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第5話

 唇が近付いてきて我に帰る。緋霧(かすみ)はふいと首を曲げて躱した。笑い声が降る。 「カレシくんじゃなきゃ、させてくれないか」  その言い草が気に入らず、パーソナルスペースを優に侵し至近距離にある身体を突き飛ばす。 「何これ?すご。キスマークじゃん」  謎の青年は無遠慮に手を伸ばし、彼女の首筋に触れた。痛みも痒みもない。人の肌の感触があるだけだ。 「結婚チラつかせば?結婚チラつかせば、男なんてとっとと尻尾巻いて逃げるでしょ」  彼はたじろいだ緋霧の表情に一瞬だけ驚きを見せたがすぐに軽率な顔に塗り変わる。 「それともほんとに、双子のお兄ちゃんのほうに鞍替えするん?」  緋霧は目を伏せ、躊躇いがちに頷いた。この謎の青年をあしらっているのだ。双子のはずだが恋人とは似ていない蝋人形に対し、彼に寄せたような情念は抱けそうになかった。  「…………ヤなんだけど」  肩の関節を外さんばかりに急に引っ張られる。 「なに…………?」 「ヤなんだけど」 「何が…………?」 「"何が?"じゃないよ。来て。話あるから」  また不意を突き力強く引き寄せられる。 「わたしは無い……」 「チミはね!チミの話なんか俺っちも興味ないよ。なんでもかんでも自分中心だと思うなよ、悲劇のヒロイン様」 「ちょっと……」  エレベーターに連れ込まれ、乱暴に腕を掴んでいた手がいつの間にか繋がれている。 「有名な水彩画家だもんね。他のどの女さんよりもカレぴっぴは有名で高収入じゃないと満足しないんだ?さすが!悲劇のヒロイン気取り!クラウン・ドラマティックのヒロインもそんな感じだった!」  もしかすると彼は女性をメインの購買層に据えて書かれたそのシリーズの愛読者なのかも知れない。緋霧の弟も、姉から借りて少女漫画を読んでいたことがある。しかし彼女は読書をしないわけではないが、クラウン・ドラマティックノベルスは名前を聞いたことがある程度で実際に本を手に取ったことはない。 「鷹庄(たかしょう)緋霧」  繋がれた手を外そうとすると彼は隣から前に移ったが、その時にはすでにエレベーターはエントランスに着いていた。緋霧は謎の青年の謎の挙動に小首を傾げ、エレベーターを降りた。 「待ってよ!」  謎の青年が後を追う。振り返ると立ち止まる。 「鷹庄緋霧の家、行っていい?」 「……フルネームで呼ぶの、変」 「じゃあなんて呼べばいいのさ。あ、カレぴっぴに似てる僕ノ介に、名前で呼ばせる気なんだろ!狡猾(こーかつ)な女!クラウン小説にも出てた!鷹庄緋霧は悲劇のヒロインを陥れる悪役女じゃん!」  指でさされる。静架の風貌で静架とは違い、ぎゃおぎゃおと賑々しい。 「ふつうに、苗字で呼んだら」 「鷹庄………緋霧。家行ってもい?」 「どうして」 「ちゃんと断れよ!浮気じゃん」  石蕗(つわぶき)家のあるマンション脇の小道は狭いが妙に洒落ていた。横断歩道を渡り、さらに大通りには歩道橋がある。その歩道橋を下りるときまで、やいのやいのと言われていた。ふと他の通行人があることに気付き、緋霧はそれとなく謎の青年を注意する。彼は横に避け、2人の脇を生け花を抱いた少年が小さく礼を言って下りていく。すれ違いざまに不思議なチョコレートの蜜煮みたいな目と視線がぶつかる。彼の華奢な腕に抱かれた白と赤の大振りな花は肩に泣き縋る様に似ている。 「また、会いましたね」  変声期を終えたか否かという少し高さの残った声質だった。颯爽と去っていく。緋霧はすぐに恋人に似た謎の青年を向いたが、彼は過ぎ去った美少年の後姿をぼけっとした顔で見ていた。 「今の、めちゃくちゃ美少年だった」 「うん」  たとえそこで彼が「醜男(ぶおとこ)だった」と呟いたとしても、彼女は同じ返答をしたかも知れない。 「は?浮気じゃん。浮気女。鷹庄緋霧は絶対に、悲劇のヒロインとかなれないだろ」 「浮気……か」  恋人の双子の兄に激しく抱かれる光景がコマ送りに甦る。視界が明滅し、記憶が飛ぶほどの快楽を得たことは否めない。否定することを自身が許さなかった。肌を触られたときから、自身が自分を怒り、呆れ、侮蔑している。 「浮気性、治したげる!」  朔風(さくふう)とまではまだいかない晩秋のいくらか粗い風が2人の間を吹き抜け、緋霧はそれに靡いたように外方を向いた。 「どうやって」 「分かんないけど」  謎の青年はぽりぽりと頬を掻いた。空気は乾燥している。 「分からないのに、治すの?」  首を彼のほうに直した。静架に似た目が夜のネコみたいにまんまるい。故人の面影はあるけれど、彼よりあどけなく、また表情も豊かだった。劇薬をかけられる以前の瑞々しさがある。 「…………うん」  拗ねたように唇を窄めているのがやはり幼い。粘膜が乾き、(ひび)割れた溝から赤が覗けた。 「リップクリーム塗る?」 「は?えっ?」 「痛そうだから」 「え、え……」  謎の青年の取り乱す様に彼女はまた首を傾げた。何かおかしなことを言ったかと彼女は反芻し、しかしそう動揺を誘うようなことは言っていない気がした。 「誑かすなよ!」  突然怒りだす相手にワセリンのケースを差し出す。彼はそれを見てとると一度停止し、だが直ちに再度怒りだす。 「なんだよ!リップクリームじゃないのかよ!」 「スティックタイプのこと?あるけれど……わたしが使ったやつでいいの?」  緋霧はワセリンのケースをしまい、ポーチからリップクリームを取り出した。 「は、は、はぁ?」  彼は目を満月の如くまんまるにした。 「ティッシュで拭く?」 「い、い、いいよ。そのままで。お、お、オレっち、カ、カノジョいるし、これくらい慣れてる」 「カノジョがいたの、あなた。ごめんなさい。それじゃ悪いから……」  謎の青年の手がスティックタイプのリップクリームを取る寸前で緋霧は手を引っ込めた。 「僕のちんにカ、カ、カノジョがいるって分かった瞬間掌返すの差別だろ!差別主義者!差別主義者はヒロインさんにはなれないんだゾ、やーい、やーい!鷹庄緋霧は悪役ライバル女~」  緋霧は薄らと困惑気味に眉根を寄せると小さく嘆息し、後をついてくる青年を無視して残りの階段を下りてしまった。 「おい!鷹庄緋霧の家、僕ざうるすも行くって言っただろ!」 「そう……」  彼は本当についてきた。車は近くの商業施設の立体駐車場に置いてある。しかし商業施設を利用しないのも悪いと感じて、後ろからちょろちょろと人懐こい野良猫の子供みたいのを放っておきながら雑貨屋の並ぶ区画を練り歩いていた。ハロウィンが終わってからすでに店内はクリスマスの色合いが濃くなってきていた。それからわずかに来年の干支がモチーフになったものも目に入る。 「これ、置く」  ひとりで来ていたつもりになっていた緋霧は、その刹那どきりとして隣を見た。静架に似た顔が、彼にはなかった悪ガキっぽさでスノードームを掲げている。中には赤いマフラーを巻いた白ウサギが可愛らしく前足を出して立っている。キャラクター的というよりは写実的で、黒い目の塗装は少し甘い。下地の白が透けている。 「かわいいじゃん。これ、鷹庄緋霧の家に置く!」 「わたしの家?」 「僕侍の家に置けっていうのかよ!これ、コンセント挿したら、雪が発泡スチロールみたいにふわってさ」  絵に描いたような水晶玉のサイズだ。やはり値段はそれなりにする。 「わたしの家、もう似たようなのがあるし……」  それは買わないための嘘ではなかった。サイズは大分下回るけれども、100円均一ショップで静架の買ってきたものがすでに玄関に、季節問わず置かれていた。それもモチーフはウサギだったが、もう少しキャラクター的で、コンセント式で動くということもなかった。一昨年の冬のことだというのに最近のことに感じられた。会計直前に設けられた棚で偶然目に入り、可愛いから買ってきたのだと彼は言っていた。その時の様子が鮮明に、声までついて甦る。 「嘘吐きじゃん。嘘吐きヒロイン。嘘吐きヒロインもの、僕選手はあんま好きくないから読まないの」  白ウサギのスノーグローブが置かれ、彼はすいすいと店内に入っていってしまった。緋霧は向かいの服屋を気にして謎の青年を放った。子供のようだがおそらく子供ではない。高く見積もっても20代後半だろう。30代に入っている感じはまるで感じられなかった。  服を眺めているやいなや、店を挟んだ通路で大声が聞こえる。 「おい!どこぉ。鷹庄緋霧ぃ」  緋霧はまたどきりとして慌てて店を出た。 「そんな大声で呼ばないで!なんで呼ぶの」 「だって居ないんだもん。家行くって言ったじゃん。あとこれ、お家に飾るやつ」  膨らみのある紙袋を渡される。 「え……」 「絶対ぜったい、飾るんだからね」 「わ、悪いよ……」 「やだ!飾るの!」  後から代金を請求されはしないかと、にんまりしているよく知った顔立ちを胡散臭そうに()め付けてしまう。厚みがあるだけに、そう安くはなさそうだ。 「……………ありがとう」  索然と紙袋を横に垂らす。恋人のいるらしい男から特に理由のないプレゼントを押し付けられるのは、否、貰うのはいくらか悪い気がした。 「中身見ろよ!フツー、プレゼント貰ったら中身確認するだろ!爆弾だったらどうするんだよ。非常識はヒロインになれないんだからな」  彼女は渋々と何回か巻かれた白地に赤チェックの紙袋を開く。触り心地からいうと固くはない。 「見た?見た?」 「……ぬいぐるみ?」  中から引き抜く。手触りの良いファーの生地でできている。真っ白な丸みのある塊が現れた。焼き目のついたマシュマロを思わせる腹と黒い嘴、ブラウンの透明感のある二つのボタン。フクロウのぬいぐるみだ。 「……何、これ」 「白ペンギン。かわいいでしょ。僕次郎だと思って一緒に寝ろ!」  緋霧の呆れたような横目に彼は気付かない。黙っているとやがて察したらしい。 「は?喜べよ。可愛げないな。贈物(タダ)なんだぞ」 「そんなこと言って、カノジョに悪くないの」  その一言に謎の剽軽な男児みたいなのは唇を引き結ぶ。 「い、いいだろ別に!僕は愛されてるの!何しても許してくれるの!」 「……そう」  彼等の付き合い方だ。横槍は入れられない。言いたいことがないわけではなかったが、彼女は口を噤んだ。 「なんだよ、鷹庄緋霧!カレシにこういうことされたら、イヤなのかよ」  緋霧はこの意地を張ったような問いを真面目に受け取ってしまった。好きにすればいい。静架は気が好い。流れや機嫌や気分によって異性にプレゼントすることがあるかも知れない。そしてそこに不安がなかった。彼に愛されていることに不思議と揺らぎがなかった。驕りや自惚れの後ろめたさもない。彼が死んだときに悔いた。外に出たがらなくなってしまった静架を口説き、誘い、死に至らしめたことを。他の人ならば、外に出さずに付き合えたのかも知れない。双子の弟のものを形見として取っておくのが癖らしい陰気な兄を上手いこと、角も立てずに退けられただろう。  珍奇な感じのある青年は考え込んでしまった彼女の顔を覗く。 「意味分からん。行こ。白ペンギンは大切にしてね」  彼は往来を妨げそうに突っ立っている緋霧の手首を鷲掴みにして引っ張る。 「これ、ペンギンなの?」 「嘴あるし腹丸いからペンギンでしょ。イヌには見えないけど?」  語調に刺々しさがある。元来た道を返され、駐車場に戻ってきてしまった。 「ぎゅってして、大切にして」  ほんわりと温かった空気から出て、薄暗い立体駐車場はひんやりしている。駐車券の精算機の前で彼はむすっとそう言った。 「え?」  緋霧は面喰らう。 「白ペンギン、ちゃんとぎゅってして」  恋人でもない恋人持ちの異性からもらったぬいぐるみを抱けと言われて素直にそうするのはやはり憚られる。彼にこれという感情は抱いていないが、静架に風貌が似ていることは否めず、彼の恋人という女性にも悪い。静架は敏かったけれど、この者は複雑な恋人心というものに鈍感なのだろうか。それか非常に奔放で型破り、想像を超えた付き合い方をしているのかも知れない。 「浮気っぽくない?」 「なんで?」 「あなたが買ってくれたものにわたしがそんなことしたら、嫌な思いしないかな」  目も口も丸くして、彼はぎくりと一回震えた。 「……だって僕ノサンダーII世のカノジョ、ぼきが鷹庄緋霧に白ペンギンあげたこと知らないよ。言わないし」 「……そう。けれど、そういうことじゃなくて…………」 「めんどくせぇな、浮気女。いいの!だいじょぶ。いい子ぶりやがって!悲劇のヒロインになりたいのかよ!」  緋霧は小首を捻りながら精算機をいじる。券型の支払い証明書が出てくる。 「お金持ちのカレシにもらえよな」 「何を?」 「駐車料金。もうもらったん?」 「どうして?」  鈍感ゆえの無邪気さで、馴れ馴れしく彼は緋霧の真後ろから操作パネルを眺めていた。 「だってあいつ金持ちだろ。推定年収1億5000万って雑誌に出てた」 「あいつって?誰のこと?」 「トボけるなよ、浮気女。鷹庄緋霧の浮気相手で、石蕗家のごたいそうなご長男様サマ石蕗 叶奏(かなで)以外に誰がいんの?」  どうにも胡散臭い金額だった。目の前に晒された通帳のことも信じられない。 「高額納税者だぜ、駐車料金なんて端金だろ。それも浮気女(カノジョ)のためなんだから」 「カノジョじゃないよ」 「今更言い逃れするなよ」  緋霧は黙って券を取り、自分の車を探した。 「なぁ」  謎の青年は手元も見ずにドアに手を掛け、ばちりと静電気を起こした。 「やだ、開けて」  彼は手を袖に隠し、まるで酷いことをされたと言わんばかりである。 「助手席に乗ってほし?」 「ううん。危ないし、後ろに乗って」  要求に応えるが、彼はむっとした。 「なんだよ!」 「シートベルト締めてね」  運転席側の後方ドアを開けて謎の青年が入っていく。助手席の後ろまで尻を擦りながら移動し、シートベルトを引いたのを見て緋霧も運転席に乗り込んだ。 「喉渇いた。そこにあるの、飲んでないならちょーだい」  助手席のドリンクホルダーにある茶の缶を指して、拒否はあり得ないという貌をしている。 「うん」  助手席のドリンクホルダーといわずそこに手を伸ばさなくとも、ドアの内側の足元付近のホルダーにもひとつ同じものがある。それを渡すと不服げだったけれど堅めのプルタブを起こしていた。じゅるる……と啜る音がした。 「なんでカレシん宅に停めないん」 「なんだか、あそこの駐車場使うの、悪い気がして。部外者なのに何時間も停まってるの。前はここの中にあるスーパーで夕飯の買い物もしてたし、別にいいかなって」 「フツーはカレシが運転してカノジョん()行くんじゃないの。金持ちだし車なんか好きなの買い放題だろ」  緋霧はバックミラーを何気なく見てから唇を曲げた。違う人物の話をしている気がした。石蕗家のあるマンションは一目見て富豪の住む場所とは言い難い。貧しげでもないが、タワーマンションという荘厳ぶりもない、いたってよくある、中流家庭が借りているのがそれとなく分かるような雰囲気の建物だ。金持ちだ、金持ちだとこの者に言われているのが、イメージと合致しない。 「わたしが連れ出さないと、外とか行きたがらない人だったし…………しずちゃんは。別に長時間運転するわけじゃないから。どこか行く時は運転してくれたよ?」  バックミラーには不貞腐れたように窓を向いている静架に似た静架でない姿が映っている。 「浮気中のカレシの話なんだけど」  呆れたような、うんざりしたような声で返ってくる。それきり緋霧は黙ってしまった。雪女と口裂け女を内に秘めている程度のことしか、その人物については知らないのである。 「あの人、車持ってるの?」  あまり外に出ない者同士、共有しているのだろうか。 「そんなん、ちゃん僕が知るかよ。持ってんじゃないん?金持ちなんだし。外国の富豪みたいに専属ドライバー持ってるほどじゃないにしても。乗せてもらったことないん?だいじぶ?好かれてる?」  揶揄する軽い調子とは反対に、緋霧は腹の奥が痛くなる感じがした。好きだの愛しているだの結婚したいだのと言うが、その行動はすべて肉欲を糊塗していりようにも感じられる。それがさらにあの男を嫌悪させる。肉の感触が介在しなければ口も開かないほど寡黙だ。それが一旦、無理矢理に力尽くで事に持ち込めば、薄情げな口元はよく動く。 「好かれてないよ、全然」 「結局は浮気の域を出ないってワケね!クラマティック小説のヒロインは浮気相手にも愛されちゃうのに。残念だったね。アソばれちゃうのはヒロインのライバル女ポジじゃん。負けんじゃないよ」  出口に立つ機械に支払証明券を食わせ、バーが上がる。 「ぼき、これ好き」  立体駐車場4階から斜面を下る。ついてきた男子児童じみた青年は嬉々としていた。 「鷹庄緋霧」 「なに?」  彼はバックミラーをぱちくりしながら覗いていた。呼んで反応があったのが意外だったらしい。 「おうち、誰かいんの?」 「いないと思うけれど……」  父の異母弟が来ないとも限らない。彼の来訪はいきなりだ。連絡をしてくることもあるが、そうでないことも同じくらいある。しかしそれを説明するのが急に面倒になってしまった。居たらいたで何か困ることがあるのだろうか。 「お父さんとお母さんは?」 「お母さんはいないの。お父さんは海外出張」 「お兄ちゃんとかいないの。妹とか」  死んだ、殺されたと答えるのは気が引けた。周りを気遣わせてしまう。この妙に馴れ馴れしい変わり者が気を遣ったり遠慮するとは彼女は思わなかったけれど。 「うん。いない」  弟はいた。弟のいた生活そのものを無きものにし、否定するような感覚もなくはないが、今、現時点に於いて弟はいない。質問の核となっている自宅に物理的に帰ってくることはないのだから嘘ではない。間違ってもいない。 「おうち誰もいないのに、(いせー)おうちに連れて帰るん?浮気じゃん。二重浮気?ヒロインのやることじゃないね」 「じゃあ車庫でバイバイだね」 「は!やだ!お茶くらい出せよ。お茶今飲んでるから、ココアがいいや。鷹庄緋霧はココアとか飲む?」 「粉のがあったと思うけれど」  彼はまたじゅるる、と茶を啜った。スチール缶の中から曇った音がする。 「絶対ヘンナコトしないから、お父ちゃんにテレビ電話してもいいよ。僕くん、鷹庄緋霧に興味ないもん。だってクラマティック小説のヒロインと真反対じゃん。だから絶対にヘンナコト起きない。ネコとかいないん?僕っち、鷹庄緋霧と何かあるくらいなら、鷹庄緋霧のペットのほうと何かあることを疑って欲しいよ!」  勝ち誇ったような鼻息が聞こえた。 「ネコは野良猫がたまに来るくらいで……ハムスターなら飼ってるよ」  弟の可愛がっていたカスタードプリンに毛の生えたような色合いのハムスターがいる。 「ふーん。名前は?」 「サバノシオヤキ」 「え?」 「シオヤキ」  彼はまだ聞き取れていなそうだった。 「誰が付けたん、そんな変な名前。競馬の馬?」  果たしてそれが競走馬のような名前なのかは彼女にも分からない。 「弟の友達」 「弟?弟いんの?なんでウソ言った?」  そうして結局、嘘というわけでもない、隠しごとでもない先程の省略した返答は訂正されることとなった。ただ緋霧の予想とは反して、故人であることを仄めかすと根掘り葉掘り訊くことはない。急に黙ってしまった。  彼女の運転する車が自宅へと近付く。見慣れた風景に入っていく。木々も家々も冬の装いに変わっていた。紅葉が落ちはじめ禿げていく街路樹や、イルミネーションを垂らした外構。 「……齧るん?」  車内は静かになっていたが、(しお)らしく小さな問いがそれを打ち破った。 「うん?」 「ハムスター」 「齧らないんじゃない?わたしは齧られたことないけれど……」 「じゃあ遊ぼ」  また後ろから、ずろろろと茶を啜る音がする。そう大きな缶ではない。 「鷹庄緋霧にじゃなくて、ハム()に何かおもちゃ買ってあげればよかった」 「シオちゃん女の子だよ」 「女にハム男って付けちゃ悪いのかよ」  赤信号で停まり、ふとバックミラーを見遣ると彼はむすっとした。 「悪くないけれど……」 「なぁ」  シートベルトが許す限り、彼は前のめりになる。 「うん?」 「鷹庄緋霧は、男に女みたいな名前、引く?」 「引かないと思うけど。うーん、漢字とかにもよるかな。苗字との組み合わせとか。ただ、そのコに引くっていうか、名付けた人の言い分にもよるんじゃない?」 「出た。クラマティック小説のヒロインも、そうやってイイ子ぶった答え方する」  彼はまだむすっとしている。
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