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第9話

 空き巣の指に苛まれ、尻が床を擦る。頭の中身がすべて融解していく。責めがやむ。声や手の形から男と思われる侵入者へ体重を預け、乱れた呼吸を整える。 「…姉……ちゃ…」  掠れた寝言と衣擦れの音がした。甘えたような声の混じった息吹が漏れ、また少し速い布の摩擦と、先程白雪が自分で出していた類の声が苦しげでありながら愉しげに弟のベッドから聞こえた。 「貴女の感じてる声が夢の中まで聞こえたみたいですね」  聞き覚えのある喋り方と何より声が、触られた時に浮かんだ人物と重なって確信と化した。 「せ、んせ……んッ」  晒されたままの胸の実を意地の悪い手付きで柔く潰される。下半身が別の意思を持ったように動いてしまう。 「恥ずかしい弟ですね。姉の夢をみて、一体何をしていると思いますか」 「や、めて…くださ…弟のこと、悪く言わな、ぁ」  雑に顎を掴まれ、首が後ろに曲がった。唇が濡れる。 「姉さん。俺は今生(こんじょう)の姉さんの弟が、こんな恥知らずの変態だなんて許せないんですよ。姉さん、俺のほうがずっといい弟でしょ?」 「ふざ、けないで…!」  一纏めにされた腕で非常勤講師を打つ。体勢も上手く保てず、関節も制され、大した威力もなかった。産まれたての子供にすら傷を負わせられないほどのものだというのに、彼は打たれた箇所を大袈裟に摩った。 「姉さん…どうして…」 「銀灰くんのこと悪く言わないで!」  自由な脚で翡翠を蹴った。人を蹴るのは初めてで、爪先の裏にぶつかった人の肉感に一撃で躊躇いが生まれる。 「姉さん、俺と来てよ。姉さん、俺、姉さんの器の弟に何もしなかったよ?ちょっと寝かせただけだろ?姉さんの器が来てくれないから…俺、姉さんの器の弟、殴らなかったよ?姉さんは優しいから俺が暴力振るうの嫌だもんね。姉さん…俺、良い子でしょ?姉さん…」  自身を蹴った足が引かれていくのを掴んで、彼は口に運んだ。裸足の足に舌を這わせ、機嫌をとるような目で白雪を見上げた。 「姉さん、来て…姉さんに弟は2人も要らない…」  足の甲を舐め、爪先に口付けると彼は立ち上がった。ベッドのほうへ向かっていく。 「何…するの…?」 「殺してあげるんだよ、独りにしたら可哀想だからね。姉さんの器も後から殺して、その後俺も死ぬよ。だから姉さんは心配しないで。来世は他人になろうね」  ぼきぼきと彼は両手を組んで関節を鳴らした。血走った目がベッドの上の少年を凝視している。 「待って…、待って…!」 「大丈夫だよ、苦しくないから。姉さんは心配しなくていいんだよ」  場にそぐわない微笑みを浮かべ、翡翠は両手を広げた。白雪は立ち上がり、勢いよく弟を狙う男に体当たりする。弟は愛らしい顔をして眠っているが、眺める猶予も与えられず翡翠は白雪の前に立った。 「お願い、待って!一緒に行くから、一緒に行くから…」 「姉さん…」  翡翠はふわりと笑い、白雪の頬を撫でて口付ける。 「姉さん、嬉しい…」  足の裏が床から浮いた。弟が遠ざかる。 ◇ 「ごめんね、姉さん。姉さんの器が帰ろうとするからさ」  湿布が貼られ、冷感に熱くなった頬が大きく響いた。両手を椅子に括り付けられ身動きが取れず、翡翠は先の丸いスプーンでクリームシチューを掬って白雪の口に流し入れた。焼けたパンを千切り、にんじんを刻み、タマネギを断ち切り、挽肉を寄せ集める。 「美味しい?これでも高級レストランでバイトしてたんだ」  彼は一方的に姉が死んでからのことを話した。姉がいないなら料理を学ぶ必要もなくなったのだと。その後はやることもなく職を転々として結局は神学科の教授から勧められるままに非常勤講師になったのだと語った。コンクリート打ちの部屋には固定された照明器具がなく、4人掛けのテーブルの上にライトが置かれているだけで、翡翠の整った顔立ちを浮かび上がらせる。殺風景な部屋で、光の届かない場所には姿見鏡らしきものには布が掛けられ、ハンガーラックには見るからに女性物の衣類がずらりと並べられているのが薄らと見えた。 「姉さんと暮らせるなんて幸せだよ。俺、生きてて良かった。姉さんが死んだ時はどうしようかと思った。死ななくて良かった。死ななくて良かったよ、姉さん。姉さん!姉さん!姉さん!姉さん!姉さん!姉さん!」  翡翠は白雪の頭を抱き締める。 「姉さん…愛してる。大好き。やっと一生に暮らせるんだ。姉さん……毎日ずっと一緒だよ。1日中ずっと、一緒だ」  湿布越しの強く殴打された箇所に頬擦りされる。ひとつ疑問が浮かんだ。 「大学は、どうなるの…?」 「行く必要なんてない。俺が一生面倒看るんだから」 「で、も…お願い。大学だけは、通わせて…荷物も……通わせてもらってるの、お願い…裏切りたくない…」  翡翠の喜びに満ちた表情が途端に冷めた。 「そ、れに…仕事は…」 「姉さんが寝てる頃に行くから寂しくさせないよ。妬かないで。全部仕事だから。俺には姉さんだけだよ。でも姉さんが嫌なら…」 「嫌じゃ、ない……です、けど……でもわたしは…大学に通いたい……です…」  翡翠の無表情に声は小さくなっていく。 「言うこと聞いてくれる?俺から逃げない?俺のこと好き?俺だけの姉さんでいてくれる?」  彼は首を突き出して白雪を覗き込む。 「貴女に聞いているんですよ。姉さんの器として俺の傍に要られますか。姉さんの器として俺だけを弟と認めますか」  頭の上に手が乗った。額は拳ひとつも入らないほど近い。 「銀灰くんに、」  唇を親指で止められる。 「貴女の弟でないなら、俺には何の関係もありませんからね」 「分かり…ました。銀灰くんには何もしないで。大学には行かせてください」  レンズの奥の目が細まる。 「誓えますね」  落胆するように頷いた。椅子に括り付けられた縄が解かれていく。所在なく惑っていると翡翠に顎を捉えられた。 「舐めてください」 「な、…にを……」 「つまらない駄洒落ですか。期待はしていません」  腕を取られ、スラックスの前に掌が当たった。 「ご、めんなさ、」  それが相手の故意だとも気付かず、白雪はびっくりして腕を引いた。反射的に謝ってしまう。同期の同じ箇所には簡単に触れられたというのに、掌に静電気が走ったような弾かれた感じがあった。 「触ったくらいで…ここを舐めるんです」  彼は平然と椅子に座ってファスナーを下ろす。白雪は立ち竦む。 「座って」  言われたとおりに床に膝をつく。指導されるままに翡翠の下半身から現れた器官におずおずと舌を這わせた。何も指示が飛ばず、暫く中心部を舐めていた。体内の奥まで掻き回された同期のものと較べるとそこまで硬さはなく、短いとすら思った。背丈は翡翠のほうが高いように思えたが個人差が顕著に現れる場所なのだと考え、同じ作業を続ける。顎が疲れ、歯が当たった。痛みを訴えられ、謝ろうとまた甘噛みしてしまう。 「姉さん…」  白雪の髪を耳に掛け、翡翠は掠れた声を漏らした。舐めていたものが質量を増す。 「姉さん…痛いよ。優しくして…?」  長い指が頭皮を撫でていく。口腔に入っている先端部が膨らんでいる。張り出た部分が舌に掠めた。 「姉さん…気持ちいい。舌の裏も使って…」  毛の一房一房を指で遊ばれる。気が散っていく。硬さも質量が増していき、一心不乱に裏と表を使って舌を這わせた。 「姉さん…歯、立てないで」  翡翠の腰が動いた。喉奥まで凶暴化した肉棒が突き込まれ、そして呼吸を奪うように引き抜かれていく。口蓋垂を貫かれると喉裏が爆ぜたような衝動が口から漏れ出そうだったが、栓をされてしまう。分泌される唾液がさらに滑りをよくして、眼前の男に口を支配される。ぐちゅぐちゅと音がする。舌は強い摩擦に感覚を失う。大きな手は髪をなでいたくせ、白雪の毛は乱れていた。 「飲んで」  口内に粘り気のあるものが飛び散る。男は動きを止めていたがまた緩やかに腰を揺らした。後頭部に当てられたままの手には力が込められ、口を離すという選択はなかった。白雪は口を開けたままでいたが、中に留まったまま流れ落ちる気配もなかった。 「姉さん」  荒い呼吸が深いものに変わり、白雪の口から体液の纏わりついた雄が抜かれる。 「姉さん…」  翡翠の指が唇の回りの汚れを拭った。虚な目が細まり、微笑を浮かべながら彼は白雪へ口付ける。 「嬉しい」  風呂上がりに用意されていたのは全裸同然のランジェリーで、胸元に黒のレースがあしらわれているが乳房だけ素肌を晒すようなデザインで腹と臍を隠しながらショーツへと繋がっていた。首の後ろでリボンを結ばれる。ブラジャーとして機能していなかった。その上からバスローブで巻かれる。 「すごくいやらしくて、素敵だよ」  脇腹を摩り、翡翠は満悦の表情を浮かべた。 「今夜は俺と姉さんが結ばれる日だよ。記念日にしなきゃ…」  事あるごとに口付け、彼は浴室へ向かった。高額なシャンプーも専門店でしか見たことのないボディソープ、それとは思えないような外装の歯磨き粉や小さめな歯ブラシ、手触りの良いボディウォッシュ用のスポンジなど、すべて用意されていた。戸惑いながらバスローブの前を締め、ベッドに座る。ドライヤーを借りて髪を乾かし、轟音がシャワーの音を消した。迫る不安から逃れる。同期と肌を合わせた時もすべてが違う。髪が乾ききる前に翡翠は戻ってくる。普段大学で見ていた後ろへ撫で付けられた髪が濡れ、タオルで乱される。がらりと雰囲気が変わり、街中で見るような若者の軽妙で柔軟で俗っぽい印象を与えた。 「待った?ごめんね、姉さん。臭かったら嫌だと思って…」  白雪は震えながら首を振った。彼は隣に腰を下ろす。違う洗剤の匂いがした。洒落たグレープフルーツに花が混じったような香りで、弟の使っている物よりも値段が倍は高い感じがあった。 「姉さん」  強張った肩を掴まれ、キスされる。ベッドが軋み、シーツに白雪の髪が散らばる。 「ぅ……ん、」  角度を変えた口付けが深まり、バスローブの合わせ目にしっとりした手が入っていく。飾りに過ぎないレースにすら覆われていない膨らみが柔らかく揉まれ、その手を押さえた。絡まった舌が抵抗の意思を奪っていく。身体が輪郭を失っていくようだった。 「んんっ…」  首が仰反った。注がれる蜜を小刻みに嚥下する。前後不覚に陥りながら意識を手放しそうになると舌を弄んでいたものが消えた。ちゅぷ、と音が鳴った。 「姉さん…美味しい」  彼は名残り惜しむようにもう一度触れるだけの口付けを交わす。 「ずっと好きだったよ、姉さん。ずっと好きだった。ずっとだよ。ずっと、ずっと、ずっとだ。俺には姉さんしかいなかった…でも姉さんには、」  左手を取られ、薬指に唇が落ちた。 「遊ばれたんだね。でも俺は本気だから…俺は姉さんを巻き込んで死んだりしないよ?」  執拗に薬指の根本へ接吻する。泣きそうな目が白雪を見つめる。 「指輪を買いに行こう。俺なら姉さんに結婚指輪を嵌めてあげられる。俺なら姉さんを殺したりしない。俺なら姉さんを一番に選べる…」  何かを不安がっている感じがあった。白雪は戸惑いを隠せなかった。 「姉さん……俺のこと、好きって言ってよ」  言って、言って!段々と語気が強まっていく。発狂される前に、怯えが勝った。 「す…き…」 「姉さん!姉さん…!結婚しよう!結婚しよう、姉さん。あの男は踏み切ってくれなかったでしょ?指輪を選ばなきゃ。ダイヤモンドの一番良いやつにしよう」  翡翠はひどく興奮しているようだった。 「寝られないよ、姉さん。夢だったらどうしよう?起きた時に姉さんがいなかったら?もう二度とあんな思いしたくないよ、姉さん…姉さん、俺…俺…姉さん、つらかったよ。棺の中でも姉さんは綺麗だった。でも俺を見てくれない。姉さんの匂いばっかりして、姉さんは俺のこと呼んでもくれない」  白雪を突き飛ばすように離し、彼は濡れた髪を掻き乱し、頭を抱えた。浮き出て沈む背中の骨を白雪は呆然と見ていた。ホテルでみた同期とも風呂上がりの叔父とも違う肉付きをしている。 「もう姉さんの声は聞けないんだね…?姉さん…どうして姉さんのいた時間はあんなに短いのに、これから姉さん無しで生きる時間は長いんだろう?姉さんの人生がこんな呆気ないなんて…知ってるだろ?天国も地獄も冥界だって、どこにも存在しない…何も、存在しない。愛してた人が、ただの灰になってくんだよ。俺の中にはちゃんと姉さんがいるのに!」  彼は叫ぶように泣き出した。片手で歪み顔面を覆い、ベッド近くに立てられた間接照明が彼の濡れた輪郭を炙る。白い着物を身に纏い、棺の中で眠る叔父の姿がフラッシュバックする。髪は綺麗に梳かされ、眠っているのとそう変わらなかった。長い睫毛が今にも開いて、時折する嫌味っぽい悪戯じみた揶揄を飛ばすものだと思っていた。だが鼻の詰物や、化粧の施された日常とは異質な肌の色艶が受け入れられない認識を無理矢理に捻じ込み、逃避を許しはしなかった。弟との生活、新しい環境、平穏な触れ合い。薄れていた退廃的で異様な感覚が蘇る。ひとりで立っていられなくなる。 「もう届かないんですよ、もう届かないんです。姉さんの居ない生活を頑張ったって、何ひとつ…」  啼泣する男を胸に収め、感情が一体化してしまう。睫毛に絡んだ水滴が彼を見えなくした。叔父の優しさが、たまに見せる捻くれた態度が、共に築いた思い出がぐるぐると記憶を掻き混ぜていく。 「もう届かないけれど…届かなくても、消せないから…染み付いて、遺っちゃってるから…」  譫言を呟く。叔父の言葉は思い出せる以上に自然と覚えていた。優し過ぎるのは毒だろう。本当に料理が上手だね。あまり背追い込むのは良くない。もっと甘えることを知りなさい。どこか散歩に行こうか。もう少しだけ寝ていたいよ。指に触れる濡れた髪は温かく感じられた。
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