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第六章 天女、監禁 * 10 *

 梅子の悲痛な叫びを嘲笑うかのように、甲高い靴音が廊下に木霊する。  複数の足音にもみ消されることなく響く靴音は、梅子の傍でぴたりと止まる。穢れを知らない白の西洋服ドレスを鎧のように纏い、銀色に煌めく靴を履いた正妃が、漆黒の闇を彷彿させる黒真珠の首飾りを揺らしながら堂々と登場する。 「ごきげんよう、皆のもの。こんなところで何を懇談されているのか、妾にも教えていただけるかのう?」  麗しく、それでいて妖艶な笑みを浮かべた冴利は、梅子の額に己の指先を翳し、呟く。 「お喋りがすぎるぞ、黒多の」  カイムの古語をうたうように唱え、冴利は梅子を眠らせる。  くずおれた梅子の身体を抱きとめながら、大松はかなしそうに継母を見つめる。 「母上……」 「お前など、妾の息子でも次期神皇帝の器となる者でもない。おとなしくその権利を妾の息子へ譲渡いたせ。そうすれば命だけは助けてやっても構わぬぞ?」  この部屋に飾られている暗褐色の薔薇よりも深い、赤黒いひかりが灰色の双眸から浮かび上がる。  カイムの民特有の加護を、『雨』の出身である冴利もまた持ち、ちからを操れる人間なのだと幹仁は悟る。  大松の方が冴利を糾弾すべき立場にいるというのに、冴利は自分の罪が暴かれてもうろたえることなく、大松に迫っている。居直っているのか、それとも…… 「我を消したところで、解決はせぬ。父皇が真の次代として命じたのは、弟だからな」 「なに」  目の前の皇太子さえいなくなれば息子が次代の神皇となると信じていた冴利は、忘れかけていたもうひとりの皇子の存在を思い出し、愕然とする。 「小環ショウワが……? まさか、そのようなこと、名治さまは妾にひとことも」  うろたえる冴利へ追い打ちをかけるように、新たに現れた人物の声が、部屋に響く。 「言うわけないだろ。言ったらお前は彼をも害そうと必死になって彼を大陸に遣ることも阻止しようとしただろうからね」 「帝だ……」  事の成り行きを見つめていた朝仁が、信じられないと声をあげる。幹仁も、遠目でしか拝見したことのない彼の登場に、言葉を詰まらせている。  名治は傍らに侍女らしき少女を連れて部屋の中を進んでいく。女中服メイド姿の彼女は無表情のまま、応接椅子に横たえられた梅子の傍に膝をつき、冴利がしたように、古語を唱える。  すると、呪いはするりと解け、梅子の意識が覚醒する。 「ん……梅子は?」 「眠らされていただけです。命に別条はございませんわ」  表情を変えることなく梅子にかけられた呪いを解いた少女は、夫である名治と向き合っている冴利の前で、かなしそうに言葉を紡ぐ。 「青き霧に従う『雨』の民、水嶌の人間よ。これ以上、己の欲望のために多くの犠牲を求めることは許されない。邪神に魅入られし雷土の眷属となりし悪しきこころ、遠き北の空へ……」  少女は懐から漆黒の杖を抜き、青ざめた表情で立ち尽くす冴利の前へ先端を向ける。 「Hetak hoshipi〈さあお帰り〉」  風が吹く。部屋中に飾られていた紅薔薇の花弁が舞い散る。きつい香りが冴利を囲い込む。 「そなた、『雪』の! なぜ、そちが逆さ斎のちからを……」  少女は冴利の問いに応えることなく、杖を振るう。  赤黒い花弁から禍々しい色素が浄化され、花弁は明るい薄紅色に変わっていた。  さながら夢を見るかのような光景に、傍にいた人間は何も言えなくなる。 「お眠りになるのは、后妃さまの方でしてよ」  冴利を取り囲んだ薄紅色の花弁はやがて蝶の姿へ変貌し、白金の鱗粉を振り撒きながら扉の外へ飛んでいく。  蝶々の群れが部屋から過ぎ去った時には、冴利の身体は床の上に沈んでいた。
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