飯を作り終えてから甥を呼ぶが、彼は出て来なかった。ひとりで飯を食う。入浴から就寝前になっても京美は自室に籠り、フードデリバリーも来なかった。おむすびキットで握飯を3つほど作ってテーブルに置いてから彼女はベッドに入る。今までの傾向からしても食べないであろう。残っていれば自分の朝飯になる。そういう生活だった。  消灯をしてから物音が聞こえた。自分という存在が本来のこの家の持主に等しい京美を窮屈にさせていることを朋夜は分かっていた。そのために就寝時間を早めている。できるだけ顔を合わせないようにしている。20歳まではもう少しである。そうなれば京美も強気になって愚鈍で邪魔な何の繋がりもない叔母を放り出すことができる。京美の口振りからして彼は叔父の元交際相手が好きらしい。1人になれば連れて来ることができるのだろう。  布団の中に潜り身体を丸めて亡夫に詫びる。同時に成人した京美がすでに好い人を見つけているのならそれはそれで良いことなのではあるまいか。  息苦しさとともに目を閉じる。  部屋のドアが開く。まだ完全に眠りに入っていたわけではなかった。朋夜は身体を起こす。 「何?京美くん。どうしたの?」  ドアを開いたまま彼はそこに突っ立ったまま動かない。朋夜は枕元に置いたリモコンを手探りで取って照明を点ける。眩しさに目を眇めた。  京美は部屋の中を見回す。夫婦で別室だ。朋夜の私物は少ない。ダンボールひとつに纏められている。家具といえばラグひとつ敷かず、ベッドと化粧台、小さな白木のテーブル、プラスチック製で抽斗(ひきだし)型の衣装ケースくらいのものだ。夫が様々なものを買ってくれようとはしていたがあまり物欲もなかった。ただ窓際にプレゼントされたサボテンが置かれている。 「お腹空いちゃったのかな?何か作ろうか?」  甥から責められるのが怖い。何を言われるのか分からない。怯えてしまう。 「出ていくの?」  部屋の中に踏み入り、彼は朋夜を見下ろす。 「え?」 「だから、出ていく気なの?」  問いの意味が分からなかった。京美が20歳を迎え、そのときに出ていけと言われたなら出ていくが、出ていって欲しい希望がないのなら出ていくつもりはなかった。その選択は京美の意思に依存する。  注がれる冷酷な眼差しは今にでも邪魔者を追い出したいようである。 「いつ………?今は、無理だよ。今出ていくのは、できないよ………?」  京美は少しの間、媚び(へつら)い微苦笑を浮かべる朋夜を見ていた。そして何も言わずに退室する。今すぐ出ていって欲しかったようだ。その"出ていく"というのは追い出すというよりも一定時間、外に居て欲しいという意味なのかも知れない。誰か友人でも呼ぶのかも知れない。そうでなければあまりにも急な話だった。朋夜はスマートフォンに手を伸ばした。弟はまだ起きているかも知れない。今から家に帰ってもいいか連絡を入れた。すぐに返信があった。帰ってきても問題ないらしい。遅くなるため先に寝ているようまた返信する。それから京美の部屋のドアをノックした。 「京美くん。起きてる?」  反応はない。彼がいつも寝ている時間にしては早いが、今夜はもう寝たのか。その可能性が浮かんだ直後にドアがわずかばかり開いた。京美の姿も全ては見えないほどの隙間から嫌悪に塗れた目が覗く。 「わたしの家、ちょっと帰ってきても平気だって言うから、ちょっと帰るよ。お友達呼ぶのかな。明日のお昼頃にはもう帰ってきてもいい?」  舌打ちが聞こえた。友人を呼ぶのか否か、それは余計だったのかも知れない。彼が干渉を嫌うのは知っていた。 「……別にいいよ」 「じゃあ、明日のお昼までおうちのこと、よろ―」 「そうじゃなくて。別に出ていかなくていいって言ってんの」  京美が部屋から出てきた。朋夜は後退る。まだ後退り足らないのかとばかりに京美が近付いてくる。目が泳ぐ。視線がぶつかるのが怖い。 「じゃあ、わたし、もう寝るね。おむすび作ってあるから、よかったら食べてね……」  壁に背中を擦るようにして京美の視界から出る。しかし腕を掴まれ引き戻される。そういう肉体的な接触は今までなかった。潔癖な気質を彼に見出していたほど、触れるのも嫌なのかと思っていた。 「あの弟が帰ってきなって言ったの?」  腕と胸に回る。背中に他者の体温を感じる。
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