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第四章 天女、翻弄 * 5 *

「あれが、蝶子さまよ!」  桜桃が女学校へ潜入してから間もなく十日になろうとしている。  小環のおかげか、最近は夢を見ることも少なくなった彼女はようやく女学校での生活にも慣れてきたところだ。  着るものを準備していなかった桜桃は常に濃紺のボレロを着ている。  他の女学生を観察すると、殆どの少女たちが桜桃と同じようにボレロを身につけて生活していた。とはいえ、げんざい桜桃たちとともにこの女学校で花嫁修業という名の勉強に励んでいるのは二十人足らずで、特別な事情がない限り他の衣類に着替えることもないという。  いま、桜桃と小環とともに回廊を歩いている桂也乃もボレロ姿だ。 「……まさか、標準服以外の装束を見ることになるとはな」  小環は桂也乃の説明をきき、呆れたような声をあげ、先輩である美生(みのう)蝶子の姿を見つめている。  五十年ほど前に北海大陸の調査に赴いた男……近代に入ってから名治神皇によって清華五公家と定められた美能家の先祖だったという……が、カイムの民の女との間につくった子どもの子孫である。当時、その男は苗字を持っていなかったが、美能家と結びつきを持ったため、その後、美生、と名乗ることとなり、いまに血脈を伝えているときく。  陶磁器のように白く滑らかな肌、手入れのされた艶のある黒髪、そしてカイムの民特有の澄み切った灰色の瞳。  彼女が纏っているのは質素なボレロではなく、十二単衣に似た豪華絢爛な花嫁衣装だ。金をあしらった深紅の打掛の裾からのぞく裏山吹と呼ばれる襲色目の濃淡が白と紺しか生み出さなかった女学校の背景を覆す。  ふだんはみつあみにされていた長い髪も高いところに結いあげられ、柳のように枝垂れた梅花をあしらった白金の簪が歩くたびにしゃらしゃらと涼しげな音色を奏でながら煌めきを発している。 「綺麗」  桜桃はしずしずと前を通り過ぎていく蝶子と彼女を迎えにやってきた黒服の男たちの姿を恍惚とした表情で見つめている。  うっとりとしているのは桜桃だけではない。この女学校が創設された当時から在籍している黒多桂也乃も、しあわせそうな表情で蝶子の門出を祝っている。ほかにも、桜桃とともに刺繍の講義を受けている藤諏訪(うらら)や、学校長の孫娘である鬼造みぞれとあられの姉妹たちも同じように、花嫁として学校から旅立つ蝶子を羨ましそうに見送っている。注目されているというのに蝶子は気にする様子も見せず、陶器でできた人形のように無表情で歩を進めている。  桜桃は表情を変えない蝶子がもっと笑えば更に美しく輝くのにと思いながら、周囲に目を向ける。  蝶子の姿に羨望の眼差しを向けているほとんどは帝都からやってきた華族令嬢だった。僅かながら見受けられる小環のように仏頂面でいるのは、もともと北海大陸で暮らしていた少女たちなのだろう。彼女たちからすればこの嫁入り前の行進は滑稽なものに映っているに違いない。たとえそれが帝都で受け入れられている様式であったとしても。  小環は桜桃や桂也乃のように素直にこの光景に感動しているわけではなく、蝶子の華美な装飾に辟易しているだけのようだが、桂也乃の同室である逆井四季は苦虫を噛みしめたような表情で蝶子の背中を睨みつけている。桜桃はそんな四季の表情に気づいて首を傾け、それを盗み見た小環もまた疑問に思う。 「きみは、羨ましいとは思わないのか」  耳元へ問いかけられた小環の小声に気づいた四季は、つまらなそうに首を横に振る。 「……神に媚び諂う必要などない」  弱々しいながらも、きっぱりと言い切る四季の言葉に、小環は苦笑を浮かべ、あらためて彼女たちを観察する。  黒多桂也乃と逆井四季。  ふたりは桜桃と小環の部屋の隣の部屋の住人である。  桜桃たちが冠理女学校へ潜入した翌日に挨拶に訪れ、それ以来なにかと行動を共にしている。  桂也乃は清華五公家のひとつである黒多子爵家の令嬢である。たしか四番目の娘だったはずだ。  母親は名治の異母妹、滝子。つまり桂也乃は小環の血の繋がりの薄い従妹でもあるため、素性がはっきりしているのである。  そのことを踏まえると、桂也乃が桜桃たちに接触してきたのは天神の娘がどんな人物か把握するためなのだろうと身構えた小環だったが、意外なことにそのことについて桂也乃は何も言わなかった。小環が皇一族の第二皇子であることは知っているはずだが、どうやら篁小環という少女として最初から扱うことにしたらしい。たしかにここで謙った態度をとられて身分差云々言われても面倒臭いのは事実である。  桂也乃と桜桃は相性が良いのかすぐに仲良くなった。お人好しでお喋りな桂也乃と知り合えたことで桜桃の緊張もずいぶん解れたようだ。彼女は天神の娘であることを知っているはずだが桜桃を畏れず友人として接してくれている。すくなくとも桂也乃は桜桃を排除する側の人間ではない。小環はそう判断し、ふたりが友情を育む姿を見守ることにした。  そんな桂也乃と同室の少女が逆井四季である。肩まで届かない長さの赤みがかった黒髪に、森を彷彿させる緑がかった灰色の双眸を持つ彼女は生粋のカイムの民だ。  四季は桜桃を一目見てカシケキクの人間だと見抜いた。  どうやら彼女はこの土地にいる神々を肌で感じることができるらしい。現に彼女は初めて見た小環にも得体の知れない神がいると指摘したのだから。  帝都のある東の大陸に息づく始祖神の感触を彼女が知らないことを考えれば得体の知れない神と呼ばれても仕方がないことであるが、まさかそんな風に言われるとは思ってもいなかった小環である。  篁という苗字から皇一族に縁のある娘だと理解したのか、それ以来小環が発する神がかり的な雰囲気について四季があえて話題にすることはないが、警戒されているのは事実だろう。なんせ小環は常に天神の娘と行動を共にしているのだから。  他の生徒たちから見ると小環が主人で桜桃が彼女に仕える侍女のように見えるようだが、桂也乃と四季は逆だと考えているらしい。実際のところそのような上下関係は存在していないが、あえて正す必要も感じないため小環はそのままにしている。 「たしかに」  カイムの民にとって神は共存の象徴。その土地ごとに縁を持つ神々がときにはひとに姿を転じて舞い降りて、恋をして子孫を残したという伝承も色あせることなく現代まで引き継がれている。その伝説が現実であると証明できるのは天神の娘である桜桃と、土地は違えど始祖の母神と縁を残し国を興した皇一族、気まぐれに王種の加護を与えられた人間だけだ。 「神は望まない。共に生き、喜怒哀楽を分かち合い、ときに感謝を捧げられるだけで充分なはずだ」 「それは、篁のなかの神がそう囁くのか」  蝶子の姿はすでに建物の中にない。しゃらしゃらという簪の鳴り響く音だけが、彼女がさっきまで渡っていたという証になる。  桜桃と桂也乃は門の方まで行ったのだろう、この回廊にいるのは小環と四季、そして四季と同じくカイムの民だという(あおぎり)慈雨(じう)寒河江(さがえ)(かり)の四人だけになっている。  四季の言葉に驚いたのか、慈雨と雁もまた興味深そうに小環を見つめている。篁という名はかつてこの地にいたある女性が即位前の神皇帝と恋に落ち、帝都で生きることを選んだときに与えられた特別な苗字。カイムの民にとってみれば伝説の姓ともいわれている。神は異なれど始祖神と契約したことで神と同等とされる皇一族に認められた存在、篁一族。だが、彼女たちカイムの民は知らない。その姓を与えられた女性は神皇帝との間に子をなすが、その子である湾はすでに篁を名乗っていないということを……  四季たちは小環のことを神皇帝の妾腹の娘だと思っているようだ。誰もここにいるのがほんものの第二皇子であることに気づくことなく、篁小環という少女の血の中にわずかに存在する神聖なものに惹かれている。 「……神の声なんか、聞いたことないよ」  ふっ、と小環は自嘲する。たしかに自分には始祖神の血が混じっている。王種の持ち主だとも言われた。  だが、常人とはことなる不思議なちからを持っているといわれ崇められても実感が湧かない。ひとに簡単な暗示をかけたり負の思念を和らげることくらいしかできないのだ。その程度なら神の血縁者じゃなくても、神職にいる人間で事足りるはずだ。
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