39 / 57

第五章 天女、探求 * 6 *

 間もなく消灯時間になるからか、寮内はどこの部屋も暗い。  桜桃は麗に手を引かれるように一階の玄関ホールまで来ていた。  規則的に並ぶ燭台の灯だけが道しるべのように橙色のひかりを放っている。 「もうすこししたらみぞれさんが片しにいらっしゃるから、早く」  麗は燭台の横に立ち、桜桃に目当てのものを探すよう急かす。  桜桃は頷き、床の上の籐籠の前にしゃがみ込む。  籐籠のなかには本日最終の郵便船で本土から届けられた手紙の束が無造作に入っている。  ほんのり潮の香りがする手紙の束と向き合い、桜桃はひとつひとつ宛名を確かめていく。 「麗さんはもう拝見されたのですか?」 「ええ」  背後で言葉少なげに応える麗の声を耳にしながら、桜桃は『三上桜』宛ての手紙を探す。  麗がわざわざ知らせてくれたのだ、たぶん、柚葉がしたためてくれた手紙が入っているのだろう。  それか、湾が筆不精な小環に近況をしらせるよう自分のもとへ送ってきたか…… 「――柚葉さまがね」  うっとりした声が降りかかり、桜桃の手の動きが一瞬止まる。 「もうすぐ迎えに来てくださるのですって」 「……え」  まだ天女の件が片付いたわけでもないのに、柚葉が来る?  それに、柚葉は桜桃ではなく麗を迎えに?  ぞくり、と悪寒が生まれる。  その瞬間に、ピッ、と指先に朱が走る。  紙で指を切ってしまったらしい。桜桃は暗がりのなかでぷくりと浮かび上がる血の雫を凝視する。 「婚約破棄なんて嘘で、これ以上君を傷つけたくない、ですって」 「婚約、破棄?」 「あら、ご存知なかったの?」  ふふふ、と麗が嗤っている。  いま、後ろを向いたら鬼のような形相の彼女を見てしまうだろう。 「――ぜんぶ、あなたのせいなのに!」  そう言う麗の影が桜桃の背後に迫る。  殺意にも似た彼女の悲痛な声が、桜桃の耳元に木魂する。 「うららさ……っ!?」  憎しみと共に向けられたのは、甘い香りのする手巾。  それが眠り薬だということに桜桃は気づかないまま。 「許さない……柚葉さまを盗んだ天神の娘」  そのためなら帝都清華を裏切って古都律華とともに彼女を闇に葬ってやる。  麗はくたりと意識を失った桜桃を見下ろし、はぁはぁと息を荒げる。  その様子を遠くから見つめていた少女が、困ったように声をかける。 「ずいぶん思い切ったことをするのね」 「何が天女伝説よ。単なる愛妾の娘よ。なんで柚葉さまはあの女を我が物にしようとするの? 異母妹である彼女と結婚することなどできないと知っているはずなのに……」  婚約を白紙にしたかと思えば、三上桜という少女を見張れ、なんて言われて麗の|矜持《プライド》はズタボロにされた。  彼女が安全で居続けられれば、柚葉は結婚を考え直す、とも言っていたが、麗は信じられないでいる。  きっと柚葉は天女に誑かされておかしくなってしまったのだ。  だから麗ではなく異母妹を、この地まで迎えに行くと、わざわざ手紙に書いて見せつけたのだ。 「だからってここでことを起こしたら、雁さんの二の舞になるわよ」  手紙が入った籐籠を回収しながら、鬼造みぞれは呆れたように麗に告げる。  そう言われて麗の瞳に光が戻るが、相変わらず視線は気を失った桜桃に向けたままだ。 「そう、ね」 「あたしも古都律華の人間だけど、帝都のゴタゴタに深入りはしたくないのよ。ましてや殺すとか物騒なこと、よそでやってくれない?」 「だけど、彼女が生きている限り、柚葉さまはあたくしを見てくれない。ならば帝都清華を裏切ってでもあたくしは彼女を」 「いっそのこと事故にでも見せかけて殺す?」  さらりと口にするみぞれを前に、麗がギョっとする。 「なんて、お嬢様には無理よね……それに殺すのはよくないわ。そんなことをしたら柚葉さまは藤諏訪の家を乗っ取ることくらい簡単にしてしまいそう」  なぜみぞれが柚葉のことを知っているのか、麗は怯えた表情で彼女の言葉のつづきを待つ。 「それに、いまの神皇さんだって、彼女を殺そうとは思っていないみたいね。いくら正妃さまが彼女や前妃の皇子の死を望んでいても、それは国の主として叶えてはいけないことですもの」 「……だけど」  麗は今にも桜桃の細い首に手をかけそうになっている。  一思いに縊り殺そうとしても、か弱い少女の手では無理だろう。  それに、いま天女がいなくなったらこちらとしても困るのだ。 「あたしにいい考えがあるわ……貴女は安心してこの場から立ち去りなさい」  だからみぞれは麗に暗示をかける。  これ以上悪い夢を見てはいけない。  そのような憎しみも、醜いこころも、ぜんぶ。  忘れてしまいなさい。  物言わぬ人形のようになった麗は、みぞれの暗示を受け入れ、幽霊のように物音を立てることなく自分の部屋へと戻っていく。今宵のことは悪い夢だとでも思ってくれればいい。  ただ、みぞれの暗示はあられと違って数日ももたない。他のカイムの民に感づかれても迷惑だ。  だから……周りが騒ぎ出す前にすべてを終わらせなくては。 「――きて」  その声とともに、軍服を着た青年がスッと現れる。何も言わないが、桜桃の姿を見て満足そうに頷いている。  ぐったりしたままの桜桃を軽々と抱きあげた影を見て、みぞれは不敵に笑う。 「大切なひとなんでしょう? ちゃんと捕まえていっぱい愛してあげないとだめだよ?」
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!