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第四章 天女、翻弄 * 3 *

「そうか、小環とともにいるのか」  それならしばらくは大丈夫だろう、と報告をしてきた湾に男は頷く。  銀の龍が刻まれた朱漆の椅子に堂々と腰を座している男は、婚前に関係を持った北の大地の先住民の息子と久方ぶりに顔を交わしても、表情を変えることはなかった。むしろ、報告が遅いとでも言いたそうな様子だ。  ……こういうところが父上と小環の似ているところなんだよなぁ。  心の中で嘆息してから、湾は偉大なる父親の言葉に頷く。 「残念だったな、あてが外れて」  名治は面白そうに笑いながら湾に告げる。桜桃を北海大陸にある冠理女学校へ潜入させることができれば安心だとばかり思っていた湾は、そこで思いがけず再会した異母弟を見てたいそう驚き自分の読みが甘かったことを悟ったはずだ。正直でおおらかで何事も勢いでやり遂げてしまう性分が激しく母親似の年長の息子を名治は好ましく思ってはいるものの、詰めの甘いところや視野の狭いところが欠点だと熟知している。ゆえに彼が政治の世界で暗躍することは無理だろうということも含めて。  そんな風に父に思われていることも知らないまま、湾は口を尖らせる。 「伊妻の生き残りがいるなんて初耳です。なぜ教えてくださらなかったのですか」 「教えたら敵に勘付かれてしまうだろうが。天神の娘を送り届ける役を無事に成し遂げたら話そうと思ったのだよ。その様子だと、小環が殆ど説明してくれたようだな」 「彼が嬢ちゃ……天神の娘の保護するために女学校へ潜入したのは納得できます。ですが、伊妻の残党を狩るために、最初から彼女を利用したってことになりますよね?」  小環ははじめ、伊妻の残党を駆逐するために北海大陸に赴くよう父皇に命じられ、その後天神の娘や『雪』のことも頼まれたと口にしていた。伊妻を狩るため天神の娘を利用しようと彼は動いたに違いない。  その狡猾なやり口に反発を覚える湾だが、それを見越していたかのように名治は困ったように苦笑する。 「小環に篁を名乗らせたのは古都律華ないし帝都清華に属する華族への牽制だ。伊妻を誘き寄せるためではけしてない。彼を天神の娘だと認識して近づいてくる人間が現れることは想定内だ。傍に本物がいるのなら彼の方が囮とも言えるだろうに」  それは小環も言っていた。いまのところ彼は父の意見に従って天神の娘を保護するつもりでいる。皇一族を凌ぐ至高神の末裔とはいえ桜桃は巫女姫として活躍したセツと違い何一つちからを持たない少女だ。むしろ始祖神の血を継ぐ小環の方が生まれつきの高貴さからか、天神の娘と称しても素直に頷けてしまうきらいがある。 「美しかったであろう、小環の女装姿は」 「ぶっ」  いきなり何を言い出すのだこの父親は、と呆れながら湾は名治の笑顔を垣間見る。まるでまだ何か面白いことを企んでいるような大胆で不敵な笑みだ。 「冗談だ。それより、今後は大松とともに帝都内の平定に力を注いでくれ。清華五公家のご機嫌取りと冴利と古都律華のままごとに付き合うのは疲れるぞ? 北海大陸についてはいまのところ小環に全権を委ねておる。海軍省の定期船で情報のやり取りはできるだろうが、それも五日にいっぺんあるかないかだしそもそも小環は筆不精だ。校長室にしか置かれていない電話を使うこともできないだろうし、もはやお前にできることは何もないだろうよ」 「……おっしゃるとおりです」  桜桃を女学校へ送り込んだ後、湾は小環が言っていた陸軍駐屯地に立ち寄り、一晩を過ごしてから富若内港にやって来た海軍定期船に乗せてもらい帝都へ戻ってきた。そこで知らされたのは義理の妹、実子の死と、空我家の御曹司と藤諏訪家の令嬢との間で決められていた縁談が白紙撤回されたというどちらも寝耳に水の出来事だった。  実子の死は愛妾の娘を殺そうとして暗殺者を雇った罪に苛まれた末の自殺として片づけられていた。  遺体は憲兵に調べられた上で実子の実家である川津家に渡され、荼毘に付されており、湾が戻ったときにはすでに骨で、気高い彼女の面影はどこにもなかった。自分が帝都にいない間に片づけた当主であり義母になる蒔子の手腕の良さには舌を巻いてしまう。問い詰めてものらりくらりとかわされ、そちらこそ何をしていたのだと逆に攻撃され、這這の体で父が暮らすこの明時宮(あかときのみや)に逃げて来た湾である。  皇一族の血統を欲していたくせに、跡取りもできないまま米子が死んだことで蒔子は湾を邪険にしている。  それでもいまは尊ぶべき皇一族を脅かす天神の娘を滅するのが先だと湾の行動には目を瞑っているようだ。これで自分が桜桃を北海大陸へ送った張本人だと露見した日にはいくら自分が皇一族出身だからといえ、殺されてもおかしくはないだろう。  そのことを名治は知っているから、これ以上関わらなくてよいと言ってくれているのだ。 「とはいえ、黙ってじっとしていることはお前にできないだろうし……」  しおらしくなってしまった湾を前に、父皇は優しく告げる。 「お前の甥でもある空我侯爵の息子を見張っていてもらおうかな?」  いま、帝都では襲撃を受けた空我伯爵の後継ぎ息子が藤諏訪子爵令嬢とのあいだに決められていた婚約を解消するという暴挙に出たという報道が注目を浴びている。湾がいない間に彼は彼でとんでもない行動を起こしていたようだ。 「彼が自らの婚約を解消した理由は空我家の襲撃事件が原因とされているようだが、ほんとうは違うとお前も理解しているはずだ」  ――桜桃だ。  柚葉は天神の娘である桜桃を誰にも渡すまいと自分自身で動きだしてしまったに違いない。兄妹内での婚姻は禁じられていることを無視して。彼女を自分の鳥籠へ再び入れて鍵をかけようとして。 「彼は危険だ。天神の娘を畏れていない。そのうえ、天女の羽衣となりうる王種(おうしゅ)の持ち主だ」  王種。  それははるか昔、かの国を興した始祖神の血を持つ人間のうち、神々が気まぐれに与える加護のちからのひとつだ。  北の大地で土地神に仕えていた母と父皇のあいだに生まれた湾は持っていないが、小環は生まれた際に与えられ、天女の羽衣となりうる時の王種の持ち主と定められた。  一般的に皇族のごく一部の男児だけに授けられる加護だが、空我一族の系譜を辿ると不思議なことに王種の加護を持つ当主がおり、その先祖返りによる加護を樹太朗も、その息子の柚葉もまた生まれつき持っている。  だから樹太朗はカシケキクの巫女姫と強く求めあい、天女の血を濃くひく桜桃が生まれてしまったのた。  柚葉本人はそのことを知らされていないはずだが、桜桃がカイムの地へ降り立ったことで天女を求める本能が覚醒してしまった可能性は否めない。  ――王種を持っていたから、柚葉は桜桃に惹かれてしまったのかもしれない。  桜桃が天女として覚醒し、春を孕むがために羽衣を抱く際、柚葉を選んでしまったら……  放っておけば皇一族に対抗しうるちからを持ってしまう可能性もある。  古都律華のように畏れることもせず、帝都清華のように皇一族に媚びるために利用することもせず、自分自身のために手に入れようとする彼は……国にとって、危険人物だ。 「……父上は、天神の娘をどうされるつもりで」 「『雪』の嘆願のこともある。殺すなどもってのほかだ」  きっぱり言い切る名治に、湾の脳裡に先日会話した小環と桜桃の顔が思い浮かぶ。  もしや……ふたりを同室にしたのは、柚葉に手をだされる前に契らせるため? 「わかったな?」  名治の有無を言わさぬ声音に、湾は身震いする。そして、深く一礼し、無言で父親の前から姿を消す。  後に残った名治は椅子から立ち上がることなく、息子の背中が消えてからも、視線を移さず、考えこむように見据えている。
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