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第五章 天女、探求 * 5 *

   ひそひそ、ひそひそ。  ――ずるいわ、校長の縁戚だからって自由に学校の外へ行き来できるなんて。  ――いったい外に出て何をしているのかしら、こういうときだけあの姉妹は個別に動くのよね。  ――恋人との逢瀬? まさか! そんなはしたないことが華族令嬢に許されるわけないじゃない……  周囲で囁かれる心もとない噂話を無視して、少女は主の片割れを失った部屋の扉を叩く。 「梧さん、いらっしゃるかしら?」 「あら、今夜はひとりなのね」  すぐさま、扉が開かれ、少女は中へ導かれる。慈雨は噂話に躍らされるような娘ではない。少女はホッとして部屋に足を踏み入れる。  四方に蝋燭が灯された白い部屋の中はがらんとしている。床の上には高級そうな毛皮の黒い絨毯が敷かれており、温かそうだが、窓を隠すように掛けられている薄青の緞帳が、その印象を寒々しいものへと変容させている。  青は『雨』の部族にとって神聖な色だ。青き霧、という神謡の言葉からアオギリの姓を携わり名乗ることを許された慈雨の遠い祖先はこの潤蕊の影の支配者ともいえた。いまでは目の前の少女の親族が好き勝手しているが、古都律華は既に落ちぶれていると言っても過言ではない。いつまで保つかは微妙なところだと慈雨は心の奥で嘲笑する。  この少女の名はどちらだったか。『雨』の部族である雫石(しずくいし)を母に持つ姉妹には慈雨同様、雨にまつわる名を授けられていた。だが、慈雨からすればどちらでも構わない。彼女たちはカイムの血を引いてはいるが、神々を()ることのできない常人だ。  慈雨からすれば毒にも薬にもならない存在である。 「ええ、準備ができたことを報せにきただけですから」  慈雨は少女から用件をきくと、得心した様子で木製の引出しから丸い硝子玉のようなものを手渡す。 「雁も、気の毒ね」 「ほんとうに」  ――神々に認められた純血の乙女がこの学校を出る時は、結婚する時。  たとえそれが不本意な退学だからといっても、この大陸の神々は例外を認めない。そしてこの地に縛られる『雨』の民も。ゆえに、鬼造は神々との偽装結婚を準備する。そして、嫁の貰い手のいない生徒たちを、神々に捧げる花嫁(イケニエ)として、土地神の機嫌を取り続けているのである。  この地に天女がいなくなってしまったから。  帝都での婚姻が決まってしあわせであるはずの蝶子も、神々の機嫌を損ねたくないがために自らの表情を生贄とし、逃げるようにこの学校を去ったのだ。天神の娘を脅かした雁は身体の一部や感情を殺すだけでは許されないだろう。  いたたまれなそうに少女は呟く。古くからの慣習に従う慈雨を遠くに感じているように。 「……なぜ『雪』の寒河江さんが『天』の傍流でしかない三上さんを狙ったのか、梧さんはおわかりになっていらっしゃるの?」  鋭い質問は、身を滅ぼしかねない。慈雨はそっけなく応える。 「雁が『(ウバシアッテ)』だから」  同じカイムの民とはいえ大陸の開拓者である古都律華に近代化を促された『雨』と皇一族と友好的で保守的な『雪』とでは性格が異なる。雁はそんな中でも比較的寛容な性格だったが、それでも慈雨に譲れない主張を持っていた。  それが、天女伝説。 「……彼女は天女を信じてた。でも、この地にやってきたのは帝都の神と縁を結んだ少女と、名ばかりの天神の娘。きっと、絶望して憤って、あんな莫迦な真似をしたのよ」  天神の娘が天女であるなら。神々のご機嫌をとるために女学校の生徒たちが犠牲にならずにすむ。天神の娘が天女でないのなら、彼女だけを人柱にして神に捧げればカシケキクのちからで春を招けるのではないか。その考えが、猟銃の引き金を引かせる発端になったのかもしれない。 「だとしたら、愚かね」  少女は慈雨を挑発するように口角を持ち上げ、囁く。 「古都律華の連中は何がなんでも彼女を殺そうとしているわ。そっちと繋がっていた可能性だって否定できないじゃない」 「それはないわね」  挑発に乗ることもせず、慈雨は冷静に分析する。  目の前にいる少女は、天神の娘を政治的な理由で消したいと考えている古都律華に属している。そこにカイムの民が介入する余地は存在しない。放っておけば慈雨が何もしなくても彼女は抹殺されてしまうだろう。  ――それはいただけない。 「雁は純粋な『雪』よ。何者かに操られていたなら話はまた変わるかもしれないけど、彼女はあなたたちにも弁解しないんでしょう? ならば、黙秘しつづけているのは、他の『雪』に迷惑をかけたくないからじゃなくて?」 「そういうことにしておいてあげるわ」  そう言って、少女は慈雨の部屋から風のように飛び出していく。慈雨は彼女が何を掴んだのか、訝しく思いながらも、そのままにしておく。どうせ真実を知ったところで何もできないだろう。  古都律華の鬼造は天神の娘を自分たちで殺めるつもりはなさそうだが、本音としてはとっとと消してしまいたいようだ。だから雁の事件も憲兵に通報せず、自分たちで処分しようとしている。  彼女を天女のいなくなった土地へ春を呼び込むための生贄にして。  先の事件で三上桜は天神の娘だという情報が校内に拡がった。  そのため周囲の人間はピリピリしている。  古都律華や帝都清華など遠い帝都の権力争いがこの女学校で起こるのは偶然か必然か。  だいいち天神の娘だといっても、彼女自身からは何のちからも感じない。  とはいえ、華族令嬢と変わらない彼女の母がカシケキクの巫女姫として北海大陸に君臨していたという点や、出奔中とはいえ父親がいまをときめく帝都清華の五公家の頂点にいるという点、『雪』の部族から名治神皇と結ばれた篁の一族からやって来た少女が傍に控えているという点を考えると、天神の娘は『雨』からすれば脅威になり得る存在ではある。  だから誰も彼もが彼女を狙っている。殺すため、利用するため、勝手な理由で。  だが、慈雨がいま一番脅威に思っているのは、逆さ斎のちからを持つ四季だ。  天神の娘と始祖神の末裔が生活する隣室にいる彼女はすでにいま起きている全容を掴んでいるのではないだろうか。いまのところ天神の娘たちと行動を共にしており、特に不審なところはないが、同室の桂也乃が負傷して部屋から出ているいまなら、なんらかの行動を起こしてもおかしくはない。できれば彼女と敵対することだけは避けたいが…… 「それに、麗は何をしたいのか……考えてもきりがないわ」  帝都清華の五公家にいながら天神の娘と接触を人前で避けていた少女、藤諏訪麗。  藤諏訪家は清華五公家の末席で、苦労して空我家の後継ぎ息子との婚約を漕ぎつけたようだが、先日天神の娘が行方知れずとなってから見事に白紙撤回されたときく。  藤諏訪家は以前から古都律華とも接触を図っていたようだが、婚約が白紙にされてからの麗の態度の豹変ぶりに、鬼造姉妹も戸惑っているようだ。  婚約破棄の原因ともなった天神の娘に快い感情を持っていないであろう彼女は帝都清華に属しながら古都律華と手を組んでいる。  だが、桂也乃が負傷してからの麗は天神の娘を見張っているように感じられる。桂也乃の代わりに。  となると、帝都清華との縁も続いているのだろう。 「ばかみたい」  天神の娘と始祖神の縁者がこの地にやってきたというだけでこれほどの動きが急激に起こるとは。  嘆息し、慈雨は部屋の蝋燭をひとつずつ吹き消す。最後のひとつが消えたのを見届けて、夜の闇に同化した部屋の寝台へ潜りこみ、瞼を閉じる。
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