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第六章 天女、監禁 * 3 *

 甘い香りが漂っている。  飢餓感を催す、甘い甘い香りが。 「……っ?」  むせかえるような香りに包まれ、桜桃の意識は浮上する。  ぱちっと瞳を見開き、むくっと起き上がる。  まだ夜だからだろう、全体的に薄暗い。けれど自分と小環が生活していた女学校の寮とはぜんぜん違う、広々とした空間であることがうかがえる。  甘い香りの正体は花台の上に飾られている蝋燭だったようだ。枯れかけた白薔薇が入った花瓶の横で、煌々とひかりを放っている。夕方に四季からもらった蝋燭にもどことなく似ている。 「小環? 四季さん? 誰か、いないの?」  自分が横になっていた寝台もひとりで眠るには大きく、空我の離れで生活していたときのように天蓋がついた西欧風のものになっている。着ている服も、自分が持っている白いワンピースよりも高級そうな西洋風の夜着で、胸元にリボンがあしらわれていたり、両袖に繊細なレースが刺繍されていたりする。  おおきな窓の向こうに見えるのは露台テラスだろうか。だとしたらずいぶん高い場所にいることになる。ここはどこなのだろう?  じゃらっ…… 「いっ」  足を動かそうとして、痛みに声をあげる。  その音で桜桃が起きたことに気づいたのだろう、パタパタと足音が迫ってくる。 「もう目が覚めてしまったの? まだ眠っていてもよかったのに」 「……鬼造さん?」  夜だというのにしっかりボレロを着込んだ少女が寝台の上の桜桃を見てくすりと笑う。  学校内で何度か顔を合わせたことはあるが、こうして一対一で会話をするのは初めてだ。  けれど目の前の少女は桜桃のことを旧知の人間であるかのように親しげに声をあげる。 「みぞれって呼んでよ。それじゃああられと区別つかないじゃない」  ……そういえば鬼造姉妹は年子であられとみぞれって見た目も字面もそっくりな名前だった。  桜桃は申し訳なさそうにごめんなさいと口を開き、それより今の状況を説明してほしいと訴える。 「先日の事件であなたが天神の娘であることが学校内に知れ渡ってしまったわ。あなたは重要人物なの。だからこの特別室でしばらく身を隠してもらうことにしたの。古都律華の一部の連中は本気であなたを殺そうとしているし、帝都清華や皇一族も一筋縄ではいかないみたいだから」  みぞれの説明は端的でわかりやすいが、だからといって素直に頷けるわけでもない。 「あなた、藤諏訪さんに襲われたのよ? あたしが通りかかったから無事ですんだけど、そうじゃなかったら今頃どうなっていたことか」  そのことを指摘され、ぐぅと唸る。 「麗さんは……たぶん私怨」 「それはお気の毒。あたしが言うのもなんだけど、彼女は婚約を白紙にされて自暴自棄になっちゃったみたいね」 「なんで知っているの?」 「ふふ。気になる?」  みぞれは困惑する桜桃を楽しそうに見つめ、小声で告げる。 「柚葉サマが教えてくれたからに決まっているじゃない」 「……え」  ――どうしてここでゆずにいの名前がでてくるの?  戸惑う表情の桜桃を弄ぶように、みぞれはつづける。 「雁さんがあなたを狙って猟銃を向けた事件を知って、居ても立っても居られなくなったみたいよ。帝都での仮面を脱ぎ捨ててひとり、この北の大地へ渡ってきたわ」 「嘘」 「嘘だと思うなら、そう思っていればいいわ。じゃあね」  みぞれは言いたいことを言い切ったからか満足そうに頷き、扉を開けて出ていく。  残された桜桃は信じられないと首を左右に振り、はぁと溜息をつく。 「嘘よ、ね」  彼が家のことを無視して桜桃の元へ行こうとするなんて信じられない。  これは罠だ、と桜桃の脳裡で警鐘が響く。  たしかに彼はすべてが終わったら迎えに行くと言っていた。けれど今、まだ桜桃は天女にもなれていないしこの地に春を喚ぶことすらできていない。  けれど、もしそれがほんとうのことならば…… 「嘘だなんて、ひどいな」 「……!」  どうして、と信じられなそうな表情の桜桃の前に、学校内を巡回している私兵が着ている軍服姿の柚葉が現れる。キィ、という耳障りな音を立てながら扉が閉まっていく。  扉が閉まると同時に、カチャン、と施錠されたであろう音が静かな空間に響く。 「ゆずにい?」 「そうだよ、ゆすら」 「っ!」  自分と離れている数か月の間に精悍な容貌に更に磨きがかかったのか、帝都にいたときよりも男らしさが増して見える。  寝台から飛び降りようとして、じゃらりという音とともにふたたび桜桃は左足首に痛みを感じ、くぐもった声をあげてしまう。 「そのままでいい。足枷をつけたから、無理に動くと怪我をしてしまう」 「あし、かせ?」 「ああ」  頷きながら柚葉は寝台の上で首を傾げる桜桃がさきほどまで被っていた羽毛布団をそっとめくり、足首を晒す。  ひんやりとした空気とともに、素肌をのぞかれたことで羞恥心が生まれ、桜桃は頬を赤らめる。  左の足首には銀色に光る輪がついていて、寝台の柱に鎖が繋がれていた。さっきからじゃらじゃらと音がしたのは鎖のせいだったようだ。 「俺の天女が誰にも奪われないように」  ――そしてこの楽園の鳥籠から逃げ出さないように。 「つっ」  繋がれた足枷を引っ張りながら、柚葉は嗤う。痛みに顔を顰める桜桃を見て、愛おしそうに。  それは空我の離れで生活していたときには見たことのない、彼の姿。 「これからは俺だけを見て。感じて。愛するんだ」
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