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第6話

 咳払いによって痛々しいまでの寂寞とした間が破られる。 「すみませんねえ。最近ちょっと、もう歳かな。耳が遠くて。35歳なんてばりばりの世間を支えてる世代なんですけれどもね。人間ってのは寿命の割りに健康的な期間が短くていけない。それで、何でしたっけ?」  二度目は言えなかった。言うつもりもなく、何故言ったのかも分からなかった。 「なんて、セクハラですね。理由だけお聞きしても?ボクが聞いたのが空耳でないなら。ボクも聞き間違いか否か、自信がないのは本当です」  中年男は温和な態度を示した。白雪はまた水を飲む。冷えた身体が内部からも冷えていく。 「こんな話をするのは変ですが、嫌な夢を、みるんです…」 「嫌な夢…ですか?」 「叔父の上に乗るんです。夢は願望の表れだ…なんてよく言いますが、わたしは叔父をそんなふうに見ていたつもりなんて…」  飲んでも飲んでも喉が渇いていく。 「ちょっと!ちょっと…ちょっと。夢が願望の表れだなんてボクは少し懐疑的ですよ。結局は脳味噌の整理ですからね、願望というより印象ですよ。意味を見出しても無駄だと思いますね。そりゃあ多少寝相による息苦しさ等々の外的な理由が影響することはあると思いますけれど。だからそこに占いだの願望だの予知だのを見出す話にボクは乗れません。自分の人格や良心を疑う要素にさえ成り得ないと考えています」  ですので前提が違うんですよ。携帯灰皿の蓋を弄びながら中年男は言った。 「夢だったら、それでいいんです。どうにも…その、生々しくて。何度も…見るんです。叔父はわたしに優しいけれど…どこか突き放した感じがあって。もしかして、わたし…本当に叔父を………その、叔父に関係を迫ったかも、って…」 「それはありませんね、と断言したいところですが、ただの気休めでしょう。言い切る証拠もありません。ただ何となく無責任にそうだろうと思っただけです」  役所勤めの男の態度は軽かった。かといって白雪を適当にあしらっている感じでもなかった。質の良い携帯灰皿の銀の部分が水場の照明を借りて光っている。 「かといって確認のために貴女の願いを聞き入れることは出来ません。ボクは法的には自由の身ですが一男一女の父親で、息子くんたちに恥じたくないんですよ。娘息子と同年代の親しい子とそういう意味でよろしくやれません。貴女とはこれからもクリーンに付き合っていきたいですし。尤も、若い女性は好きですけれども」  何も言い返せなかった。中年男の声は内容が拒否なだけに優しく諭すような色を帯びている。 「何よりもしボクが承知したら、ボクは貴女に対して不誠実を働くわけです。そこには貴女の叔父さんや銀灰さん、ボクの娘息子は関係なく。貴女がどうこうというよりはボクの中のこだわりだの決め事だのの理由で、貴女の願いを聞き入れられないのです」  すまなそうにそう締め括られた。視界が滲んだ。煙草の煙が沁みたわけでもなかった。叔父を辱めた痛みのない結合と、実際に伴った痛みが夢と現実を切り離していく。非常勤講師の執着に満ちたメッセージや暴力があの大学に通う以上、逃れきれないことなのだと予感させた。猛烈な不安に襲われる。この中年男が離れていってしまう。弟が寂しい顔をする。 「わたしは…もしあれが夢なら、初めては菖蒲さんがいいです。痛くても、怖くても菖蒲さんがいい…」  不安定に喉が震えた。ぼろぼろと涙が落ちていく。 「白雪さん、ボクのこと好きなんです?」 「分からないです……でも、他の人じゃ嫌なんです」 「そりゃまた…何かあったんですね。いえ、話さなくていいです」  煙草の匂いがして中年男の手が背中を撫で摩った。 「貴女の願いを聞き入れることが、貴女の助けになれるとは思えません。でも貴女の傍には居ますからね。実の息子にも娘にも元嫁にさえ終ぞ頼られることはありませんでしたが…貴女はボクを頼ってくれた。もしボクを好きだと気付くまでになったら、また言ってください。きちんと真面目に考えますよ、真摯にね」  肩を抱き寄せられ、腕を少し乱暴なくらいごしごしと摩擦された。 「他の方たちとのワンナイトな関係もアリっちゃアリかも知れませんが、あまりおすすめしません」  安堵感を醸す他人の体温に不安定が拭われていく。しっかりした腕に体重を預けた。中年男は重がる様子もなく、白雪はそのまま甘えてしまう。彼の寝間着に髪を擦り寄せ、濡れた睫毛と睫毛がが絡む。 「ごめんなさい…」 「いいんです。余程の事情があったのでしょう」  腕を摩られ続け、頭や頬からは布越しに男の体温が伝わった。眠気に呑まれ、身体が浮いた。大窓を閉める音が聞こえ、柔らかな布団に抱かれる。離れていく温もりに薄く意識が戻り、手を伸ばした。 「…菖蒲さん……」 「おやすみなさい。お疲れでしたね」 「おやすみなさい…」  叔父さん…  役所勤めの男は昨晩の残りのお好み焼きを朝飯にして帰っていった。深夜のやりとりなど無かったかのように普段と変わらない態度だった。去り際に何かあれば連絡するように言い、弟は消えていく背中を追わんばかりで、ひとつ温かな夢から覚めたような感じがあった。静かになった弟と留守のような自宅を白雪も無言のまま眺めていた。 「銀灰くん、行こ」  玄関扉を凝視している弟の手を取ってリビングへ促す。彼は切ない眼差しを断ち切って白雪に引かれながらリビングに戻った。 ◇  宗教学概論の講義の時間は友人たちに肌に合わなかったと伝えて構内を散策してから学生会館に辿り着き、他の講義で勧められた本を読んで過ごした。最後の講義を終える頃には空はもう暗く、友人たちとは出る門が違っていたためひとりになってしまった。屋外には人が疎らだったが構内全体的みればサークルや課題やゼミで残っている者たちは少なくはなかった。弟に今から帰る旨をメッセージにして伝えてから門に向かう。途中で妙に近い足音に気付き白雪は振り返る。真後ろにあったはずのオレンジの外灯がない。ただ暗く陰り、そして白雪を捕らえた。 「何故、俺の講義に出ない?」  走ろうと思ったが、手首を掴まれ捻り上げられる。肘が軋んだ。動けば可動域に反してしまう。 「俺から逃れられるだなんて思わないことです」  話もろくに聞いていられなかった。ただアスファルトに身体を打ち付けでも拘束から逃れようと体重を手放す。 「あと、これは返します。まるで貴女を買ったみたいで不快です」  胸元に茶封筒を押し込まれ、ブラジャーで留まった。 「姉さん…今日は一緒に帰ろう?ほら、姉さんの器が壊れちゃうだろ?抵抗しないで」  軽々と非常勤講師は白雪を抱き上げる。端末が落ち、小石か或いは破片が飛んだ。拾おうと身を捻ることも叶わなかった。痩身に似合わない力で押さえ込まれる。 「放して!」 「放さない!。姉さん、今日こそ貴女を俺のものにする…」  駐車場へ向かっている。構内を歩く大学生たちはこの誘拐現場を気にする様子もなかった。ただ仲の良いカップルか友人の戯れ程度にしか映っていないようだった。 「放して…っ!放し、」 「黙りなさい!姉さんの器の分際で…」  怒鳴られると白雪は拒絶の言葉を呑んでしまう。 「ごめんね、姉さん。姉さんとの子供にはこんな風には叱らないから。親父みたいにはならないから安心して。温かい家庭を築こう?俺は姉さんが居ればそれだけで幸せなんだから、心配しないで」  白雪の額に唇が落ちる。赤いフレームが外灯や建物の光で照っている。黒い毛先も彼女の額を撫でていった。 「姉さん…この(カラダ)では初めてなんでしょう?優しくする。姉さんはただ気持ち良くなって」  唇が近付き、白雪は鼻先を背けた。口角に接吻される。 「姉さんの初めてをもらえるなんて嬉しくて死にそうだよ。姉さん、その時は俺の生まれ変わりを見つけてね」  端正な顔立ちが恐ろしく歪んだ。 「い…や!いや!」  拒否は囁きの域を出なかった。首を垂らす非常勤講師の胸を突き離すのが精一杯だった。 「白雪さん!」  誘拐犯越しに大声の似合わない質の声が聞こえた。 「群青く、…んっ」  同期の名を呼ぶ口が塞がれる。男の顔を叩いて剥がした。爪が薄い頬肉に刺さる。 「白雪さん…」 「群青くん、助け…、て」  首を後ろに倒し、非常勤講師の不躾な腕の奥に端末を2つ持っている同期の姿が見えた。片方は見覚えのあるシリコンカバーが付いている。白雪の所持品だった。彼は白雪の途切れた言葉をきちんと拾っていたらしく、非常勤講師に掴みかかる。 「彼女に傷が付きますよ」  挑発するように非常勤講師は冷たく言った。抱えていた白雪を脳貧血のように青白く痩せた身体に押し付け、無責任に手放した。細い腕は意外にも白雪をしっかりと受け止めた。すぐにアスファルトへ下ろされ、端末を返される。見上げた蒼白な横顔は非常勤講師と対峙していた。 「彼女の何なんです」 「恋人(カレシ)です」 「ちょっと、」  白雪は出任せを言う細い肩を鷲掴んで揺らした。彼はただ真っ直ぐ目の前の男を睨んでいる。 「ふん、恋人に殺されないことですよ」  誘拐犯は悪怯れた様子もなく鼻で嗤って2人に背を向けた。 「前も思いましたが、どういうご関係なんですか」 「心の病気みたい。わたしのこと、お姉さんだと思っているみたいで…」 「こんなことが度々あるんですか!」  同期は正面から彼女の両肩を掴んだ。ブラジャーに差し込まれた茶封筒を首元から抜き取ると彼はあからさまに眉を顰めた。 「度々っていうか…時々…」 「白雪さん!」  叱るような口調のまま抱き締められる。髪に入っていく指は冷たいが優しかった。白雪はされるがままに端末を確認した。弟から帰りが遅くなる連絡と、今目の前にいる青白い美男子から電話が来ている。 「よく分かりましたね」 「白雪さんを見かけて、声を掛けようと思ったら…それだけ落ちていたので」 「ありがとう」  同期は白雪の手を掬う。見た目どおりの冷たい指が絡む。 「お礼は1日デートで。冗談ですけど」  抑揚なく彼は言った。繋いだ手を放さず同期は裏門へ引っ張った。 「お見送りします。裏門まで。その後もおひとりなんですか」 「大袈裟です」 「大袈裟なんてことはありません。帰り道は通話中にしていてください。何かあってからじゃ遅いです」  白雪は人の好い同期から手を振り払った。 「お礼はします。1日デートでしたか。今まで散々断りましたから」  彼の声以外すべてが雑音に聞こえた。 ◇  ラブホテルのベッドにデートの相手を突き倒した。ホテル街に入った時から挙動がおかしかったが、とうとう部屋にまで従順についてきた。起き上がる前に白雪は細い身体に跨る。 「疲れているだけ…なんですよね?」  腹に乗ったため苦しいのか彼は息を乱していた。白雪の手がベルトのバックルを外した。 「白雪さん」  激しい抵抗はなかった。夢の中の叔父とは違った。 「何か言ってください。声、聞きたいです」  ボクサーパンツの前が小さく膨らんでいた。まだ弟で見たものほどは大きくなっていない。下半身を大きく揺らして白雪を振り落とそうとはするがまだ余裕があった。飾り気のない下着姿を首を起こした彼に晒す。黒い布を押し上げている中のものが大きくなった。青白い顔が骨の浮く青白い両手に覆われる。節くれだった脆そうな指と指の間から焦茶の瞳を視線を交わす。しかし何も伝えられず、何も伝わらなかった。デート相手のシャツを腹まで捲る。細いくせ腹は薄らと割れていた。慎ましやかな臍が上下している。 「冗談では、済まなくなります…っ」  ボクサーパンツを下ろす。叔父同様に可憐な見た目に似合わない器官が抑圧する布を無くして勃っていた。白雪は唇を噛んで、無遠慮にそれを支え腹の中に迎えた。思っていたよりも苦しく、粘膜を抓られるような痛みがあった。先端部の張り出た箇所に身体は拒絶を示す。だが白雪はそのまま体重を預けた。 「白雪さ、待っ…!」 「ぅんンッ!」  ぶつり、と何か裂ける感じがした。布を裂くような軋みで、視界が明滅する。痛みが下腹部から脳天までを駆け抜けた。内臓が迫り上がり、息苦しく、魚のように口をぱくぱくさせた。下に敷いた肉体が小刻みに震えている。デート相手は目元に色付いた手を置き嘆息した。結合部が冷たい。夢の中の円滑な動きは出来そうになかった。 「白雪さん…痛いでしょう?」 「ごめんなさい」  目的は果たした。しかしその後のことはまるで考えていなかったため、体内からの抜き方が分からないでいた。膝は力を失い、まるで他人の器官と腹の内側が癒着したように動けない。相手は上体を起こした。 「ぃ…っ、」  反動が大きく響く。熱っぽい焦茶色の双眸に覗かれ、思わず目を逸らした。 「血が出てます。どうしてこんな無茶をするんですか」  生温い掌が白雪の頬を捉え、目を合わせられる。 「一旦抜きます。少し痛いかも知れません」  白雪を抱え、体勢を変えると彼女をベッドへゆっくりと倒す。中の接触部分がずれ、小さな悲鳴が漏れた。 「言いましたよね。もう冗談では済みませんよ」  逆光する焦茶色の目元が細まった。美しい顔には赤みが差し、乱れた呼吸が降る。 「ごめん…なさ…」 「許しません。俺とのセックスが痛いだけだなんて…」  身体から他人が離れていく。 「慣らします。ゴムも付けます。こんな真似、二度としないでください」  強気な態度も叱咤する声もどこか優しかった。 「ごめ……んなさ…」  頭の中が溶けていくように白く、同じ言葉ばかりを吐いていた。唇を奪われる。舌が入って、絡んだ。夢ではしなかったことだ。 「ぅ…ん、っん…」  耳を塞がれ、淫靡な水音が留まる。じんわりと徐々に甘みが広がっていく。力も思考も一絡げに捨て去るような酩酊感に襲われ、口腔を蹂躙された。 「ぁ……っ」  蕩けた顔を熱っぽい瞳が舐め回すように眺めた。まだ、濡れて照る唇と銀糸によって繋がっている。片手が重なる。不安と解放感が鬩ぎ合う。
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