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第三章 天女、邂逅 * 2 *

「遅い」  桜桃と湾が鬼造に案内された上階の部屋に到達したとき、先客は不機嫌そうな表情でふたりを見下ろしていた。真新しい濃紺のボレロを着ている。  この女学校には制服ではなく標準服と呼ばれるものがあり、桜桃にも支給されることになっている。たぶん少女が着ているボレロがそうなのだろう。相変わらず寒そうな白いワンピースを着ている桜桃はあたたかそうだなぁと場違いな感想を抱きながらまっすぐに少女を見据える。そして黙り込む。  黒髪を真っ赤な組紐でひとつに高く結いあげた背の高い少女は、凛とした面持ちをしている。気品も兼ね備えた知的な容貌は異性だけでなく同性をも魅了させるであろう美しさを称えている。すべてを飲み込むことが可能な漆黒の瞳を猛禽のように煌めかせる少女に、桜桃は何も言えなくなる。  その横で、湾は予想以上の人物が自分たちを取り巻いていると知り、溜め息をつく。 「……よりによって」 「いくら信頼する人間がいないからってお前ひとりで連れてくる莫迦があるか! 逃走中に何かあったらどうしたんだ、軍部に連絡しろと言っただろ」 「時間がなかったんだよ! それに帝都内で諜報されたらそれこそ嬢ちゃんの身柄をこちらへ連れていくことができねーだろ」 「時間がないと言っておきながら宿をとって一晩ゆっくりしたのはどこのどいつだ。言い訳無用。そのうえ港に呼んでおいた箱馬車を勝手に使うとはいい度胸じゃねーか。こっちは誰かさんのせいでひとり騾馬に乗って丸一日駆けどおしする羽目になったんだぞ」  富若内から潤蕊市内の陸軍駐屯地まで馬で走ってからこの冠理女学校へ潜入した旨を愚痴ると、湾が「あぁ」と今更のように頷く。 「それで富若内に竜胆の箱馬車が置いてあったのか……」  桜桃は湾の呟きを耳にしてぎょっとする。あの箱馬車は自分たちのために準備されていたものではなかったのか…… 「まったく。誰も彼も命令なんぞききやしない。逃走するならそれなりの準備をしていけ。言ってくれれば帝国海軍の船に乗せてやることもできたんだぞ」 「そんなことしたら皇一族がこの件にかかわってるってバレバレだろうが、こっちはこっそりと嬢ちゃんを北海大陸まで連れていきたかっただけで騒ぎを大きくしたかったわけじゃねーんだ」 「どっちにしろ手遅れだ。篁の名は明るみに出る」 「最悪だ」  偉そうな少女とがっくり項垂れる湾の口論をおろおろしながら見つめていた桜桃は、意を決して口を挟む。 「あのー、つまり、どういうこと?」 「要するに、この学校はお前の安全な鳥籠の役割を果たさないということだ」  湾はそのつもりで精一杯の動きをしていたようだがな。そう言い捨てて桜桃の顔を見つめる。自分の灰色がかった榛色の瞳や貧相な体つきが恥ずかしく思える。  端麗な容姿の少女に食い入るように見つめられ、思わず顔を強張らせてしまう。 「……空我桜桃、いや、この場では三上桜と呼んだ方がよいのだな。ミカミ……カイムたちのなかで高い身分にあたるカシケキクが名乗ったという苗字か。神を身に宿す一族、天神の、娘」  女性にしてはすこし低い、威圧感のある声が耳元に響く。 「あたしのことを知ってるの?」 「知らん。俺が知ってるのはお前ではなく天神の巫女姫だ」 「……俺?」  桜桃が目をまるくして少女と湾を交互に眺める。少女はハッとして口元を押さえるが、そのわざとらしい仕草が桜桃を苛立たせる。 「なんなのその傲慢な態度。あたしのことばかりべらべらべらべら喋ってないで、あんたも名乗りなさいよ。湾さんはあんたのこと知ってるみたいだけどあたしもあんたのこと知らないんだから。天神の娘のことだってつい最近きいたばっかりだし、それ以上わけわかんないこと言わないでくれる?」 「じょ、嬢ちゃん……」  湾があちゃー、と額に手をあて更に項垂れる。その横で少女はつん、と顔を背けて言い返す。 「こっちだってな、迷惑被ってるんだよ。お前が死ぬまで外の世界に出ないことで均衡は保たれていたってのにどっかの阿呆が得体の知れない天女伝説にかまかけて殺そうとするから……いっそのこと殺してもらった方がよかったかもな、こんな幼稚な女が天神の娘だなんて……」 「い、いま幼稚って……初対面の人間にそういうこと言う?」 「事実を口にして何が悪い? 何も知らずに鳥籠の中で安穏と暮らしていた小鳥ちゃん?」  たしかに、事実だ。思わず口ごもる桜桃。 「……で、でも、すきでそういう状況にいたわけじゃないわ!」 「でも、知ろうとは思わなかった。お前の周りの人間は知っていたのに。愛妾の娘だからなどという下卑た理由で本来の真意を隠されて、汚されていることにも気づかないで。お前が北海大陸に古代よりつづくカイムのなかの一部族、至高神との契約を交わしたカシケキクの末裔であることも、母がふたつ名を持つ天神の娘であり結婚する前まで夢の世界を行き来する巫女姫であったことも何も」 「そこまでにしておけ、小環」  ひたすら責めるような口調の少女に湾から制止の声がかかる。小環、と呼ばれた少女は自分がいま置かれている状況に気づき、顔色を変える。 「……っ」  桜桃は泣いていた。言い返そうとして、何も言えなくて、泣いていた。殺されかかったときに泣くこともできなくて、逃げているあいだも泣いたりなんかしていなかったのに、こんなところで、こんな辛辣なことを口にするひとの前で、自分が泣くなんてと悔しがりながら、桜桃はぽろぽろ、ぽろぽろ涙を零す。声を押し殺して、必死に堪えながら、けれど顔をあげて相手を睨みつけることができなくて、重力に従って転がる水滴が床でちいさな池を作っていく。  何も知らない。知らなくてもよかった時期は終焉を迎えた。自分はこれからひとりで知らされなかった、知ろうとしなかった現実と向き合わねばならないのだとわかっていたはずなのに…… 「顔をあげろ」  やがて、小環が桜桃の肩をぽんぽんと叩く。だが、その命令口調に桜桃は素直に従えない。 「……いやよ。あんたに命令される筋合いなんかないもの」  泣きじゃくりながら弱々しく反論する桜桃に、小環が困ったように頭をかく。そして。 「頼む。顔をあげてくれ」  優しく懇願する。 「さっきは言いすぎた。謝る」  更に、謝罪の気持ちを告げる。 「ほんとに?」  疑わしそうに桜桃がゆっくりと顔をあげる。泣き腫らした瞼と頬が、ほんのり薄紅色に染まっている。 「嬢ちゃん、こいつが謝ることは滅多にないぜ。許してあげな」  湾がようやく落ち着いたかと疲れた笑みをふたりに向け、それぞれに言葉をかける。 「小環も、とっとと名乗れ。そうすればおあいこだろ」  ふたりが同時に頷くと、それでよしと湾が頷き返す。 「……許すから、名前を教えて」  先に口を開いたのは桜桃だった。小環は恥ずかしそうに顔を赤くして、小声で呟く。 「お前と同室で生活することになった篁小環だ」 「タカムラ・オダマキ……偽名よね?」 「苗字は彼から拝借したが小環は正式な名だ。ただ、世間では知られていないだけのこと」  皇一族に関係する人間で、湾と対等というよりそれ以上の地位にある、自分と同年代の人物などいただろうか、と桜桃は首を傾げる。 「こう言えば、いくら世間知らずなお前でもわかるだろう。名治神皇帝第二公子、小環(しょうわ)」 「――小環皇子っ!?」  思いがけない名に、桜桃は唖然とする。  その名は桜桃も知っている。いまをときめく神皇帝の息子の名前だ。  たしか、名治神皇には結婚してから三人の息子がいるという。婚前に関係を持った湾の母、ユヱと異なり、彼らの母親は身分がしっかりしているため最初の妻も先妻亡きあとに娶られた後妻もひとくくりに正妻扱いされている。そのうちの前妻、蛍子(ほたるこ)の息子が大松と小環だ。 「湾さんの異母弟さま、なのですわね」 「いまさらたどたどしい敬語を使うな。みっともない。それに、学校内では身分差など無用だ。小環と呼べ」  呆れながら小環は桜桃の困惑した表情を見つめる。そんな小環を見て湾は苦笑する。 「嬢ちゃん、畏まる必要はないぞ。偉そうにしてるのも傲慢ぶってるのも素だから気にしないで言い返してやれ。小環もその方が気が楽だろ」 「偉そうとか傲慢ぶってるとか余計な言葉が多いです義兄上(あにうえ)」  ぷい、と顔を背けて小環はようやく湾を義兄と呼ぶ。 「……ほんとに皇子さまなんだ」  桜桃はそんなふたりを見て、はぁと息をつく。湾も小環も端正な顔立ちをしているが、どちらかといえば湾の方が野性的で荒々しい印象がある。だからといって小環が弱々しく見えるのかといえばそうではない。神秘的で近寄りがたいところはあるが、逆に思わず飲み込まれてしまいそうな清冽な雰囲気を持っている。ふたりに共通する、皇一族が持つ神がかり的な美しさも相まっているのだろう。  そう結論付けた桜桃は首を軽く縦に振りながら、小環の言葉を耳元で受け止める。 「ま、皇子っていっても皇太子である大松兄上に比べればたいした威力もない。だから女学校に俺が女装して潜入するなんて莫迦げた作戦を父上は気安く口にして実行させたんだ。まったくもってたまったもんじゃない」 「女装似合うよ?」 「ぶっ」  さらりと言ってのける桜桃に、思わず噴き出す湾。ぴくぴくこめかみをひきつらせながら小環は話を変える。 「学校内は古都律華も帝都清華も関係ない。だが、天神の娘を狙って潜入している人間がいないとは言えない。お前には申し訳ないが、俺と生活を共にしてもらうことになる」  結婚前の男女がこうしてひとつの部屋で暮らすなどもってのほかだがな、と心底嫌そうな顔をしながら言う小環に、桜桃もうん、と頷き、はたと考える。 「皇一族の人間が傍にいてくれるのは心強いけど……湾さん、小環は信頼してもいいの?」 「いまさらそれを聞くか!」  それより未婚の男女が同じ部屋で寝食を共にする方が問題だろうがと言いたそうな湾は、桜桃の言いたいことももっともだと思いなおし、そっと応える。 「とりあえず立ち話もなんだし、その辺のこと、情報交換しようぜ」  俺も今日しかこの学校にいられねーからな、と淋しそうに口にする湾を中心に、左右で桜桃と小環は荷物のない場所へ座り込み、こくりと頷く。 「それじゃあまずは俺の方から。空我邸が襲撃された前後の動きを伝える」  小声になった湾の言葉を、漏らさないようふたりは口を閉ざしたまま、耳を傾ける。
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