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第二章 天女、潜入 * 4 *

 でこぼこ道を走る箱馬車のなかで、桜桃は昨晩見た夢を反芻させる。  なぜ、あんなにも淫らな夢を見てしまったのだろう。  まるで現実にあったかのように、目覚めたばかりの身体は熱く疼いていた。さすがに粗相はしていなかったけれど…… 「……カイム、か」  心のなかで口にしたはずなのに、隣に座っていた湾が、その固有名詞に反応する。 「嬢ちゃん、思い出したのか?」 「思い出す?」 「嬢ちゃんの母君、セツさまはこの北海大陸が故郷なんだ。彼女は大陸の先住民、カイムの巫女姫だったんだよ」  そういえば、母が生きていた頃、そのようなことを口にしていた気がする。父と出逢うまでは北海大陸にいたと。  ただ、カイムの民がどうのこうのとか、巫女姫だったという話は初耳だ。  黙って耳を傾けている桜桃に、湾は滔々と告げる。 「俺の死んだお袋も、カイムの人間だったんだ」 「湾さんのご母堂さまもたしか、北海大陸ご出身でしたもんね」  湾の母、ユヱは一昨年亡くなったが、桜桃も何度か顔を合わせている。  彼女は北海大陸という帝都の人間からは想像もつかない未知なる世界に古くから生活していた一族の末裔だった。帝都へでてきてからは篁八重(たかむらやえ)と名を改め、滅多に過去を語ることはしなかったが、桜桃の母、セツが同郷だと知ってよく世話を焼いてくれたものだ。  そのときには既にセツは病魔に蝕まれ余命いくばくもない状態だったけれど。 「もっと早くセツさまと出逢えていれば助けられたかもしれないって嘆いていたっけ。帝都の空気が合わないから命を落とす結果になったんだと」 「……帝都の空気は淀んでいるっていつもおっしゃってましたから」  桜桃が十歳の時に亡くなった母、セツ。父の樹太朗が彼女のためにいくら敷地内に緑を植えて柑橘類の林をつくっても、気休めにしかならなかった。それでも母は喜んで別邸に暮らしていたっけ……  しんみりしてしまった桜桃に、湾がぽん、と肩を叩く。 「たしかに帝都のごみごみした雰囲気と比べたら、ここは見渡す限りの大自然だ。空気だっておいしいだろ?」  桜桃が淡く笑って首肯するのを見て、湾がホッとしたように破顔する。 「カイムってのは、この土地に古くから暮らしている民族の総称だ。まぁ、北海大陸もでかいからその中でも細々とした分類がされているみたいだけど」  セツとユヱは同じカイムの民だったが、生活していた場所には差異があったらしい。詳しいことは俺もわからないや、と苦笑しながら湾は説明をつづける。 「セツさまは、樹太朗に見初められるまでそのカイムの民を統べる神々の代弁者として活躍されていたんだ」 「神々の代弁者……つまり、巫女姫ってことよね?」  さきに湾が口にしていた巫女姫という言葉を思い出し、確認すると、嬉しそうに頷く。 「この国には数多(あまた)の神が存在している。神と等しい身分を持つのは国を治めている神皇帝とそれに属する皇一族のみとされている。それが常識とされていた。けれど、この北海大陸はその常識が通用しないんだ」 「……先住民たちと、信仰するものが違うから?」  帝都では国の絶対的権力者である神皇とその血族を神と同等のものとして敬うのが常識である。現人神、という言葉も当たり前のように使われているし、桜桃もそういうものだと思っていた。 「神の存在を唯一のものであると認識している西国と比べると、同じに見えるかもな」 「神さまがたくさんいる、って概念は一緒なんだね」  そうだと湾は応え、あらためて桜桃の方へ顔を向ける。 「皇一族が神の血縁である、というのは事実で国民もそれを知っている。けれど、北海大陸には皇一族と血を通わせた神よりも最上の神……至高神と契りを結んだ一族がいたんだ」  なのに、湾は国を揺るがすような重大なことを淡々と伝えている。  神皇帝が縁を結んだ神よりも身分の高い神がいて、皇一族のような血縁関係が成立した一族……? 桜桃は目の前が真っ白になる錯覚に陥る。 「……そんな」 「至高神と契約を交わした一族のことをカイムの民はカシケキクと呼んだ。(いにしえ)の言葉で天の神に愛されたもの、という意味だ。それが身に神を宿らせるという天神の娘、の由来」  桜桃をさんざん苛んできた天神の娘という言葉。それは天の神に愛されたもの。それは身に神を宿らせるもの。桜桃の母、セツはそんなカイムの民を統べる巫女姫だった。巫女姫ということはつまりその身に神を宿らせていたということだから……?  昨日の夢を思い出し、桜桃は顔を赤くする。  もしかしたら夢に出てきたのはカイムの神さま……?  だけど、天女が羽衣を求めて発情するってどういうことだろう。現実でもこの先、自分の身体が変化していくのだろうか。神さまを身に宿らせるって、身籠らせるってこと? それは困る……  ……悶々と考え込む桜桃に、湾は場違いなことを告げる。 「セツさまは帝都では“(せつ)”と名乗っていたけれど。ほんとうは“(セツ)”という名を持つ天神の娘だったんだ。そして」  いつもは“嬢ちゃん”としか呼ばない湾が、真面目な表情で名を囁く。 「空我桜桃。君もまた、その至高神の血統を継ぐ、天神の娘に違いはない」  天神の娘。神々に愛され栄華を齎す大陸の天女。  そんなものが実在していると知ったら、権力者たちは居ても立っても居られないだろう。 「――だから、殺されそうになったの?」  湾の話に不審なところはない。むしろ、すんなり受け入れられてしまった。どうして自分が天神の娘と呼ばれているのか。どうして命を狙われたのか。 「あたしが、この国の頂点にいる神皇帝よりも貴い血を持っているから、皇一族が内密に処分しようとしたの?」  国の最高権力者である人間よりも尊い神の血脈を持っているから、排除されるのか。そう湾にけしかけると、彼は困ったように首を振る。 「待て待て。話はそこまで単純じゃない。現に、嬢ちゃんを亡きものにしようとしたのは皇一族の人間じゃなかっただろ? 彼らならそんな野蛮な方法は使わない」  確かに、国を動かせる軍隊を持つ皇一族なら、別邸の使用人ごと殺すようなことはしないだろう。それに、正室である実子が愛妾の娘である桜桃を疎んでいたのは事実だ。父の樹太朗が出奔して六年。間もなく死亡認定されることを知っての襲撃。そして彼女の息子、柚葉が関わっていないという点からも、実子が暗殺者を雇ったという線が妥当なように思える。 「……でも、もし実子さまが皇一族に唆されたとか、命じられたとかだったら?」 「それはないよ。大松(ひろまつ)のはなしだと親父殿はいまのところ沈黙してるみたいだから」  こう見えても湾は、現神皇帝、名治の血を継いでいる。世が世なら彼が帝として国を担っていたかもしれない人物なのだ。  ただ、母、ユヱが北海大陸の先住民だったことや名治自身が成人する前に孕ませた息子だったため皇一族は彼に皇位継承権を授けず、篁という苗字を与えて彼が二十歳になるまで養育し、当時、勢力を伸ばしつつあった古都律華の川津家へ釘を刺すように婿入りさせることで厄介払いをしたという複雑な経緯がある。本人は妻となった川津米子とそれなりにしあわせな日々を送ったそうだが、紛れもない政略結婚だ。  結婚五年で米子が病気で亡くなってからも皇一族との縁は切れていないようで、湾と正妃が生んだ異母弟はいまも連絡を取り合っているという。 「そうなんだ」 「それに、彼らは空我家に天神の娘がいることをとっくに知っている。いまになって殺すなんてことはありえない」 「湾さんも、あたしが天神の娘だって知ってたわけだよね? ゆずにいもそんなこと言ってたし……知らなかったのはあたしだけなの?」 「天神の娘、という存在が樹太朗のもとで大切にされているという話なら、皇一族では知れ渡っているよ。ここでの天神の娘は嬢ちゃんのことじゃなくてセツさまのことだけど」 「……伊妻の内乱ね。皇一族に反旗を翻した古都律華の伊妻家を、お父さまが北海大陸まで追い詰めて鎮静したっていう……そっか、そこでカイムの巫女姫であったお母さまと出逢ったのね」  思いだしながら、桜桃は湾の方へ顔を向ける。湾はそのとおりと頷き、言葉を繋げる。
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