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第一章 天女、逃亡 * 2 *

 暦の上では春とはいえ、帝都の山深い場所にある空我(くが)の別邸は肌寒い。  天蓋つきの寝台の上で、桜桃(ゆすら)は弱々しく息を吐く。 「……ゆずにい?」  悪い夢を見ていた気がする。それも、とてつもなく悪い夢を。 「ゆすら、気がついたか」 「なんでここにいるの……?」  本宅で衣食住をしているはずの異母兄が、早朝から桜桃の目の前で心配そうな顔をしている。ふだん彼女に仕えている侍女の姿が見当たらない。これはどういうことだろう。  起き上がろうとして、桜桃は違和感に気づく。上掛けの肌触りが異なる。  ずきん、と身体が痛みを訴える。あちこちに刻まれた鬱血した痕。疵と痣。よく見てみようと立ち上がって。 「……!」  自分が全裸でいることに気づき、慌てて夜着を纏おうとして、敷布に足をとられて転びそうになる。  そんな桜桃に気づき、柚葉(ゆずは)が慌てて彼女の傍へ駆け寄り、抱きとめる。 「あたし……」  柚葉は蒼白の表情で呟く桜桃の髪を優しく撫でる。 「しらない、おとこのひとたち」  何も言わないで、桜桃の言葉に頷いて。 「襲われて、殺されそうに、なった?」  夢じゃないの? と、桜桃の視線が泳ぐ。  柚葉は桜桃のいまにも折れそうな細い身体をきつく抱きしめ、そっと名を呼ぶ。 「ゆすら」 「ゆずにいが、助けてくれた、んだよね」  泣きそうな表情で、桜桃は柚葉の温もりを求める。寒い寒いと、傷ついた心と身体を温め癒すため。  柚葉は彼女の額にそっと、くちづけて、大丈夫だよと頷く。 「安心して。悪いやつは、やっつけた」  桜桃の部屋には似合わない、空の薬莢が床の上に転がっている。 「殺したんでしょ?」 「……ああするしかなかった」  意識が薄れていくなかで聞いた銃声は、何度嗅いでも慣れることのない硝煙の匂いは、桜桃を狙った侵入者を殺めるために響いたもの。気づいてはいたが、つい、柚葉を責めるような口調になってしまった。 「そうしないと、ゆすらも殺されていただろうから……」  苦しそうな柚葉の声をきいて、桜桃はそれ以上問いただせなくなる。使用人たちはどうなったのか、ふだん離れて暮らしている異母兄が時宜(タイミング)よく現れたのはなぜか、どうして自分が殺されそうになったのか、男が口にしていた天神の娘とはどういうことなのか。  ……柚葉なら、知っているのだろうか?  黙りこんだ桜桃を、柚葉は抱き上げて寝台の上へ横たわらせる。ゆっくり休めということだろう。  桜桃は敷布の上へ裸体を横たえた状態のまま、夜着をかけようとしている柚葉の困ったような顔をうかがう。 「ゆすら……頼むからもうちょっと、警戒心を持てよ」  もう数えで十七なんだからと苦笑しながら、柚葉は桜桃の身体に夜着をかけ、上掛けを手渡し部屋から立ち去ろうとする。 「待って」  夜着をはだけさせ、桜桃は起き上がり、柚葉の腕を咄嗟に掴み、自分の方へ引寄せる。どこにそんな力が残っていたのか、油断していた柚葉は呆気なく均衡バランスを崩し、桜桃を巻き込みながらふかふかの寝台の上へ身体を沈ませる。  真っ白な敷布に新たな皺が刻まれていく。 「……ゆす、ら?」  至近距離で見つめられ、柚葉は自分が彼女を組み敷いた状態でいるというのに、動けなくなる。  桜桃は陶器のような肌を異母兄に見せたまま、すこしだけ顔を赤らめて、身体を震わせる。 「ひとりに、しないで」  その瞬間、柚葉は瞳を潤ませ訴える異母妹を抱きしめていた。  ――男たちに襲われかけた直後だ、そこまでするとは……怖かっただろうに。  ひとりにしないでと懇願する桜桃を見て、いままで抑えていた何かが、堰を切って溢れ出してしまう。おそるおそる、少女の素肌に手を伸ばし、抵抗しない唇に、自らの指を伝わせる。  唇から喘ぐような吐息が零れ落ち、柚葉の指先を柔らかく湿らせる。その指で鎖骨をなぞると、くすぐったそうに身をよじらせ、困ったように微笑を返す。そのまま、指先を膨らみかけの胸元へ滑らせて、肌の熱さにハッとする。  ――駄目だ、。 「ゆずにい、あついよ」  華奢な少女の身体は、怪我のせいか、興奮のせいか、ひどく熱く、汗ばんでいる。 「悪い……」  我に却った柚葉は慌てて桜桃の身体に夜着を巻きつける。だが、桜桃は柚葉の昂ぶりに気づいていないのか、無防備に寝台の上でぐったりしている。  いつまでもこのままというわけにもいかない。だが、彼女の服はどこにあるのだろう。すでにこの屋敷に生きている人間は自分と桜桃だけで、使用人は悉く侵入者に殺されてしまった。しばらくすれば異変に気づいた本宅の人間が様子を見に来るだろうが、そのときまでこの状態の彼女を残しておくのは危険だ。  柚葉は仕方なく、自分が着ていたシャツを脱ぎ、桜桃に着せる。夜着よりは暖かいだろう。桜桃は柚葉にされるがまま、ぶかぶかのシャツをワンピースのように纏う。  肌着姿になった柚葉は顔を火照らせたままの桜桃の耳元で囁く。 「すこしは休んでもらいたかったけど……そうはいかなくなったみたいだ」  寝台の上にちょこんと座り、首を傾げる桜桃の髪を、そっと撫でながら、柚葉は告げる。 「ゆすら。きみはここから逃げなくちゃいけない。このままだと……」 「あたしが天神の娘だから?」  桜桃の澄み切った声音が柚葉の言葉をあっさりと遮る。柚葉は首を縦に振り、つづける。 「いきなりそんなこと言われても困るだろうけど。ゆすら、きみはふたつ名を抱く一族の特別な末裔なんだ」  柚葉の声が、子守唄のように聞こえる。熱っぽい身体はそれ以上、耐えられないとくずおれて、桜桃はそのまま、意識を飛ばす。
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