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第四章 天女、翻弄 * 8 *

 蝶子を乗せた黒い幌馬車はゆっくりと校門前から去っていく。 「行ってしまわれたわね」  すこしだけ淋しそうな桂也乃を見て、桜桃も頷く。周囲には桂也乃たちのように蝶子を見送り名残惜しそうに走り去っていく馬車を見つめている生徒たちの姿がみえる。小環の姿はない。たぶん、呆れて先に部屋に戻ったのだろう。 「……桂也乃さん、いつもこのようなことが起こるんですか」  桜桃はおそるおそる桂也乃に問いかける。桂也乃は軽く首を振って、桜桃に説明する。 「いつもこんなに派手なわけじゃないけど、先輩たちは結婚が決まると同時にこの学校を去っていったわ。『神嫁御渡かみよめのおわたり』と呼ばれる冠理女学校特有の送迎儀式なの」  花嫁修業をするために設立された華族御用達の全寮制女学校。学校を出る時は結婚する時、というのがここでは常識らしい。だが、金さえ払えばわけありの少女でもあっさり受け入れるという裏の面を考えると、すべての生徒が結婚を機に学校を辞するとは考えられない。 「神嫁、なんて呼ばれるのね」 「そうよ。なんでも冠理女学校にいた生徒は北海大陸の神々に愛を賜り、良妻賢母となりて夫を支える、って評判ですもの」  桜桃はふーん、と上辺だけの返事をして考える。神々がどうのこうの、というのはたぶん商売のうえでの宣伝文句だろうが、神嫁という呼び名や仰々しい儀式など、天神の娘である桜桃からしても胡散臭さが拭いきれない。  ……じゃあ、あたしや小環みたいにわけありの生徒はどうやって学校を去るのだろう? 潜入するときのように多額の金を入れないと出してもらえなかったりするのだろうか?  桜桃の疑問に気づいたのか、桂也乃は声を落として耳元で囁く。 「だけど」  その言葉のつづきをきくことは叶わなかった。  ――パァン!  刹那。  何かが破裂したような甲高い音が、桜桃の目の前で響き渡る。蝶子の神嫁御渡を見送っていた少女たちのざわめきも残雪に吸い込まれてしまったのか遠い彼方へ流れていく。違う、聴覚が麻痺したのだ。何も聞こえない。視覚は空を映していた。この地に来てから一度も拝めずにいる太陽を隠した曇天の空を。  桜桃たちは残雪の上に倒れこんでいた。あの音は何だったのだろう。空我別邸で耳にした拳銃よりも重たい、猟銃のような……  そして、気づく。  冷え切った自分の両掌が血で赤くべったりと濡れていることに。  痛みは感じない。自分の血ではない。だとしたら、これは、誰の? 「……桂也乃さん?」  桜桃を庇うように、桂也乃も倒れていた。肩から真紅の花を咲かせている。そして、血の気のない表情でいながら、桜桃が無事なのを確認して、微笑わらった。 「安心なさい。誰も、あなたを、傷つけること、など、できないの、だ、から……ね」  天女さま、と桂也乃は祈るように桜桃の手を強く握り、瞳を閉じる。  桜桃は意識を失った桂也乃の手を、血にまみれた両手で握り返して、絶叫する。 「い、や、ぁああああああああ!」
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