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第11話

 奴隷のようになった男は白雪の前で長いこと跪き、彼女が背を向けたりどこか違うところを向くと発狂したように姉を呼び、許しを乞い、自分を見るよう懇願した。 「姉さん、許して…俺は卑しい男だよ、姉さん…俺は恥ずかしい弟だよ。姉さん…俺は恥知らずな男だよ。許して…反省するから…姉さん…」  男は白雪が怠惰に寝転がっているベッドへ彼女の様子をみながら乗り上げる。投げ出した脚を撫で摩り、息を荒げる。白雪の上へおそるおそる陰影が迫った。 「許して、姉さん。許して…」  脚に膨らみが当てられる。布の繊維が素肌を行き来する。彼女はまったく違う方向を凝視、弟と叔父との思い出や、役所勤めの中年男と過ごした日のこと、オカルト研究会の小規模な活動を虚空に描いて浸っていた。摩擦と吐息が聞こえる。腿にあった繊維の熱が消え、男は白雪に四つ這いで覆い被さりながら片手を忙しなく動かした。交わらない視線が静寂に溶け、彼は息を乱して姉を呼ぶ。 「姉さん、俺の浅ましいところを見て…姉さん…姉さん…ぁ、」  鬱陶しくなって男の口へ肘を伸ばした。掌を荒い息遣いが生々しく抜けていく。声を曇らせながら彼は姉を呼び、さらに片手の動きが速まった。白雪の掌に舌が這い、指を唇で挟まれ柔く歯が立った。指の股を丹念に舐め、関節を飴のように転がして爪の形を確かめ、唾液まみれにする。 「姉さん…触りた、い……姉さん…許して…いやらしい俺を、許して…ください…っ、」  男は息を詰め片手の激しい運動を止めた。掌の皺をひとつひとつ舌先でなぞり、手首を舐め、日に焼けない内側の柔肉を吸って彼は白雪の腕を辿る。服を嗅いで、着替えたさせた時のまま位置のファスナーが(たわ)み、派手なレースの下着に包まれた膨らみが見え隠れする。悲鳴とも呻きとも嘆きともいえない吐息を漏らして腿に飛沫が散った。白雪は無言のまま非難ともいえない蔑みの眼差しをゆっくりと浅ましく恥ずかしいと自己紹介する男へ流す。粘性を帯びた、白雪の体温より少し温いくらいの液体が腿の曲線に沿って落ちていく。弟の部屋で微かに、同期とのホテルで少しの間、覚えがある類の匂いがした。指で掬った。男の青褪めた唇に、美しい叔父の蝋人形にされたような亡骸を馳せて濁った白を引く。まだ指に残り舐め取った。塩はゆさを帯びた苦みがある。男はまだ拭き取りもしていない乾いた牛乳がこびりついたレンズの奥で目を見開いた。姉さんを汚してしまった!と叫んで、キッチンに飛んでいくと、ステンレスの包丁を握ってベッドに飛び乗った。 「死ぬ!姉さん!死んで詫びます!俺が死ぬところ見てて!俺の死ぬところ見て!」  首に向けて彼は彼が姉だと思い込んで已まない女を見つめた。彼女は一瞥もくれずコンクリートの節目を見つめていた。 「姉さん!俺を見てよ!姉さん…!」  男は手首に包丁を振り下ろした。シーツに赤い染みが飛ぶ。 「姉さん…!姉さん!死んで詫びます!死んで詫びます!許してください!」  白雪が叔父の木偶人形にするはずだったように、彼女を転がして仰向けにすると唇へ紅を引く。 「姉さん!綺麗だよ、誰より何より素敵だよ!大好きだ。愛してる。もう二度と離さない」  部屋着やシーツが血で汚れることも厭わず、彼は姉だと思っているというのに彼女のレースで助けたショーツに手を掛けた。すでに白雪の肌は血が付いて乾いていた。彼女はまったく意にも介さず、ぼうっとしていた。弟が転んだ傷でも、叔父が慣れない作業で切った傷による血でもなく、友人たちの逆剥けでもないなら白雪にとっては取るに足らないものどころか見えてもいないらしかった。 「姉さん…姉さん…」  晒された下半身を持ち上げられ、(いき)りたつ肉塊が粘膜に当てられた。 「ごめんね、姉さん。ごめんね、ごめんね」  身体を割り開かれる。同期に跨った時の痛みが蘇った。腕を掴まれ、男の深く入った傷から流れ落ちる血が白雪の着ているものを濡らした。熱塊が腹の中を抉じ開け、力尽くで粘膜を引き摺り出して突き入れる。痛みと熱に訳が分からなくなる。 『白雪……、白雪っ…』  叔父の息遣いをそこに重ねた。下腹部がうねる。淡い色味の少し長い髪が揺れているはずだった。いつも余裕のある優しい声が切羽詰まっているはずだった。叔父の名を呼びたい。続柄ではなく、彼が誰であっても呼べた名で。血が繋がってないと親族に言われるたび、燃え上がるような心地がした。子壺まで容赦なく穿たれる衝撃に身が震えた。 『叔父さ…ん、叔父さん……っ、叔父さ、…』  所々茶色く固まるシーツを握る。言いかけた言葉を真上で誰かが攫っていく。漲った楔で深々と貫かれ、白雪は眉根を寄せた。同期と同じ動きで、同期よりも痛く、同期よりも力強く、同期よりも乱暴だった。付き合ってください。好きです。頭に残るあの者の姿は何故か眩しい。 「姉さん…大好き……ずっと傍にいてね、ずっとだよ。もう離れないで。他の人選ばないで…姉さん」  前に進もうとしながら男は白雪のシーツを掴む手を剥がし、ステンレスの包丁を握らせた。生温い指によく馴染んだ。 「姉さん、俺を許して。ずっと傍にいるんだ」  男は白雪の手を導き、自身の手首へもう一度包丁を突き刺さす。腹の中の熱がさらに膨らむ。 「あの男に捨てられたんだね。姉さん…俺が姉さんの代わりになるから」  刺さった包丁がそのまま横に移動した。肉を刺す質量と反発が手に伝わる。 「ごめんね、姉さん…あの男は綺麗に遺って、姉さんは…」  男は白雪と包丁を離して投げ捨てる。流血の止まらない手首を抱いて咽び始める。 「あの男は綺麗で、なんで姉さんだけ、姉さん…」  前にのめられ、繋がりがさらに強くなる。頭や首、肩に赤く汚される。安堵の溜息が降る。彼は「よかった」と呟いた。 ◇  男は事あるごとに手首の盛り上がった傷を眺めてはそこに口付けた。そして白雪の何もない同じ箇所にも執拗に接吻する。姉さんの傷が俺に移ったよ!と言って彼は甘えて抱擁をねだるため髪を梳いた。共に車に乗ると男は過呼吸を起こすため白雪は大学へ電車とバスを使った。同期と同じ路線らしく、時間をずらした。しかし見破られて彼は白雪を呼び止め、隣に居座りメッセージの応答がないことを心配した。何か文句があるのかと噛み付けば彼は驚いた様子で弁解した。端末は画面の端々に血がこびりつき、人前で出せなくなっていた。首を血だらけにして死ぬ騒ぎをされ、メッセージ自体のアプリケーションを消すよう泣きながら懇願された。意気地のない弟を甘やかしてしその願いを聞いてしまった。同期の干渉は増し、端末自体の登録番号を聞きたがり、左手の絆創膏にまで口を出しはじめた。弟が煩いのだとそのままを答えた。結婚指輪を買い行くと誘われ、姉弟では結婚出来ないのだと答えると、死んで生まれ変わると騒ぐため、指を切断してやると返し弟愛用の、弟の親友の、弟お得意のステンレス包丁で薬指を切り落とそうとした時に作った傷だった。冷たい蒼白な手が左手を包む。 「喧嘩ですか。白雪さんもそういうのあるんですね」  お弟さんといえば、以前南口の新しいお店の話しましたよね。あそこのエッグタルト美味しかったです。今度行きましょう、弟さんもご一緒に…  白雪は同期を見た。彼は黙り、静かに謝った。話は終わったらしく歩き出す。 「白雪さん…俺は貴女を女性として見ているから、貴女の友人にもなれませんか」  同期は調子を変えて訊ねた。質問の脈絡と真意が分からず答えられないでいた。 「何かあるなら相談して欲しいです…最近変です」 「服装が変わったこと?化粧が濃くなったこと?メッセージに出ないこと?」  友人たちに指摘されたことを並べる。同期は困惑気味に表情を歪めた。彼の肩越しに非常勤講師の姿が見えた。帰宅後にまた包丁芸を見せられ、また甘やかすのだろう。同期のほうへ進むと彼は伏せていた焦茶色の目を開いた。 「貴方には関係ないでしょ」  柔らかな香りとすれ違う。弟が喜びに満ちた顔で彼女を迎えた。 「姉さん…あの男誰?駄目だよ、殺されちゃうだろ?またぺしゃんこになったらどうするの!」  講義を終えてきた弟は白雪を抱き寄せ、人気(ひとけ)のない場所で話している男から彼女を守り背を向けた。 「姉さんは俺だけのために綺麗にしてくれてるのに」  彼は白雪の大きく巻かれ固められた髪に頬を擦り寄せる。早起きの弟が服も髪型もすべて選び、化粧を施した。時には爪に鼻の粘膜を突き破るような異臭を放つ塗料を塗ることもある。駐車場で別れねばならず、まるで永遠の別れでもするように弟は白雪を離さなかった。着いたら駅まで迎えに行くから散歩をしようと約束して各々違う方法で帰路につく。  駅には見覚えのある制服の男子高校生が(たむろ)っていた。淡い色の髪を探す。オレンジのリュック、黄色のスニーカー。少し背が低い痩せ型。弟にケーキを買いに行くの。エッグタルト美味しかったです。美味しいよ、姉ちゃん。あの子を頼んだよ、あの子はボクの――。男子高校生の集団を眺め、足は予定と違う電車に向かっていた。穿かされたハイヒールが鳴る。田舎道の荒いアスファルトに踵を取られる。目の前で車が停まり、運転席の弟がガラスで照る。ドアが開き、すらりとした長い脚が出てくる。 「どこ行くの、姉さん。俺の家はこっちじゃないよね」  彼は端末を操作してスラックスにしまった。 「乗って。死のう。生まれ直すしかないよ、姉さん」  男は顎で車を差した。白雪は知らん顔をして自宅アパートを目指す。姉ちゃん、おかえり。きゃらきゃらした爛漫な声が迎えてくれるはずだ。脇腹に熱が入る。姉ちゃん、姉ちゃん。叔父と並んで砂浜ではしゃぐ弟を眺めたものだった。姉ちゃん、姉ちゃん。あの子が笑えば叔父が笑う。身体は重く、脚は真っ直ぐ進まない。自宅の知り尽くした扉がいつもより固い。鉄錆の匂いが鼻をつく。赤い足跡をつけて、リビングにまで伸びている。テレビを点けたまま可愛い子が寝ている。傍で大きな男まで仲良く並んで寝ていた。ありがとう。大きな男の頬を撫でる。2人にブランケットを掛けて、テレビを消した。ピザの匂いがする。シーフードとパインのピザ。バター醤油のポップコーンを買って来られなかった。玄関扉が開く。中年男は決まって週末に来るはずだった。この前は約束を放棄してしまった。謝らなければ。いいんですよ、いいんですよ。情けない笑みを浮かべて許してくれる気がした。うちの息子なんて…。父親の顔をして。 「死んで償え…姉さんを奪いやがって…」  振り向いた途端に首を掴まれ、壁へ背を打つ。 「お前等があの男と死ねば良かったんだ」  頷きかけた。だが白雪は血走った目から視線を逸らし、大きな男に添い寝されている可愛い子の身体を見ていた。それから彼女はまた怒り狂う男を見た。 「貴方がお姉さんと一緒に死ねば良かったんじゃないの」  横面を張られ、叔父と暮らした床に頭を打ち付ける。フローリングは赤く染まり、歩けばあの子の靴下が汚れてしまう。きちんと洗濯しなければ。落ちなければ新しいのを買ってこよう。髪を引っ張られ、上を向かされる。皮膚の破れた腹が大きく疼いた。着せられた服が濡れていく。 「姉さん……」 「わたしが死んで償うよ。それで償えるなら、わたしが…死んで…ほら、貴方も…」  白雪はけたけた笑って次第に黙った。  雨音より近くで電話が鳴る。真っ暗な部屋が一点だけ光り、ピザの匂いがした。通話ボタンを震える指で押す。画面が汚れた。 『白雪さん……やっと繋がりました!良かった、良かった。この前はお邪魔させていただきましたよ!銀灰さんと喧嘩なさったんです?』  鼻がぐすりと鳴った。リビングの遠くで雨が止む。 『転びでもしましたか。今どこです?骨逝きました?すぐ行きます』  遠くで救急車の音が聞こえた。掛けられたブランケットが落ち、温かい掌に髪を撫でられる。顔を上げて目元を拭った。 『今度、また…泊まりに来てください。お好み焼き、食べたいです。イカとエビがいいです』  端末が落ちて、白雪は膝を抱えた。
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