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第4話

◇ 『ダメだよ…白雪、どきなさい…』  叔父の色素の薄い目が月光に青白く光った。 「叔父さん…どこにも行かないで。ここにいて…わたし、叔父さんが居なきゃだめなの…」  引き締まっているが痩せた体躯に跨った。腹の奥に美しい叔父には似合わない器官が入っていく。穏やかで優しく品の良い保護者の表情が雄の艶を帯びて歪む。普段拒絶などしない大人の男の顔は戸惑いに満ち、血の繋がらない脆い関係に大きな亀裂が入りながら、最初から自由だった肉体は繋がっていく。 『ボクは君の叔父になれないのか―』  部屋に響いた自身の悲鳴に白雪は目が覚めた。息苦しさに呼吸を求め、後頭部が枕を転がる。隣室から物音がして弟が飛び込んでくる。 「姉ちゃんっ?大丈夫っすか!」 「ごめんなさい、起こしちゃって…」 「オレっちは大丈夫っすよ。お水飲む?持ってくるっすね」  前のめりになり、弟は白雪の背中を摩っていたがリビングへ水を汲みに行ってしまった。十分に酸素を取り込むと長距離を薄い布一枚隔てた裸足で歩いた痛みが蘇る。ハイヒールで攣った脹脛を撫でながら、嫌がる叔父を陵辱する夢を思い返す。生々しく鮮明なその光景が現実なのかただの夢なのか分からない。叔父が事故死するその日の朝まで、彼とは良好に暮らしていたはずだ。敏い弟の手前、それを演じていたのかももう分からない。弟が戻ってきて白雪に水を渡す。 「姉ちゃん…ホントに、大丈夫?」  無邪気な顔をして弟は首を傾げ、白雪の瞳を覗き込んだ。 「心配かけてごめん。本当にもう大丈夫…って言っても、銀灰くんにはうるさいよね」 「一緒に寝るっすか?」  子猫や子犬のような目が不安を灯す。胸の奥をがっちりと掴まれた気分になった。 「一緒に…?寝る…の?」 「へへっ、なんて冗談っすよ。オレっちめちゃくちゃ寝相悪いっすもん。それこそ姉ちゃん、落ち着いて寝られないっすから」  弟を見つめていると気分が凪いでいった。暗い中でも輝いている。無事に帰ってくることが出来て良かったという感想に変わる。 「銀灰くんと話したら落ち着いた。ごめんね」 「いいんすよ~、あんまオレっちのコト気にしないで。思い詰めて寝ると、なんか寝た気しないんすよね」  弟はへらへらと笑った。思い詰めて寝ることがあるのだろうかと、何気ない一言が引っ掛かる。 「一緒に寝る?」 「え、」 「嫌かな。嫌だよね。ごめんなさい、忘れて」  弟は大きな目に動揺を浮かべてわたわたと手を振った。無邪気な弟を見ているだけで胸がいっぱいになる。同時に彼の苦労を考えてしまうと温もりに包まれた胸の奥が滲みる感じがした。 「ま、まずいっすよ!でも!いや…う~ん一緒に、寝るすか?」  白雪はベッドの脇で眠るようなことを想像していたが弟は彼女をひょいと軽く抱えて自室のベッドに押し込む。同じ洗剤の匂いがした。血は繋がらず、互いに育ってから姉弟の関係になったが家族になれたという感じがした。体温の高い弟が真横に入る。白雪は壁際に寄った。 「大丈夫すよ、まだこっち余裕あるっすから」  弟の可愛らしい目が間近にある。睫毛まで見えそうだった。 「おやすみっす」  薄い目蓋が閉じ、梅の実のようだった。猛烈に亜麻色に近い髪を舐めて噛み、そのまま引っ張りたくなった。心臓が胸部を突き破るような感覚に、力持ちではあるが他の同年代の男子と比べると小柄な体躯を子犬同然に抱き寄せそうになったが手が当たった途端に弟はさらに端のほうへ後退った。 「おやすみ」  安堵感にすぐに眠気が訪れる。枕から滑り布団に潜る。陽だまりで寝る子猫のような背中を布団の中で眺めながら白雪はゆっくり目を閉じた。叔父と弟と暮らした夢に浸る。忙しい叔父と部活に励んでいた弟が疲れて帰宅しても美味しい、美味しいと言って上機嫌に手料理を平らげていく。予定が合わず遠くに出掛けたりということは少なかったが、3人で映画を観るのも特別な休日に思えた。懐かしい日々がぷつりと途切れ、うとうとしていると弟の寝間着のボタンが見えた。荒い呼吸が聞こえる。 「姉、ちゃん……」  譫言のように呼ぶ掠れた弟の声に白雪の目ははっきりと覚めてしまう。 「銀灰くん…?」 「ぁ…姉ちゃん…」  丸くなった白雪に重なるように前屈みになっている弟を見上げた。常夜灯が点く。戸惑いに満ちた熱っぽい顔を覗いた。 「風邪ひいちゃった?熱があるの?」  前髪の下の額に触れる。弟は眉を寄せわずかにつらそうな様子をみせた。 「大丈夫…大丈夫っす。起こしちゃってごめんっす」  くたりと首が据わらないまま弟は頭を枕に投げ、呼吸を乱した。このまま寝るつもりらしく、白雪は布団を剥がした。彼は目を見開いて蹲った。 「お腹痛い?」 「トイレ行ってくるっすね」 「うん…大丈夫?氷枕とか要る?」  弟は赤らんだ頬を横に振った。 「風邪じゃないっすから…心配しないで」  ベッドから降りて歩く後姿は腹痛を堪えているようで、白雪もベッドから降りた。前傾姿勢のままで、トイレに行く間に転んだらと思うと息が詰まる。白雪は弟の腕を掴んだ。ふわりとシャンプーの香りが髪から漂う。安いが気に入っている香りだった。 「姉ちゃん、」  弟の身体が崩れ、白雪も引き摺られたが、彼の骨張った肉感に包まれる。膝を打ったが大した痛みもない。 「怪我してないすか?」 「こっちの台詞!痛めてない?頭は?」  白雪は壁に打った後頭部に手を伸ばし、それから肩や腕に触れた。 「姉…、ちゃん…」  弟は深く息を吐いた。潤んだ目が姉を映し、そして歪んだ。 「お腹痛いんだよね?ごめんね」  抱き竦めるような体勢になっていたが重なった身を離す。水泳部を辞めてから筋肉が落ち、どこか逞しさのなくなった下半身を覆う寝間着が押し上げられている。白雪の視線を浴び、弟は後ろに腰を引いた。 「恥ずかしい…すよ。見な…いで、」  声が上擦り、肌が汗ばんでいる。叔父や会長や同期と比べると小さな手が姉から膨らみを隠す。 「姉ちゃ…ん…」  懇願するみたいに呼ばれ、眼差しで射抜かれる。 「大丈夫なの?腫れてる…」  白雪は弟の膨張へ慎重に手を伸ばすが、さらに彼は壁のほうに腰をずらした。 「知らないっすか…?男の人は、こうなっちゃうんす…」  叔父も会長も同期もそのような現象は露程も見せなかった。 「トイレ…行くっすね。抜かないと苦しいから…」  白雪はそれが保健体育で習ったものだとふと気付いた。 「ご、ごめんなさい。もうひとりで寝られるから。ありがとうね。おやすみ」 「うん、おやすみっす」  まだ三十路にもなっていない叔父と溌剌(はつらつ)とした弟と暮らしていたが、初めて目の当たりにした布の隆起に訳の分からない後味が残ったまま自室のベッドに潜った。 ◇  親戚の仕送り金から4万を引き出し茶封筒に入れ、教務課から聞き出した部屋へ向かう。単位を落とすことになるが翡翠の講義にはもう出られそうになかった。扉を開ける前に深呼吸してノブを捻る。 「ドアを開けるのに何分かけるつもりなんです?」  非常勤講師の控室は思ったよりも広かった。不機嫌な顔をして背の高い男はデスクに面していた椅子から立ち上がり紙袋を渡す。受け取りながら代わりに茶封筒を差し出す。しかし宙を虚しく舞って床を滑る。 「どういうつもりですか」 「服代です。足りなかったらごめんなさい。値段が分からなくて…」  茶封筒を拾い、払ってからまた翡翠へ差し出す。彼は茶封筒ではなく彼女の腕を取った。白雪がバランスを崩して転びかけることも気にせずに非常勤講師は冷たい顔をして彼女をデスクに押し倒す。抵抗をものともせず乱暴にロングスカートを捲り上げる。 「…!」  頭が真っ白になって悲鳴を上げることもできなかった。目の前にロングスカートより淡い色味のシームレスショーツが晒される。縫製の痕がない下着は肌触りの良い丈夫な薄布の繋ぎ目から破られてしまう。まだこれから1日講義を受けなくてはならないというのに下半身は肌着を失った。長い指が呆然としている白雪の秘部を刺す。体温と摩擦による熱が粘膜を襲う。何が起きたのか分からなかった。 「人を舐めるのも大概にすることですよ」  体内を掻き回され、柔らかな場所が傷付く恐怖に身体が強張る。節くれだった指1本が凶器に感じられた。 「カラダで覚えてください、貴女は姉さんの器に過ぎず、俺の(つがい)なのだと」  片手で両手首を押さえられたまま、翡翠はスラックスの前を寛げた。白雪からは見えなかったが、指が力尽くで貫いただけのまだ濡れてもいない箇所に熱い塊が当たった。何かを悟り、彼女は目を見開いた。狭い襞孔が抉じ開けられ、水膜が張る。粘膜が受け入れさせられる質量に耐えきれず裂けそうだった。口から漏れる悲鳴は息ばかりで音になっていなかった。上で男の微かな呻き声が聞こえる。下腹部が軋む。嫌がっていたはずの両手は突っ撥ねることをやめ、まるで求めるように男の腕に添えられていた。デニムジャケットの中の端末がメッセージを受信し震えた。その音で白雪は我に帰り、脚の間にいる男の腰を身を捩って蹴った。弱いものだったが非常勤講師は自ら距離を空けた。白雪はスカートを適当に直しながら、特に意識もせず傍に落ちていた荷物と紙袋を拾って一目散に逃げ出した。臀部や股間にスカートの裏地が直接擦れひどく居心地が悪かった。人のいない共有スペースの端に座り、端末を確認する。オカルト研究会の連絡だった。心霊スポットに出掛ける予算や備品代等は同好会や研究会では大学から支給されないため、会長が借りてきたホラー映画の観賞会が主な活動内容だった。また自由参加のもとに今回は未確認飛行物体に関連したドキュメンタリー映画を観るらしかった。段々とサークルの趣旨が映画愛好会になっている節があった。会長含め会員が3名しかいないが、それでも白雪のひとつの居場所といえた。まだ膝はハイヒールで走った時と違う震えに見舞われていたが、いくらか落ち着きを取り戻す。ふらふらと立ち上がったところで目の前に人影が現れ、白雪は後ろに傾いた。 「大丈夫ですか」  淑やかな声が降った。長く濃い睫毛に覆われた灰がかった焦茶の瞳を捉える。目が合った途端に品の良い笑みを浮かべられる。脳貧血のように蒼褪めた顔が華を帯びる。 「ごめんなさい。びっくりしてしまって」 「いいえ。隣、いいですか」 「そろそろ、行きますから」  遠回しに断ったが同期は隣に腰を下ろした。慣れそうだったスカートの裏地を突如意識してしまう。下着を失った不安が大きくなった。帰っておけば良かったとすら思ったが、叔父の遺産と親戚の仕送り金、弟のアルバイト代を食んで大学に通っていることを考えると惜しかった。 「少しでも白雪さんといたいです。たった一瞬でもいいんです」 「…そう」 「お嫌でしたら言ってください。嫌がらせをしたいわけではないんです」  白雪は返事をしなかった。ロングスカートを握って、俯く。隣には顔色こそ蒼白だが閑麗で雅馴(がじゅん)な男子がいるというのに肌着のない羞恥が白雪をひどく惨めにさせた。紙袋の中にジーンズが入っていることを思い出す。しかしいずれにせよ普段は接しない部位が裏地に接してしまう。 「白雪さん?」  溜息を吐いていた。呼ばれたことに気付く。不安げな目に捕まった。 「すみません、少し調子に乗っていました」 「え…いや、あの、違くて…」  眼前に迫る蒼白の美男子は小さく首を傾げた。 「そろそろ行きます」 「白雪さん」  腕を柔らかく引かれ、そのまま行かせてはくれなかった。 「きちんと拒絶してくださらないと、自惚れてしまいます」  繋がれた場所からゆっくり瞳が這い上がり、窺うような怯えたふうな光とぶつかる。白雪は黙ってしまった。拒絶するだけの嫌悪も、交際を諾とするだけの好意も彼に持ち合わせていない。 「そろそろ、ごめんなさい」  冷たい手に挟まれた腕を引いたが、彼の簡単にへし折れそうな指はペン胼胝で歪んでいても綺麗な印象を与えた。 「群青くん」  時折姉を想って意固地になる弟へするように呼べば青白い手が剥がれた。 「好きなんです。困らせるつもりは、ないんです。でも、」  純真な美男子の告白に不快な心地がした。それが彼に向けられたものなのかは彼女にも分からなかった。スカートの下は何も身に纏っていない女に真剣な眼差しをくれる同期を見ていられなくなる。 「行きます」  構内の中でも大型のトイレに向かった。そこにはトイレの並ぶ裏側に広い化粧室や更衣室まで設けられている。ジーンズに着替え、その日の講義に出た。知らない洗剤がわざとらしいほど強く薫った。  自宅に帰ると弟の他に草臥れた革靴が揃えられていた。リビングに明かりが点いている。 「お邪魔してますよ、白雪さん。台所をお借りしています」  市役所勤めの中年男が髭面に若い笑みを浮かべてキッチンに立っていた。ダイニングテーブルには弟が座り、姉を迎えた。 「おかえりっす、姉ちゃん!今ホットケーキ作ってもらってたところなんす」 「白雪さんも食べますよね?蜂蜜とチョコソースと苺ジャムを買ってきました」  役所勤めの男は軽快に笑ってひとつひとつ容器を見せた。 「いただきます。何も用意できていなくてすみません」 「いやいや、とんでもないですよ。ボクのほうが勝手に来てしまいましたからね。ホットケーキの特集を観たら、食べたくなってしまって」  中年男はへらへら笑ってフライパンに目を戻した。白雪は自室に移り、部屋着へ着替えた。粘膜の痛みは挿入されかけた時のみで今は治まっていた。数時間ぶりの下着に安堵する。宗教学概論の講義にはもう出ない。払うものは払い、返されるものは返された。ホットケーキの小麦と砂糖とバターの芳ばしい匂いが詰まったリビングへ萎れた顔を叩いて向かっていった。
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