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第一章 天女、逃亡 * 6 *

 東の海より生まれた四つの季節を持つこのちいさな島国、通称は、神と血縁関係を抱く皇一族の長である神皇帝(しんのうてい)が治めている。  現在の帝である(すめらぎ)名治(かたはる)が最高権力者の証である玉座にのぼり名治神皇(めいじしんのう)と呼ばれるようになってから、帝都清華と古都律華と称されるふたつの華族集団がつくりあげた政界派閥を重用して国としての機能を安定させることに成功している。  新興勢力として経済的手腕を買われた帝都清華は、近年の西洋文明への開化を皮切りに、国外から情報や流通などの知識を器用に取り入れ発展させたことから、皇一族より高い評価を得ることとなった。  その中でも、空我、向清棲(むかいきよずみ)黒多(くろだ)美能(びのう)藤諏訪(ふじすわ)の一族が清華五公家として名を馳せている。 「それを面白く思っていないのが、旧家より連なる古都律華の人間……だっけ」  一息ついて白いワンピースに着替えられた桜桃は柚葉が教えてくれた国政にまつわる話を思い出しながら、湾に問う。 「まあそういうことだな。百年弱の歴史しかもたない帝都清華より古くから皇一族と共にあった古都律華に属する人間は、綺羅星のごとく政界に進出した伝統も家柄も皆無な五公家の存在を恨んでいる。内乱を起こした伊妻(いづま)の話は嬢ちゃんも知ってるだろ?」 「うん、極端に余所者を嫌う古都律華の氏族がひとつであった伊妻の一族は最高権力者である皇一族が帝都清華と手を組んだことを裏切りだと糾弾し、挙兵したって……たしか失敗に終わっているんでしょう?」  言葉を噛み締めるように、桜桃は湾の前で応える。湾は満足そうに頷き、桜桃の言葉をつづける。 「ああ。ここでも帝都清華が活躍している。嬢ちゃんの親父どのだって、その戦時下に伊妻の将軍を討つという手柄をあげているんだから」 「知ってる。ゆずにいが何度も何度も言ってた」 「まあ、嬢ちゃんが生まれる前の話だけどな。伊妻が起こしたこの内乱によって、空我が評価されたのは事実さ」 「じゃあ、伊妻の人間が空我を恨んでいるってこと?」 「いや、この国に伊妻と名乗る人間はもういない。神にも等しい皇一族に刃を向けた彼らは叛逆者として残らず処刑……要するに皆殺しにされているんだ」  老若男女関係なく、伊妻の血は滅ぼされ、いまは禁忌の一族としてその名を封じられているという。  伊妻の内乱以来、疑心暗鬼に陥った皇一族の命により、昔から各々が土地を治めていた古都律華の氏族たちは、悉く帝都清華という余所者に追い詰めら凋落の道を辿ることになる。それゆえ、今では殆どの氏族が帝都清華に同調している。  しかし、内乱を起こした伊妻に同情し彼らを滅亡へ導いた帝都清華の存在を疎ましく思う古都律華の縁者は少なくない。  古くから皇一族と懇意にし血の繋がりを持っていた氏族に帝都清華が恨まれているのも事実だと湾は説明する。  自分の父親が伊妻の滅亡に一役買っていたことを改めて知り、桜桃はぶるっと身体を震わせるが、すぐに姿勢を戻し、湾のはなしのつづきを促す。 「それに、奥方のこともあるからな……いまだに根に持ってるのはたぶん皇一族から血を分けてもらったことで権力を振りかざしていた川津(かわづ)の連中だと思うんだ」  無精ひげに手を伸ばしながら、湾はじっと耳を傾ける桜桃に告げる。 「……実子さま」  ――あたしを殺そうとしたひと。  主不在の空我家に君臨する、現在の支配者の名を呟き、桜桃は湾の表情をうかがう。 「あんまし身内のことは悪く言えねぇけどな」  はぁと溜め息をつきながら、湾は桜桃のあたまを軽く小突く。 「……悪いな」 「湾さんは悪くないよ?」  古都律華の人間すべてが帝都清華を憎んでいるわけではない。こうして桜桃の隣で謝っている湾だって、古都律華の名を引き継ぐための婿養子として川津家の長女で実子の姉である米子(よねこ)夫婦(めおと)になったのだから。 「義妹(あいつ)がそこまでするなんて考えられなくて」  古都律華の中でも皇一族との縁が深い川津の名を強制的に背負わされた青年は、古くからのしきたりや伝統などくそくらえだと常に口にしている。生家から追い出される形で婿養子にさせられたのだから伝統も何も、知らないのだ。  余所者を厭う古都律華の本質を見抜けるのは同族だけで、その血を残すために仕方なく自分は選ばれたのだと自嘲していた湾。それでも古都律華の由緒正しい氏族である川津がこの先帝都清華に潰されないよう義妹の実子を空我家の正室に嫁がせるのに一役買ったり、愛妾の娘でしかない桜桃を実の娘のように可愛がっているところを見ると、彼なりに自分の役割を果たそうとしているといえなくもない。 「樹太朗がもうすこし気が利く人間ならよかったんだけどな。たぶん坊がいるから任せて行っちまったんだろうけど……お嬢、こうなったら大陸を渡るぞ」  愚痴っぽく呟いて、湾は桜桃に向き直る。大陸を渡る、だから自分はいまここにいるのだと改めて頷き、湾の言葉のつづきを待つ。 「このまま帝都にいるのは危険だ。空我のことなら坊に任せておけばいい。お嬢はしばらく身を隠せ。とっておきの場所がある」 「とっておきの場所?」  小声で桜桃が口をひらくと、湾はそうだ、と頷きながら応え、ぽんと桜桃のあたまを撫でる。 「坊が迎えに来るまで、嬢ちゃんはそこで名を変え、潜んでいればいい。手続きは済ませてある」  日の出とともに出航する船の甲板の上で、湾は呟く。 「――いまは、俺を信じてくれ」  潮風が、ふたりの身体をそっと撫でて、つんとする残り香を漂わせていく。夜闇で暗く、黒い海面がゆらゆらと揺れるのを柵に寄りかかりながらじっと見降ろしていた桜桃は、こくり、と首を縦に振る。  渡されたのは行き先を告げる切符。見知らぬ土地の名を脳裡で転がしながら、息を殺したまま、夜明けを待つ。 『帝都 司馬浦(しばうら)発 北海大陸 富若内(とみわかない)行』  やがて、地平線の彼方から黄金色の太陽がひょっこりと顔をのぞかせ、船は動き出す――……
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