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第4話

◇  玄関に引き入れられるやいなや、首筋に噛み付かれ、冷たい黒髪が頬にぶつかる。 「ぁ……う、」  舌が肌を這う。呼吸を忘れ、息が乱れた。 「鷹庄(たかしょう)さん。会いたかった。すごく、会いたかった」  一日三秋(いちじつさんしゅう)、一日千秋と言えど、昨日顔を突き合わせたばかりである。散々に肉体を貪り、体力も活気をも搾り取っていったのはこの男だ。 「一緒に暮らそう?婚約者なんだろう……?一緒に………」  相手の殺意を疑うほどの力強さで抱き締められ、頬擦りをされる。雰囲気だけではなく、この者は男でありながら雪女だった。 「冷えているな。温める。鷹庄さん。一緒に暮らすのなら、どっちに住む?籍も苗字も好きにしていい…………俺が鷹庄姓になろうか。別姓は嫌だ。鷹庄さんと一緒がいい」  一言一言、句点とばかりに彼は緋霧(かすみ)を啄んだ。 「俺のほうの苗字になったところで……鷹庄さんは何度も想像しただろう?」 「……………しない」  緋霧はぽつりと答えた。すると叶奏(かなで)の目がぎらと据わる。 「顔は静架(おとうと)と同じはずだ。肉体(カラダ)の相性は悪くない。経済状況か?待っていてくれ…………いいや、一緒に…………通帳を見せる。それなりに貯金はあるんだ」  叶奏は聞き分けよく身を離した。タートルネックに黒のセーターが青白いさをさらに青白くするが、玄関の橙みを帯びたライトでいくらか血色が好さそうに見える。しかし彼の双子の弟で緋霧の恋人は首元の感じを嫌ってタートルネックは着なかった。黒もまたあまり選んでいなかったような気がする。  腕を掴まれ中に引き入れられる。緋霧はまだ上着も脱いでいなかった。叶奏は構わず彼女をリビングに連れ、キャビネットの抽斗(ひきだし)を漁ると本当に通帳を取り出した。上下に開かれ、目の前に晒される。9の後ろに6桁控えている。緋霧は眉を顰めてしまった。 「経済面のことは心配しなくていい。これは貯金で、俺もまだ働ける」  平然と彼は通帳を閉じてまた抽斗にしまった。絵を描いていると本人ではない口から聞いていたが、まさか、有名画家や人気イラストレーター、売れっ子漫画家なのだろうか。そのような話は聞いたことがない。 「好きなことをしていい。家のことも俺がする」  甘言蜜語(かんげんみつご)だ。何よりも一方的で重い。交際も経ずに通帳を見せられ、経済的援助のための結婚みたいではないか。 「しない………結婚、しない」 「する………俺と結婚する!」  彼は自身の体重すべてを緋霧に預けんとして抱擁にかかった。それは格闘技のようでもあれば、襲撃と紛う。実際叶奏は本当に彼女を押し倒した。足が縺れ、転倒しそうになるのをソファーへ移され、そこで腰から落ちていく。 「石蕗(つわぶき)さ………ん」 「結婚しよう。何が不満なんだ?弟とそう変わらないだろう?」 「か、変わる…………」 「変わらない。何故だ?どうして。俺と弟は何が違う?傷のことか?」  彼は左の目元を右手の薬指で、つ……と撫でた。妙に艶めいている。 「違う」  答える声は震えていた。 「それなら……」 「そういうところ……しずちゃんに成り代われると思ってるところ…………」  まだ怯えから抜け出せない。いくら細く華奢で儚そうに見えても力で敵わないのは日々の陵辱の中、骨の髄まで知らしめられている。首を絞められたり殴られたりすれば、そのまま彼の暴力は最後まで遂行されるだろう。  緋霧の警戒に反し、叶奏は首を絞めたり殴りかかるということはなかった。ただ神経質そうな眉根を寄せ、蚰蜒(げじ)ゝの節足の如き睫毛を伏せた。大きく深く傷付いた、双子の弟の左顔面よりも傷付いたと言わんばかりの様相だ。そのまま諦め、叶奏とはこれで終わると思った。ところが彼は力加減のある手で緋霧の腕を掴む。 「石蕗さん………」 「好きだ、かすみ」  ソファーの座面に張られ、男の身体が()し掛かる。皺が寄ることにも気を遣わず叶奏は緋霧の着ているものを剥いでいく。ボタンを弾き飛ばされたり破られるためブラウスはやめたが、彼は構わず毟り取っていく。 「ん、や……っ、」 「好きだ、かすみ。好き………俺のかすみ」  カットソーをキャミソールごと捲り上げ、腹や胸を夢中になって吸っている。無理矢理に脱がそうとして窄まった襟が顔を擦っていく。服は無惨に肘まで捲られてしまう。それが彼女の動作を制限する。 「かすみが何と言っても、かすみは俺と結婚する。幸せにする……」  緋霧は叶奏の妖しい輝きを放つ目を見つめ、首を振った。 「俺と結婚するんだ」  唇が塞がれた。顔を背けるが叶奏は追ってくる。 「しない………」  拒否の間に挨拶もない唇は舌を伸ばして緋霧の口腔に訪問する。まったく傍若無人な挙措進退だった。奥に佇む彼女の舌に擦り寄ると絡みつき、叩きつけ、ぶつかりながら回るのだ。唾液が混ざり、それは下にいる緋霧の中に流れ落ちていく。注ぎ込まれてさえいた。 「う、……ふ……………ぅ」  頬を撫でる手が耳朶を遊び、耳殻を包む。ヒトの温かさがない。変温動物に捕獲されたみたいだ。  自ら片腕を引き抜いて叶奏との間に肘を張る。だが彼は彼女の拒否を拒みさらに強く唇を当てた。 「は………ぁ、う………っく」  緋霧は喉を抉じ開けられる感じに噎せた。男の体液が流れ込み、咄嗟に一瞬の怪力により、或いは男が容赦して、距離を作ることができた。  叶奏はグラッセめいた唇を舐めて拭った。緋霧はぐふ、ぐふと咳をする。他者の涎唾を飲まされ厭悪感に襲われている。吐いてしまいたいが吐気はない。ただ忌避感に嘔吐(えづ)いた。口元を押さえて喉を痛めるほど無理矢理に咳をする。しかし嚥下したものは出てこない。 「かすみ………」  叶奏は喉を嗄らすほど咳を繰り返し肩を上下させる女を見下ろす。激しい渇望がその眼差しには秘められている。彼女の毛穴すべてを眺め舐め(ねぶ)るように素肌を凝らしている。 「好きだよ、かすみ」 「やめ、て………」  彼女の声は掠れていた。 「かすみ」  叶奏の眼が季節外れの春情に煮え滾っている。 「かすみの所為だよ」  彼女は叶奏に顔だけ向け、それからすぐに逸らすと目蓋を伏せる。 「かすみがいけない」  首に冷たい掌がかかる。しかし絞めたわけではない。威圧するにも添えられている感が強い。だが手ひとつの重みがある。 「おまえの責任(せい)だよ、かすみ。弟が死んだのは。おまえが静架(あいつ)を外に連れ出したからだ」  いつの間にかこの男は彼女を鎖よりも堅固に繋ぎ留めておく方法を心得ていた。緋霧に驚きの様子はなく、また実際彼女は驚いていなかった。どこかしら後ろ暗いところが緋霧のなかにもあったのかも知れない。 「かすみは俺から同胞(きょうだい)を奪ったんだ。俺に与えてくれ。俺が寂しくないように。かすみを」  首にある手はやはり絞めたりしない。肌を柔らかく摩っている。蝋人形みたいな男は掌まで滑らかだった。緋霧の双眸は呪文にかかったようにとろんと濁りはじめる。 「弟を奪ったおまえが俺に尽くすのは当然のことなんだよ…………?」  猫撫で声は脅迫ではなく睦言に近い。優しい愛撫は止まらないから尚更だ。緋霧の強張った四肢が弛緩していく。 「許さないよ、かすみ。独りになった俺を慰めるのはおまえの仕事だ」  腿と腿の間に薄い手が割り込んだ。力のかかるまま彼女は膝を開いた。首に置かれた手はいつの間にか退いている。 「ご、ごめんな………さい」  所在なく持ちあげた手は空中に添い、やがて躊躇いながら叶奏の腕に触れる。 「許さないよ、かすみ。俺の孤独の癒し方は知っているだろう?」  彼は緋霧の目を覗き込む。彼女は顔ごと視線を逸らし、虚空を見つめた。深呼吸とも溜息ともいえない吐息が真上から聞こえる。目を閉じた。 「目を閉じるな」  額を掴まれ嫌でも視界には叶奏の凍った美貌が映る。眼球が海水と接したように沁みていく。彼は緋霧の前髪を逆撫でしてもう仕切り直しとばかりの濃密なキスをよこす。彼女の喉にフォーカスすると、こくりと嚥下で波打った。叶奏はその直後にキスを解いた。離れていく際には蜜糸が伸びる。 「かすみ」  彼もまた妙に艶めいて掠れる声をしていた。完全に蕩けてしまった女を欲望にまみれた眼差しで捉え、こくりと咽喉の隆起を蠢かせた。暫く彼女を眺めて辱め、それから皮膚を触って愉しみはじめた。手や口、頬でその肌理細やかさを遊ぶ。やがて穿いているものを脱がされ、ボンディングの無縫製のショーツが現れた。恋人を亡くした彼女には、恋人のために下着まで着飾る習慣がなくなり、今では自身の快適ぶりを優先するようになった。  叶奏は珍しそうにボディラインに沿った化学繊維を撫でる。ブルーベリーを思わせる青いショーツは無地で味気ない。しかしそれで冷める叶奏ではなかった。むしろ彼はこの女の下着にまた爛々と劣情を燃やした。飾り気のない、そして雑味もない、彼の中では目新しい形状に生唾を呑んだようだ。長いこと焦がれた女の楚々とした下着姿は(まなじり)のはち切れそうなほど目を見張り、熱心に見ている。それはもはや鑑賞だった。圧倒されてもいる様子だった。彼はまた喉の(つばく)みを浮沈させた。  緋霧もただ無防備、無抵抗に半裸体を晒していたわけではない。袖から抜けた腕で必死に局所を隠そうとしていた。それが却って黒毛の美獣を煽ることも知らずに。 「かすみ」  目を細め、愛しそうに彼は名を呼ぶ。そして完全にカットソーとキャミソールを取り除いてしまった。 「綺麗だ」  ブラジャーは控えめなピンク色だった。ノンワイヤーでやはり地味だ。彼女にはレースやフリルやリボン、サテンの生地などをふんだんに使ったランジェリーを選ぶ理由も買う意味も着る気力ももう無かった。それならば実用性を重視してしまう。着心地も良く、気遣いもなく、洗濯も楽なのだろう。 「綺麗だ」  叶奏は同じことをまた言った。長いこと懸想した女の下着姿に語彙を奪われたらしい。それか、そもそもそこまで言葉のレパートリーを持っていないのかも知れない。  彼は掠れ切った息遣いで緋霧の厚みのないショーツを下げた。羞恥によって彼女は震える。拳を握り締め、爪が掌に刺さった。 「……綺麗だ」  薄く小さく茂る園を目にして彼はまた同じことを口にする。独り言らしき響きだった。それはおそらく感嘆だったに違いない。ずい、と距離を詰め、叶奏は彼女の爪先から下着を抜き取った。そして脚を開かせる。いくらか緋霧は膝に力を込めたようだが、それを上回る腕力で呆気なく彼女は男を挟むかたちになった。 「かすみ」 「ごめ………なさ、…………」  怯えて震え、緋霧の口は詫びるけれども、叶奏は愛想のない顔をして黙っている。言葉はなく、彼は彼女の股ぐらに頭を突っ込んだ。 「いや……ぁ!」  しかしここで本気の抵抗を示したところでもう遅かった。すでに叶奏の口唇は彼女の花肉を捕まえている。 「あ……っ」  冷たい黒髪に彼女の指が入った。拒んでいるのかも求めているのかも分からない。艶やかな毛並みが接触した素肌に溶けていく感じがさらに緋霧をおかしな感覚に浸らせる。  敏感な鐘芯を吸われ、彼女は背筋を(しな)らせる。固く鋭い輪郭を持った電撃が下腹部に駆け巡り、出口を探すようにそこに留まる。そしてそこに上塗りするような快感が送り込まれた。暴れているようでいて的確に当たり、器用に焦らす。腰骨が融解しそうだ。緋霧は逃げようと尻を擦らせて後ろにいこうとするけれど、叶奏が許すはずもない。彼女の腰をしっかりと固定して口淫を続行する。吐息が茂みを撫でていくのも恥ずかしかった。羞恥がさらに気持ち良さに置換されているらしい。彼女は顔を覆い、腰を跳ねさせた。 「あ……っ!んっ、」  肉珠を甘く食まれて仰け反る。大きな氾濫が起こった。湿(しと)った音が露骨なものに変わる。 「いや……っ、いや………っ!あっ!」  叶奏の舌が彼女の体内に入ってきた。突破の瞬間、その表面の質感が強い印象を叩きつける。 「あっ、あっ……」  跳ねてしまう腰から片方手が退いた。間もなく舌技に翻弄されていた場所に指が入った。次に淫らな虐めにあったのはあまりにも弱い痴芽であった。 「い、や………ァ、あんっあっ、ああ……!」  血が脳天に集まっていく感じだった。彼に舐め苛まれ、臍の下の奥で破裂しそうなほど悦びが蠢いている。 「だめ………ッ、ぃや………ぅう、」  彼女は身を縮める。水音が速まる。叶奏の舌と唇はもう捕捉できない。 「あああっ!」  突き抜ける快楽が咲き誇ってしまった。彼女は甲高い声を上げて腰を男の顔面に擦り付ける。視界が白ずんだ。股ぐらに頭を埋めている人物が誰なのかも分からなくなってしまった。 「あ………、ああ…………」  黒髪がしゃららと鳴った。 「かすみ………」  呼吸を整える暇もない。彼は股ぐらから頭を離した瞬間に圧迫と衝撃を与えた。焦点も合わないほど近くに男が身体を倒す。 「あうう!」 「痛いか……?毎日抱いているが、かすみのなかはいつでも狭いな」  叶奏に強く抱き締められる。彼はすぐには動かなかった。届く限りの範囲に接吻し、汗ばんだ女の匂いを嗅ぎ回る。 「あ……ぅうう…………」 「やめてほしいか」  彼女は固く目を閉じて頷いた。肩に噛み付いたのと見紛う。 「やめない。かすみ……おまえの所為だよ」  髪を撫でなる動作と言動には一致していない感じがある。 「ごめ………なさ、い。他のことで、………」 「かすみを抱くことでしか、俺の孤独は癒されないのに?」  腕を取られ、彼女の手は叶奏の背中に回る。恋人にのみ侵入を許した隘路は今、その双子の兄の猥根が占拠してしまった。 「もう動いていいか。早くかすみで、気持ち良くなりたい」  彼女の股を真っ二つに裂かんばかりの突き上げが起こる。 「あぁ……」  蜜に滲む壺道が擦れた。緋霧の眉は哀れっぽく歪む。 「いい匂いがする。シャンプー、俺と同じのがあるから、持っていくといい。あげる。俺とお揃いにしよう」  肩の上で首を横にする。彼は汗でシャンプーの薔薇らしき匂いが活き活きと蒸れて噎せ返りそうだ。 「同じシャンプーでも、かすみはどんな匂いがするんだろう」  ゆっくりと抽送がはじまる。小さな呻めきが混じる。彼の鼓動を内部に感じる。引き抜くだけ引き抜かれ、次は押し込まれる。 「好きだよ」  甘たるい時間だった。緋霧が怖がり、恐れて、嫌がろうとも、叶奏の声音は猫を撫でるも同然で、所作は優しく、醸す空気は甘やかだ。 「好き、かすみ…………好き。好き、好き、好き……………好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き、好き………大好き」  長い睫毛に覆われた目がくわと瞠いて女を見下ろす。彼は興奮に身を委ね、理性を手放してしまった。徐々に速まるピストンに裸体が揺れる。彼は息を切らして今自分が喉を鳴らしながら食っている肉を撫でた。そしてまだ胸を覆うブラジャーを千切るのかと思うほど乱暴に引っ張る。それでは取り除けないことを悟ると、彼女を抱き竦め、ホックを外す。小山を描くカップが浮き、バンドがはためく。その下で男の支配下にあるリズムによって膨らみも揺れる。小振りな色付きは凝り固まって、膨らみに悩ましい華を添える。踊るように上下する乳房は叶奏に媚びているようだった。彼は女の下着に隠れた大きくも慎ましやかで楚々としたバストに、見開いた目をさらに眦のはち切れそうなほど開き、息吹は木枯らしの如く轟いた。 「い…………ゃ、あんっ」  叶奏という男は、この密かに懸想し情欲を抑えきれなくなった双子の弟の恋人の肉体的な弱みまで見抜いてしまった。弱いくせ、色付きは姿を隠すどころかむしろ前へ前へ出てきている。彼はその小李じみた肉粒を摘み、また舌先で転がした。緋霧の曇った夜空みたいな下内部は官能という月を捕食者に晒してしまった。 「や、あっ!あんっ……!」  胸を口で甚振った瞬間、彼女の声は高らかになる。叶奏は耳だけでなく敏感な屹肉にも熱い蜜汁の滲みを認めたことだろう。 「かすみ…………」  それを彼は、相思相愛、両想い、長かった恋愛の成就と見做(みな)した。牡の歓びは膨張し、腰は鞭打たれたように加速する。 「かすみ…………、かすみ!」  胸の頂を捏ね、()られた緋霧は急激に高められ、力強く牡塊を扱いてしまう。今まで、微かに、ほんのりと、わずかばかり拾い上げていた程度の感覚を総取りしてしまった。脳裏に恋人の姿が過る。叶奏と死んだ恋人は、本人が豪語するだけあって肉体が似ていた。恋人に拓かれた身体は不本意であろうと、よく似た肉体に昂っている。今までもそうだった。彼女はもう否定できなくなってしまった。 「かすみ……――っ!」 「だめ………、ああ……!んあっ」  体内で破裂を感じる。彼の絶頂に連鎖反応を起こして、悦楽が飽和する。蜜路の収斂が放精を促した。臍下から伝わる脈動が緋霧を長いこと官能の漣に留めた。 「かすみ………かすみ…………………気持ち良かった」  彼はまだ肉の悦びに打ち拉がれている想い人の愛粒を指と指の間で擂る。その指遣いと上擦った声が嫌悪感を催しながら、それがまた緋霧の長い揺蕩いを延ばす。 「も………だめ、やめて……っ」 「かわいい。まだきゅうきゅう締め付けて………………かすみも俺のことを好きになってくれたんだな。嬉しい」  まだしっかりと質量を保った牡像は、少しも離れることなく、また緋霧の内部を行き来する。クールダウンでもしているみたいだ。 「も、しない………もう、………しな、い…………」  頭を横に振りながら身を捩り、這って逃げようとする。 「する。やっと両想いになれたんだ。すごく嬉しい。幸せなんだ。かすみ…………」  (おぞ)ましい独り言だった。雪女めいた血色の悪い美貌に浮かぶ微笑まで口裂け女じみている。近付いた唇から顔を逸らす。彼の肩に手をついて突っ撥ねる。ずん……と叶奏が腰を入れた。放されないことをいやでも知ってしまう。  玄関扉を乱暴に閉めた。シャワーを浴びることもできなかった。叶奏は風呂場でも交合(まぐわ)おうとする。それに応える体力はもうない。不快感に、ドア前で屈み込む。このまま帰らなければならないのかと思うと憂鬱だった。 「ゲロ吐くん?」  横から降りかかる声に顔を上げた。剽軽な面構えに火傷痕のない恋人がひょこんと突っ立っている。 「今玄関開いたら面白くね?」  人の変わってしまった静架(しずか)を見ているようで目を伏せてしまった。叶奏よりもこの謎の青年のほうが双子の相方として近い印象がある。 「恋人が死んだら、その双子のお兄ちゃんとよろしくやる気なん?」 「……………うん」  立ち上がり、小さく溜息をついて緋霧はそろそろ帰るつもりだった。皺の深く刻まれたカットソーが気に入らない。早く家に引っ込んでしまいたい。 「ちゃん僕のコト、知りたくないの」 「しずちゃんじゃないんでしょ……」  彼の立つ通路の反対側にある階段を降りて下の階でエレベーターを拾う算段だった。 「でも、血縁者なんだけど?」  いとこやはとこだろうか。静架の両親は再婚ではなく、また両方とも双子の実の父母であるから、三つ子が離婚によって生き別れたわけではあるまい。しかしいとこやはとこでこれほどまでの相似があるのかは、緋霧の知るところではなかった。 「悲劇のヒロインさんぶって、いつもお高くとまって、それを気高いと勘違いしてるんだな。ただの陰険女だよ?鷹庄緋霧。全然、チミはクラウン社のドラマティック小説にありがちな悲劇のヒロインなんて属性(クチ)じゃないよ」  有名な恋愛小説シリーズを挙げて、謎の青年はおかしそうに、そして嘲るように笑っている。相手をする気分ではなかった。 「…………そう」 「まだ、興味持ってくれないんだ。静架の弟かも知れないのに?」  ほとんど反射だった。緋霧は謎の剽軽な青年を見遣る。彼はそれに気を好くした。 「だから困るな。お兄ちゃんを(たぶら)かしちゃ。いくら双子でも、お兄ちゃんはチミの恋人の代わりじゃないんだよ?鷹庄緋霧ぃ」  弟がいるとは聞いたことがなかった。見たこともない。会話で匂わされとこともない。静架との交際は短いものではなかったつもりだけれども、そう完璧に隠せるものなのだろうか。言葉の端々にも弟がいるなどとは聞いたことがない。先入観によって聞き逃していたのだろうか。目を丸くしている彼女に、謎の青年はかなり上機嫌になっている。 「ねぇ、興味湧いた?」  彼はへらと笑って距離を詰めてくる。徐々に緩んだ顔が引き締まり、その火傷痕どころかシミもニキビもない顔面は緋霧の中の強い面影と重なっていく。
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