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第一章 天女、逃亡 * 5 *

「行ったか……」  湾たちが姿を消したのを見届けて、柚葉は洋館の周辺へ油を撒き、火を放つ。  生臭い血の香りは死体を焦がす匂いに隠れ、屋敷ごとこの地にあった存在は灰と化していく。やがて屋敷を舐め終えた炎は満足することなく針葉樹の森へと歩みを進めることだろう。森に咲く橘や蜜柑などの白い小花たちも真っ赤な舌に包まれ、不意にその生を終えることとなる。湾が尊敬していた彼女がもし生きていたら、きっと柚葉を許しはしないだろう。けれど。 「こうすることでしか、僕はゆすらを救えない」  そのことを、彼女ならわかってくれるだろうと思いながら、柚葉は空高くマッチを投げつける。  めらめら燃える炎が見つかるのは間もなくだろう。そして奴らは悟るのだ、計画が失敗したことに。  焼け落ちた洋館から少女の焼死体ではなく、殺し屋の死体が発見されるのは時間の問題だ。  深い霧と緑に隠されていた洋館が、緋色の焔に暴露されていく。燃える。爆ぜる。灰が風に舞う。熱風が柚葉の頬を弄り、森の木々を揺らしていく。  この間に、湾が桜桃を安全な場所まで連れて行ってくれれば…… 「あら、空我の御曹司ともあろう方が、何を血迷っておられているのです?」  柚葉は自分の考えが甘かったことに気づく。 「……姉上」  背後に突きつけられたのは、拳銃。 「火を放って証拠の隠滅を図ったのは評価できますが、それ以外のところが、穴だらけでしてよ?」  カチリ、躊躇いもなく安全装置が外される音。 「柚葉。あなたは天神の娘を救うために、約束された帝都清華当主の地位を見捨てるというの?」  炎のように真紅の着物を纏った女性は、黙ったままの柚葉に、ぐりぐりと拳銃を押し付ける。 「梅子には、地面に這うだけの苔桃など、必要ないわ。でも、殺すのはもってのほか」  母上はどうせ、お祖母さまに騙されているだけ。あれは邪神などではなく天女よ。目を覚ましなさい、そして古都律華の奴らに抹殺されるより先に、彼女を手に入れ、君臨なさい。  姉の梅子に迫られ、柚葉は苦々しげに、言葉を吐き出す。 「……ゆすらは、ものじゃない」  意地っ張りねと梅子は柚葉につきつけていた拳銃でその背をぽかりと殴り、つまらなそうに呟く。 「まあいいわ。川津の連中は梅子が足止めしといてあげるから、とっとと行きなさい」  桜桃の存在を古都律華に食われるわけにはいかない。そのためには異母妹としての桜桃を見捨てろと梅子は暗に匂わせる。桜桃を天神の娘として利用しろと、柚葉をけしかける。 「せいぜいふたりとも殺されないように。ま、あなたみたいな愚弟がいなくなれば、家督は梅子が天神の娘ともども引き継いであげるからご心配なく」 「そうならないよう気をつけるよ」  天邪鬼な姉に見送られ、柚葉は燃えつづける洋館に背を向ける。黒煙に包まれ廃墟と化していく洋館の末路を見送る梅子を残して。
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