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第一章 天女、逃亡 * 4 *

「無事だったか、嬢ちゃん」 「湾さん!」  玄関の前で待機していた湾は、柚葉に抱えられて外へでてきた桜桃を見て、安堵の溜め息をつく。湾の姿を見つけた桜桃も、嬉しそうに声を弾ませる。  だが、いつもの桜桃を知る湾は、彼女が本調子でないことに気づいている。 「……大変なことになっちまったな」 「うん」  しょんぼりうつむく桜桃のあたまをくしゃりと撫でて、湾は柚葉に向き直る。 「お前がいながらなんてザマだ」  きょとんとする桜桃と、不機嫌そうに唇を尖らせる柚葉。 「……ま、過ぎちまったことは仕方ない。まずは嬢ちゃんを安全な場所へ連れていく。そのために俺を呼んだんだろ?」  湾は悔しそうに柚葉が頷くのを見て、桜桃を背負う。桜桃も当然のように湾のおおきな背中に乗っかり、柚葉を見下ろす形で泣きそうになるのを堪えて、笑いかける。 「ゆずにい、ごめんね」 「ゆすらが悪いわけじゃない。いつかこうなることを知っていながら阻止できなかった俺がいけないんだ」 「……やっぱり実子(さねこ)さまなの?」  愛妾の娘である自分を疎み、顔も見たくないと幽閉した正妻を思い浮かべ、桜桃はかなしそうに尋ねる。 「たぶん、天神の娘が生きていることを知った古都律華の連中に唆されたんだろう」  湾がつまらなそうに声をあげ、柚葉の顔色をうかがう。 「セツの忘れ形見だからな」  ふたりのやりとりを横目に、桜桃は湾が口にした単語を反芻させる。 「……古都律華が?」  それは、世間知らずな桜桃でも知っているこの国を二分する政界勢力のひとつだ。  だが、どうして桜桃が古都律華に狙われなくてはならないのか、理由がわからない。むしろ正妻が主の留守の間に事故にでも見せかけて殺す方がよっぽど現実味がある。 「ゆすら、今は詳しく話す時間がない」  桜桃が考えていることがわかったのだろうが、柚葉は湾を促し、洋館から立ち去らせる。 「あとで必ず迎えに行くから」 「ゆずにいはいっしょじゃないの?」  てっきり一緒に来ると思っていた桜桃は、泣きそうな顔で異母兄を見つめる。 「うん、このままにはしておけないから」  そう言って、柚葉は桜桃の額にそっと口づけてから、踵をかえす。 「……ったく、律儀な奴」  湾はいまにも自分の背中から飛び下りて柚葉を追いかけそうな桜桃を抱え、毒づく。 「嬢ちゃん、坊のことが心配なのはわかるが今は自分の心配をしてくれ。このまま殺されたら元も子もねーだろ」 「……うん」  抵抗するのを諦めた桜桃を背に、湾はゆっくりと花橘が香る森を駆けていく。背を向けることはしない。 「屋敷の後始末なら坊がしてくれるから安心しろ。なあに、火を放つだけさ」  惨劇をなかったことにするため、別邸を焼ききれば、すこしは時間稼ぎになる。奴らはきっと桜桃が死んだと思うだろう。だが、確実に殺したことがわからない限り、古都律華の人間は天神の娘である桜桃を追い求めつづけるだろう。湾は背中の温もりを感じながらひたすら小道を駆ける。 「いまは、逃げて、生きのびることだけ考えろ。そしたら話してやる、天神と古都律華のこと」  湾の言葉に、桜桃は強く頷く。  まずはここから逃げ出して、生きのびないとはじまらない。それは事実だから。
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