1 / 1

第1話

 黒崎 鴉火(あかり)如何夏(いかさま)波羽(はわ)観光地(スポット)を訪れていた。高台にある如何夏(いかさま)神社までの道のりは青々と木々が茂り、優しい風にあおられて白く照る葉がきらきら揺れている。彼女は柵に手をつき、美しい栗色の長い髪を遊ばせた。下方には小山に囲まれた街が一望できる。だが視界を多く占めるのは海だ。水平線のさらに奥を見ようとして不思議な心地になる。背後では子供たちがはしゃぎ、それを宥める声がする。幼い兄弟姉妹(きょうだい)の喧嘩なども耳に届く。老夫婦がゆっくりと石段を登ってもいた。人気(ひとけ)があり、整備が行き届いていて、人里離れた大自然とまではいかないけれど久々に緑に触れた。連れのいない彼女は誰に合わせるでも急かされるでもなく長いこと街を眺めていた。頂上にある展望台はおそらく混んでいるだろう。まだ日差しは強いが涼しい風が吹くため、しばらくの間時間を潰していられた。 「お姉さん」  隣に人がやって来る。鴉火の手をついている柵に両腕をついて振り返るように彼女を見た。頭に手拭いを巻いた男で、袖を捲った両肩からは日に焼けた筋肉質な腕が伸び、木々の葉と同様に太陽を強く跳ね返している。絵に描いたような素行の悪げな若者で、眉には切り傷の治り切らなかった痕があった。 「ひとり?慰安旅行ってやつ?カレシにフられたとか?」  ずけずけとした態度に鴉火は引いてしまう。見たところ手荷物もなく、観光客という風態ではない。 「もしかして地元民(じもピー)?」  応じない彼女に男はずいと首を伸ばす。 「ああ、オレ様がカッコ良すぎて驚いちまったか?」  距離を縮められた分、鴉火は首を竦める。 「昼の……何時か忘れたけどヒーローショーあるからさ、来てよ。オレ様のもっとカッコイイとこ見れるぜ」  手を伸ばされ、咄嗟に後退する。それが握手を求めたものと分かったとき、背後で彼女を受け止める者があった。後ろに出した足は確かに石畳から外れた地面についたはずだが、誰かの足を踏んだような気がしてならなかった。 「ごめんなさ……っ、」  振り返る。軟派な男とは対照的に色白で知的な雰囲気のある鋭い顔立ちの男だった。銀色のフレーム眼鏡がさらに冷淡な感じを助長する。 「そちらの者が失礼しました」  おそらく地毛らしき明るい髪は効果音を伴いそうなほどさらさらとして心地良い風に靡いている。 「昼の12時半からヒーローショーがございますので、お時間がありましたらどうぞご覧ください」  知的で冷淡な印象を受ける男はもう鴉火の相手をしていなかった。頭に手拭いを巻いた軽率そうな男を叱っているようだ。彼女はその場を去り、頂上を目指して残りの石段を登った。  緋色烏(ひいろう)ストーンを探し求めている。それが今回、:如何夏(いかさま:)波羽(はわ)観光地(スポット)を訪れた主な理由だ。鴉火の命の恩人がヒーローの証・緋色烏ストーンを集めている。本当に存在するのか疑わしいが役に立ちたかった。ヒーローショーに何か緋色烏ストーンに関する鍵があるかも知れない。  昼までまだ時間がある。如何夏神社の境内に入り緋色烏ストーンの在処を探す。近付けば、鴉火の持っている威怯(ひいる)ストーンに反応するはずなのだ。しかし何も起こらない。社務所の裏や木々の隅々まで回った。 「何かお探しですか」  気配もなく真後ろから低い声が降り、鴉火の肩が跳ねる。 「い、いいえ。別に……」  振り返るとヒーローショーの宣伝をした生真面目そうな眼鏡の冷淡そうな男だった。威怯ストーンを握り締め背中に隠す。 「そうですか。落とし物があれば、どうぞ社務所のほうに寄ってください」  作り笑いとはっきり分かる愛想を振り撒かれる。神社の関係者に思えなかったため、鴉火は彼をヒーローショーの主役のマネージャーだと踏んだ。その男は用が済んだとばかりに背を向けた。 「うろちょろされると迷惑なんですよ」  呟きの意味を理解したのと同時に手の中で威怯ストーンが震えた。 「お話なら中で聞きます」  この男は緋色烏ストーンを持っていて、尚且つ、鴉火が威怯ストーンを持っている「漆黒のコムジョンブラック」であることを知っている。  部屋の奥にある窓の桟に手を付いた。後ろ手に掛けられた錠の音に気付く。そのことを問いたげに見ても男は顔色ひとつ変えない。 「お名前は?」 「人に名前を訊く前に、まずご自分から名乗ったらどう?」 「……小悪党に名乗るほどの者ではないんですよ。コムジョンブラックの幹部、ネヴァンことアカリさんですね?」  男は一定の距離を空けていた。薄い目蓋の重なった切れの長い目は無遠慮に鴉火の爪先から脳天を往復する。 「ご用はなんです?まさか悪名高い漆黒のコムジョンブラックの大幹部が、こんな辺鄙な土地までヒーローショーを観に来たなんてことはありませんよね?」 「いいでしょう?別に。わたしがヒーローショーを観たって……」 「そうですか。ただヒーローショーをご覧になりたかっただけですか。それはよかった」  眼鏡のレンズが妖しく光る。 「そう。話はそれだけ」 「けれども困るんですよ。貴方みたいなのがうろうろしているのは……」  この男は邪魔だ。そして生真面目で冷静沈着な様子だがその眼差しからは欲情が嗅ぎ取れる。鴉火は着ている黒いシャツのボタンに手を掛けた。恩人に報いるためならば外聞など些細なことだ。色欲など無さそうな冷淡で端正な男のぬらぬらと光った瞳を見つめ、焦らすようにボタンはボタンホールをすり抜ける。 「暑いですか」 「この部屋に入ったときから、少し……」  もうひとつボタンを外す。ワインレッドのブラジャーが垣間見える。 「開けましょうか、窓」  男が近付いてくる。窓の傍に立っている鴉火はそこを退かない。窓の錠に男の手が伸び、反対の空いた腕は彼女の細い腰を抱き寄せた。それでいて掌はジーンズに包まれた小さな尻を撫でる。窓の桟に軽々と乗せられてしまう。 「さすが悪の大幹部。いけない人ですね」 「欲求不満のヒーロー様に言われたくない」 「欲求不満ときましたか。違います。貴方のいやらしさに()てられたんです」  錠を解いた手に彼女は顎を掬われた。いつの間にか鋭さを強調する眼鏡が無くなっている。美貌が近付き、言い返そうとした唇を塞がれた。緋色烏ストーンを持っているに違いない男の背中に腕を回す。唇の感触を確かめられながら次第に口付けが深くなっていく。リップカラーが相手の男の薄い唇も彩った。 「ぅ……んっ」  体温も無さそうな外見の男の舌は熱かった。絡め取られ、縺れ、目的を忘れそうになるほど巧い。口腔が溶けるようだった。崩れ落ちそうになりながら首に縋る。彼女のスレンダーな身体を支えていたはずの手はシャツのボタンを器用に開き、ブラジャーのホックを外していた。緋色烏ストーンに選ばれたヒーローとはいえ獣欲がある。息も思考も奪うキスから解放され、意図せず上目遣いを送ってしまう。少しずつ恍惚から頭が冴えてきて、どうやってこの場を切り抜けようか考えた。 「今のうちに考えておくことですよ」 「………ふぇ、………?」  リップカラーで汚した相手の唇がもう一度やってくる。緩んだブラジャーと素肌の間に手が差し込まれた。掌全体で膨らみを包まれる。後頭部を預けた窓ガラスがわずかに曇った。 「ぅ……ん…………ぁふ、」  舌が溶けてしまう。脳が戦慄しているようだ。口を閉じることも抵抗することもできない。鴉火はされるがまま、口腔の蹂躙を許してしまう。やっとキスが終わったかと思うと銀糸の繋がった彼の唇が吊り上がった。胸の先端を軽く摘まれる。下腹部に甘い痺れが起こった。 「悪の大幹部なら、どう切り抜けますか。この状況を……」  胸の実を(つね)られるとまた違った波が触られた箇所だけでなく腹の奥まで響いてしまう。鴉火は胸を攻める男の手に自分の手を重ねた。懇願するような表情で彼を見る。もう片方の手は威怯ストーンをゆっくりと額に近付けた。  重ねられて逃げた相手の男の綺麗な指が口の中に入る。彼の耽美な顔が挑戦的に歪んだ。ストーンを額に当て、喋るのを阻止されながら呟いた。 「へん………し、ん……」  みるみるうちに光が彼女を覆った。威怯ストーンはティアラや頭飾りを兼ねた鉢金となり、私服は漆黒のコムジョンブラックのロゴマークが入った黒い革製のボンテージともコルセットスカートともいえない衣装に変わる。素肌が透け腹回りの細さを強調するレースアップや、黒光りするハイヒールのロングブーツから伸びる腿に食い込むベルトが艶めかしい。裏地の赤いマントはまるで房事の最中のシーツのようだ。 「素敵です」  男は拍手した。慌てた様子もなくゆっくりと眼鏡を装着する。 「緋色烏ストーンを渡しなさい」  冷淡な男は手は真上にストーンらしきものを放り、自らキャッチする。 「これですか」  無防備にアカリへ見せ付けたのは紋章を閉じ込めたような透過性のある石だったが、それは妙な形の金属が埋まったような小さなコーヒーゼリーと見紛う暗い色をしていた。アカリ自身、緋色烏ストーンの実物は見たことがない。 「どうぞ、奪い取れるのなら奪ってみるといいでしょう」  まったくやる気のない挑発だった。負けを認めたのだろう。アカリは言葉に甘えて男を縛り上げるとストーンを奪ってしまった。手の中で転がしてみる。  社務所にアナウンスが流れた。境内の特設ステージでヒーローショーが始まるらしい。 「観ていかれますよね、アカリさん」 「ふん」 「その石、実はもうひとつあるんです。そちらには興味がありませんか。ヒーローショーでお見せするんですがね」  背中で両腕を縛られ、寝転がっている男が言った。 「さっき貴方をナンパしていた男、覚えていますか。俺がボルテキシー・ガーネットレッドで、あれがボルテキシー・ラピスブルーです。他のものは知りませんが、俺たちのは2つ無いと意味を成しませんよ」  アカリは知的な美男を見下ろす。レンズが白く反射している。 「正義のヒーローが白昼堂々ナンパをするの?」 「自覚に欠けているんです。少年少女が思うような褒めそやされて満たされる、いいご身分ではありませんからね」  弱ったようにボルテキシー・ガーネットレッドを名乗る男は眉を下げた。いくらか同情の念を呼び起こされる。 「ふん。じゃああたしが緋氷色烏(ひいろう)ストーンを奪ってあげるから、一般市民に戻るといい」  マントを翻しアカリはヒーローショーの開催される特設ステージに向かった。すでに親子連れが場所を前列を占めている。若い女性たちの姿も見えた。中身はろくでなしでもボルテキシー赤・青は若く、何より見てくれがそれなりに良い。  アカリは人混みに入る前に持参の装置をひとつ押した。ブザーが鳴る。観客たちは一斉に音の出どころを探ろうとしたり、慌てふためいた。特設ステージの周辺の虚空から、爪は鋭いが手足の短く、寸胴な、醜悪さに愛嬌がある怪物が爆誕した。特設ステージの観客席に乱入する。アカリの飼っている分裂モンスターだが、人を襲うことはない。ただぺしりぺしり、集まった観光客の身体を(はた)く。如何夏神社の境内は阿鼻叫喚の様相を呈し、人々は足速に避難していく。特設ステージにいたスタッフたちも激しく混乱していた。アカリは人気(ひとけ)の少なくなったステージに上がった。 「はぁ?ンだよ。何何何」  下半身だけヒーロースーツを身に纏い、繋ぎ作業服のように上半身部分を腰で翻す、ボルテキシーラピスブルーだという話の軟派な男と鉢合わせた。アカリの姿に彼は驚いた。 「氷色烏ストーンをよこしな」  ヒーロースーツの男へ黒の革手袋を差し出した。 「あぁ、これ?」  彼はそれに何の価値も無さそうに指で摘んでアカリに見せる。彼女も思わず目を見開いた。多少形の整っただけのそれは、河原の石ころと変わらない。ボルテキシー・ガーネットレッドを名乗った男から奪ったものとは色味も質感もまるで違う。 「お姉さん、特撮マニア?」 「ふざけるな!氷色烏ストーンをよこせ!」  相手はアカリを狂信的な特撮マニアだと思っているようだ。呆れた様子で手拭いを巻いた頭を掻く。 「オレ様にどうしろってんだよ」 「お前の相棒は預かっている。無事に返して欲しければさっさと氷色烏ストーンを渡すんだな!」 「相棒って誰だよ。ああ、来平和(らぴす)のコト?あれはただの幼馴染だぜ」  まだ呆れたような、疲れたような様子で彼は渋々上半身もヒーロースーツを身に着けた。 「そのヲタクっぷりに免じて今日だけな。今度からこんな迷惑行為するんじゃないぞ」  この男はステージの下にいる怪物たちのことも着ぐるみか何かだと思っているらしかった。ポケットからマスクを取り出し、イカサマレッドになりきる。 「セクシースレンダーのお姉様と取っ組み合えるのはありがてぇけどさ、後から訴訟とかやめろよ?法律は正義の味方じゃないんだからな」 「黙って氷色烏ストーンをよこせ!そうすれば悪いようにはしない」 「ダメ。これ備品だから。この石っころ研ぐの大変なんだってよ。だから悪の女王様、お好きなようにしてください」 「ふざけるな!」  彼女のボンテージのようなコルセットスカートの裾の下で腿に減り込み陰っているのは鞭だ。黒革の手袋が黒蛇のようにそこで蜷局(とぐろ)巻いている武器を取った。 「あ、そういう感じ?ここ一応、公衆の面前なんだけど。鞭打たれるか鞭打つかってワケね。燃えてきた」  ヒーロースーツを直し、相手も構えに入る。アカリが戦闘は已む無しと判断したとき、すでに手に入れていた緋色烏ストーンが熱くなった。それが彼女の初動を遅らせる。ボルテキシー・ラピスブルーだという男も彼女に構うのを躊躇した。すると目の前を何者かが転がって割り入る。社務所に置いてきたボルテキシー・ガーネットレッドを名乗る眼鏡の男だった。今にも取っ組み合いかねない2人の間に立ち、アカリを警戒しながらヒーロースーツの男に寄り添う。 「我網(がーねっと)。変身だ」 「は?」  気が抜けたようにボルテキシー・ラピスブルーであるはずの男は素っ頓狂な声を上げた。 「石を出せ。あれだ」 「え?」  訳も分からずボルテキシー・ラピスブルーであるはずのヒーロースーツは小石を眼鏡の男に渡そうとした。しかし受け取られるまえに、それは眩いばかりの光を放つ。 "渦巻け、正義のパワー!ボルテキシー・ガーネットレッド"  ボルテキシー・ガーネットレッドを名乗っていた眼鏡の男は苦笑しながら口上を述べた。それでいて光に包まれながらもヒーロースーツに変身しているのは、あのナンパな男なのである。アカリは騙されていたのだ。 「やはりな。緋色烏スートンが、発動中の威怯ストーンに反応した。貴方の負けです」  眼鏡の男・来平和(らぴす)は冷笑を浮かべた。真のボルテキシー・ガーネットレッドはまだ現状をよく分かっていなそうだったが、幼馴染に説き伏せられて、アカリは鞭を振るう間もなく、すぐにやつけられてしまった。手に入れた緋色烏スートンと信じて疑わなかった氷色烏スートンも奪い返される。一時撤退しようとした矢先、縄が腕を巻いていた。 「先程の続きをしましょう」
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!

この小説を読んだ人におすすめの作品

マッチを売っていたはずなのに、とある男に自分の体を売ることに……!?(R18)
1
3
完結済/5話/7,828文字/91
2017年10月22日
年の瀬、道端に倒れている青年を拾ったら。中華系シンデレラストーリーです。
3
3
2
1
2
3
完結済/6話/9,994文字/212
2018年1月8日
普通の図書館司書と、彼女に呼ばれた異形の話。
1
完結済/7話/7,667文字/10
2018年4月4日
「スイーツって、幸せな気分にさせてくれるものなのに……心ゆくまで楽しめないのは、辛いことですね……」
1
1
完結済/1話/9,983文字/12
2018年5月21日
赤い旗と白い旗が海面に揺れる
1
完結済/7話/9,923文字/0
2018年7月25日
兄の恋人の不可解な行動に梓は聞かずにいられない。「怜くん、ゲイだよね!?」と。
2
連載中/21話/62,236文字/20
2020年1月21日