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第三章 天女、邂逅 * 5 *

 空我侯爵邸の門前で多くの人間が待ち伏せていた。憲兵に新聞記者に野次馬に……うんざりする光景を無視して柚葉は焼け野原の別邸跡地を突っ切って本宅へ入る。裏口から入り、周囲を見渡すが、使用人が動いている気配はない。 「全員帰しておいたわよ。彼らを巻き込むのは本意じゃないもの」 「……姉上」  いままでどこほっつき歩いていたのよ、と疑わしそうな視線を向けながら、梅子は困惑した表情で事実を告げる。纏っている白絹に真っ赤な椿をあしらった小袖の着物が、いまの心境を代弁しているかのようだ。 「お母さまは毒を飲まれたそうよ。御自分で飲んだのか、それとも誰かに飲まされたのか、そこまではよくわからないけど」  遺体はすでに憲兵により運び出されたという。夫である空我当主が不在であるいま、子どもたちを無視して代わりに動いたのは川津の人間だろう。それも善意ではなく、自分たちに向けられる非を退けるための行動だ。 「口封じ、か?」  実子の実家、川津家は伊妻の乱以後、古都律華の頂点を我が物にしており、当主であり実子の継母にあたる川津蒔子(まきこ)がいまは亡き夫にかわり権力を握っている。蒔子が実子の遺体を引き取ったというのなら……関係がないとは言い切れない。 「たぶんそうよ。ところで……柚葉は梅子がお母さまに毒を飲ませたとは疑わないのね」 「姉上は至高神の末裔であるゆすらを消そうとする古都律華の人間じゃない」  梅子は空我樹太朗の長女として、一度は結婚した夫の未亡人として、自分も帝都清華の一員だと自負している。古都律華が天神の娘を抹殺しようとしているのとは逆に、梅子は帝都清華の更なる繁栄のために天神の娘を利用しようとしている。愛妾の娘という立場からあえて残酷な方法で距離を保っていた梅子はいま、何を考えているのだろう。 「……似たようなものよ」  ふぃ、と顔をそらして梅子が呟く。 「天神の娘を畏れている、って点は、古都律華も帝都清華も皇一族もきっと、共通しているはず」 「皇一族? 帝が動かれたのですか?」  天神の娘の存在を容認していた名治神皇が動いた? だとすれば、湾と行動を共にしている桜桃はどうなる? 「そりゃ、これだけ騒ぎが大きくなれば動かざるおえないでしょう。お父さまはあの苔桃をずっと仕舞い込んでおきたかったみたいだけど……外に出てしまったんですもの。もとには戻れなくてよ」  梅子は確認するように弟であり空我侯爵家次期当主である柚葉に問う。 「向清棲伯爵との結婚話を白紙にしたわね」 「……なぜ、それを」 「あなたの考えていることくらいわかるわ。この混乱に乗じて、あの苔桃を取り戻して、今度は自分で鳥籠を作ろうとしているのでしょう? 無駄よ」  きっぱり言い放つ梅子に圧倒され、柚葉は黙り込む。 「襲撃の黒幕を暴き、空我家のいまの状態を回復させることができても、天神の娘の存在はすでに隠しきれない。あなたが苔桃を独り占めしたら、新たな火種を生みかねない」 「でも」 「あなたの熱い想いは痛いくらいわかるけど、兄妹同士の結婚は禁じられている。空我侯爵家次期当主となるあなたに許されることではない」 「――ならば姉上が当主となればよい!」  兄妹同士の結婚が認められないのは柚葉だって知っている。向清棲伯爵邸でも幹仁に念を押された。  たしかに空我家の当主の座は大事だ。帝都清華五公家の頂点を極め、政治を執り行う際に名治神皇から絶大な信頼を得ているいま、そのようなことで家名を汚すことは避けなくてはならない。現に襲撃を受け、その原因が古都律華出身の実子で、罪の意識に耐えかねて自殺したという陳腐な新聞記事が間もなく世間へ出まわろうとしているのだ。これ以上醜聞を拡げることは空我家の威信を失墜させるのに等しい。  だからといって桜桃を諦められるか? 応えは否、だ。柚葉にとって桜桃の存在は世界を変えるといわれる天神の娘であることよりも、自分の異母妹であることよりも、護りたい大切な唯一の少女であることの方が何よりも勝っているのだ。  そのためなら、次期当主の座を姉に渡すことだって躊躇わない。 「それはありがたい申し出だけど、いまはお断りしておくわ。だってまだ、あなたにはやらなくてはいけないことが山積みですもの。苔桃を取り戻すために向清棲伯爵の結婚話を白紙にしたのなら、次はご自分の結婚話をぶち壊さなくては」 「そうですね」  自分との間に持ち上がっている藤諏訪子爵の長女との婚約を破棄することを示唆されて柚葉は素直に頷く。顔も見たことのない婚約者との結婚の約束だ、向こうもいまの空我家の状況を知れば素直に結婚の話をなかったことにしてくれるだろう……向清棲家と桜桃の結婚話より説得するのに時間がかかるかもしれないが。 「それに、苔桃を欲するのなら、黒幕を暴き帝のもとへ晒すのも、あなたがなさねばならないことよ」  天神の娘が空我侯爵邸に隠されていた事実を知る人間が、桜桃を狙って動き出している。 「お父さまが苔桃の存在を明らかにしたのは帝と清華五公家のみ。ただ、古都律華の川津家当主はお母さまから事情を知っていたと見えるわ。そこから古都律華御三家の伊妻、鬼造に伝わって今回の事件が起きた、と考えるのが妥当かしら……」 「姉上、その名は」  神皇帝を裏切った伊妻の名は禁忌だ。だというのに梅子はまるで生きているかのようにさらりと口にしている。 「言ったでしょう? 皇一族が動き出してるって」  それはつまり、伊妻の残党がいるということ。  そして、よりによって神皇帝を否定した伊妻の残党に皇一族と契約を交わした始祖神よりも高位の天神の娘、桜桃の存在を知られてしまったということ。古都律華の連中は桜桃を殺そうとしているが、伊妻は手に入れようとするに違いない。  突きつけられた現実に柚葉は黙り込む。 「そのため皇一族内でも意見が分裂しているわ。帝の前妻、蛍子さまの息子である第一皇子は天神の娘の栄華を利用しようと画策しているし後妻の冴利さまは天神の娘など不要だと古都律華を擁しているなんてはなしだし……」 「どこからそのような情報を?」 「現黒多子爵から。彼の奥様の滝子さまが帝の異母妹だって知ってるでしょう? 皇一族のスキャンダルはお喋りな彼女から聞くのが一番よ」  ときどき早とちりして誤った情報も来るけど、とほくそ笑んで、梅子はつづける。 「皇一族は湾さんの行方も知ってらっしゃるみたい。苔桃には信頼のできる人間を傍に置くって滝子さまもおっしゃっていたから、しばらくは平気だと思うけど、予断を許さない事態に変わりはないわ」  このままでは桜桃は狙われつづけ、皇一族の後継争いにまで巻き込まれてしまう。柚葉は深い溜め息をついて、梅子に向き直る。 「それでも、俺は彼女を取り戻します」 「その選択ははじめから誤っているけど、止めはしないわ。ただ」  呆れたように梅子が声をあげる。涙声だ。 「お母さまがなぜ殺されなければならなかったのか、梅子は知りたい」  きっと実子もどこかで選択を誤ったのだろう。暗殺者を雇った時か、それとも愛妾の存在を知った時か……その結果が、この悲劇だと梅子は柚葉に告げ、声を震わせる。 「姉上……」 「だから柚葉、まずは空我家次期当主として、やるべきことをなしてから、ひとりの男として苔桃を迎えに行きなさい。そうすれば、すこしは協力してあげてもよくってよ」  泣き顔を見られないよう梅子はぷいと顔をそむけ、厳しく言う。強がりな姉の言葉に、柚葉はしっかりと頷く。 「わかりました、姉上」  いまは自分にできることを。柚葉は焦る気持ちを抑えながら、改めて計画を練り直す。  必ず桜桃を迎えに行くと心新たに誓いを立てて。
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