16 / 57

第三章 天女、邂逅 * 3 *

 数え切れないほどの神々が存在しているという北海大陸。そのなかで神とともに暮らしていた古民族は、それぞれが暮らす土地の神々から加護を受け、集落を作っていった。 「唯一の例外が、至高神と子を成した『天』の部族、カシケキク……つまり、天神の娘の祖、ということか」  帝都、駒籠(こまごめ)にある清華五公家のひとつ、向清棲伯爵邸の応接室に柚葉はいる。 「そうです。随分とお詳しいですね」 「なに、伊妻の乱で御父君と戦った親父の受け売りだ。それに社の方で『雪』の部族との交渉がはじまっているんでね」  和装の柚葉に対し、相手は異国から渡ってきた黒い紳士服(スーツ)を着こなしている。商売柄、さまざまな土地と関係を持っている彼からすれば、正装が洋装なのも頷ける。 「……『雪』?」  開拓途上の北海大陸も、彼からすれば今後、商売をするために手を伸ばしたい場所なのだろう。その相手が古くから土地に暮らす先住民だろうが問題にはならないのだ。 「ああ、柚葉くんは知らないだろうが、カイムの古民族の部族のなかのひとつで、大陸北東部に暮らすひとびとのことをウバシアッテと呼ぶんだ。国の最北端となる富若内港周辺は『雪』の部族によって興された場所だよ」 「てっきり『雨』だけだと思っていました」  柚葉は自分が異母妹の祖先について殆ど知らないことに改めて気づき、愕然とする。  同じ国内でありながら異なる文化を築きあげてきた北海大陸。そこに生きつづけるひとびとは神々のちからが薄れた現代も自然を享受し、神を身近なものと捉えて共存している。 「ああ、『雨』の部族であるルヤンペアッテはもともとちいさな集落が分散していたというからね。富若内だけじゃなくて、戦国時代に滅んだ『風』の部族レラ・ノイミが作ったという風祭(かぜまつり)の集落跡地や更に南に位置する神の加護を持たない椎斎(しいざい)にも『雨』の民はいるよ……でも、『雨』の大半が潤蕊(うるしべ)の地で生活しているってのが一般的かな」 「潤蕊」  使用人が運んできた砂糖菓子を頬張りながら、柚葉は呟く。潤蕊。多くの『雨』の部族が暮らす土地。  そこに、桜桃はいるはずだ。 「神皇帝による開拓命令がでたことで、あのへんもごたごたしてるみたいだけどね。古都律華の鬼造が土地の買収に莫大な金を出したそうじゃないか。おかげで僕のところは多雪山系を越えた僻地しか手が出せなかったんだ、悔しいなあ」  それほど悔しくなさそうに愚痴る男に、柚葉が苦笑いしながら口をひらく。 「潤蕊市内の冠理地区に設立された女学校もたしか、鬼造のものですよね」 「ああ。わけあり華族の令嬢ばかりを集めた陸の孤島。どこから莫大な金をひねり出したのかと思えば、その学費を土地の運営に充てているんだものなぁ、やり方は汚いがうまいと思うよ」  うちには縁がないけどな、と笑いながら男はつづける。現在、向清棲伯爵家には六人の息子がいるだけで、花嫁修業をさせる必要のある年頃の少女はひとりもいない。男は正妻以外関係を持たずこの世を去った父のことを思い浮かべ、柚葉の横顔を見つめる。  空我柚葉。すでに二十歳で帝国大学の学生だというが、まだ幼い感じがする。とはいえ、海外に出たっきりの父、樹太朗の跡を継ぐため、数多くの仕事を彼一人でこなしていることを考えると侮ることはできない。空我侯爵といえば帝都清華の五公家のなかでも頂点に値する。彼なら問題なく政界でも活躍できるだろう。  ――天神の娘さえいなくなれば。 「異母妹がそこで僕を待っているのです。僕は早く彼女を迎えに行きたいのです。そのためにも、重ねてお願い申し上げます。向清棲伯爵、幹仁(みきひと)様、どうか」  爵位は上にあるはずなのに、柚葉は思わずあたまを下げていた。彼女を護るために最善の選択をしたであろう父を裏切るような行為を、柚葉はしている。きっと、目の前にいる幹仁には滑稽に映っているであろう。けれど、それでも柚葉は桜桃を諦めきれない。 「父との約束……ゆすらとの結婚のはなしを、白紙にさせてください」  もちろん、柚葉にそのような権限はない。だが、樹太朗の代理として、自分は向清棲伯爵とこうして向き合っている。彼だって空我邸の襲撃を知らないわけがない。その原因が、まだ見ぬ自分の婚約者であることも。  桜桃も自分に結婚の話がでていたことなど知る由もないだろう。だが、樹太朗はセツが生んだ子どもが女児だと判明した時点で、そこまで考えていたのだ。天神の娘という運命を定められた彼女を護るため。そして、彼女を悪用しようとする人間を退けるため。 「……僕が「いやだ」と言ったらどうするんだい」 「向清棲家を乗っ取ります」  目の前の男は面白がっている。生まれた頃から決められていた結婚の話を忌々しく思っていた男のことだ、喜んで白紙にすると思っていたが……柚葉はつまらなそうに顔を顰め、きっぱりと言い放つ。  桜桃が幹仁と結婚すれば、古都律華の連中も手は出せないだろう。それに、向清棲家は国の内外問わず多くの土地を所有している。桜桃を守るための新たな鳥籠にと樹太朗が決めたのもわからなくもない。前伯爵と懇意にしていた樹太朗が互いの息子と娘を結婚させることに意気投合していたという話も頷ける。だが、それでは柚葉は桜桃を手に入れられないのだ。 「……兄妹同士の婚姻は認められていないはずだが」 「存じています」 「ならば、あのとき逃げてもよかったのではないか? なぜゆえ、僕のもとに君は助けを求めに来たんだ」 「助けなど」 「結婚の話など互いの親の口約束にすぎぬ。いまさら蒸し返したところで本気にする人間は殆どいない。もとより、そんな物騒な娘を嫁にするつもりもない。確かに魅力的ではあるがな……此の世の栄華をものにできるという伝説もあるようだし」  天女伝説のことを指摘され、柚葉は黙り込む。沈黙が図星であることを見抜き、幹仁は淡く微笑む。 「だが、僕には必要のないものだ。僕は僕のちからだけでこの家を繁栄に導く。得体の知れない娘を利用するつもりはさらさらない。それが答だ」  ほっと息をつく柚葉に、幹仁はそっけなく加える。 「だが、これ以上、混乱がひどくなるようなら、向清棲家は空我家の支持から離れ、天神の娘を糾弾する立場にまわる」 「……それでも充分です。ありがとうございます」  柚葉は感謝の意を述べ、幹仁の手をがしっと握りしめる。その握力の強さに、思わず幹仁は顔をひきつらせる。見かけによらず莫迦力だ。 「それで、これからどうするんだい?」  桜桃との結婚話を白紙にするだけですべてが解決するとはとうてい思えない幹仁である。 「そうですね、藤諏訪子爵の……」  コンコンコン。けたたましいノックの音が部屋に響く。幹仁が扉を開くと、執事らしき老齢の男が蒼白した表情で用件を伝える。 「空我侯爵の奥方様が、亡くなられました」 「な」  ――母上が死んだ?  目を丸くする柚葉を、幹仁が無表情で凝視する。  ……そういえば、柚葉くんの母君、実子さまは古都律華の川津家出身だったな。 「申し訳ない、伯爵どの、今日はこれにてお暇させていただく。後日また」 「構わぬ。早く行くがよい」  ばたばたと去っていく柚葉を呆然と見送りながら、幹仁は呟く。 「川津家ってことは、皇一族も一枚噛んでるってことか? これまた厄介な」  帝都の華族のあいだで密やかに噂される北の大地の天女伝説。その対象(モデル)であろう天神の娘に、そのような不思議なちからが現代も残っているとは考えられないが、周囲の人間は半ば狂信的に信じ、彼女を追っている。一方は手に入れようと、また一方は抹殺しようと。 「始祖神の血縁である皇一族は、この事態をどう治めるんだろうねぇ。柚葉くんの活躍は興味深いが、僕は火傷したくないよ」  ふっ、と歪んだ笑みを浮かべ、幹仁は窓から外を見下ろす。霞がかった空の下、すでに柚葉の姿は、どこにもない。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!